フランチャイズ時評バックナンバー

黒川孝雄の美

サークルKの今後の戦略 サークルケイ・ジャパン(株)常務取締役 石原 彰 

Ⅰ サークルKの歴史

1. サークルKの創業

 サークルKのルーツはケーズストアーである。しかし1979年(昭和54年)12月にアメリカのサークルKと業務提携した。コンビニでは第2世代に該当する。
第1世代 昭和48,49年創業グループ
第2世代 昭和53年創業グループ
 創業に当たっては、東海地区に勢力を持つ(株)ユニーから5人が出向して、コンビニとしては後発組として事業展開を始めた。
 私が開発担当としてアメリカから学んだ点は「1にも立地、2も立地、3,4が無くて5も立地」ということであった。
 アメリカのサークルKは直営主体であり、郊外型展開である。私達は既存の酒販店からコンビニへの転換が一番良いと考えた。当初、直営店を大団地の入り口に5店舗展開してから加盟店展開を考えていた。ところが2号店目に当たる自由が丘店で「ユニーがミニスーパーを作る」と近隣商店街から大反対を受けた。コンビニという名称が一般化せず、当時CVSをマスコミがミニスーパーと呼んだことが混乱の一因であった。
 商店街との団体交渉がまとまらないまま、朝6時にオープンを向え、初日に230万円を売った。親会社のユニーの知名度の高さのお陰で、サークルKの名称は中京地区には受け入れられていった。
 第3号店の東山店も周囲の商店街の反対する中でオープンした。4号店以降はフランチャイズ店化して、反対運動も無くなった。研修施設もないままのスタートであり、今考えれば、スーパーの商売から抜けきれていなかった。

2. 駐車場を付けたコンビニ

 当初フランチャイズ店は売れなかった。既存酒販店のフランチャイズ化を試みたが、必ず駐車場を付けるようにした。それは愛知県が全国屈指の車社会だったからである。しかし、既存の酒販店では駐車場を持っている店は無かった。
 借地権が発生するため、個人では土地が借りられなかった。そこで、ユニー、
サークルKで土地を借りて、これを転貸して大型店を作った。転貸Aタイプ(加盟店が店舗・什器・商品をすべて負担するタイプ)は、CVS業界初めての出来事であった。
 コンビニはスーパー(GMS)が始めた事業であった。ユニーはGMS業界では異端児であり、ユニーの家田社長(当時)から「お前たちのやっていることはYTS(よって、たかって、システム)であると」と言われたものである。

3. サークルKの特徴

 契約期間は15年間とした。とにかく地元の商店を大切にした。例えば、最低売上補償も付けて、加盟店には非常に喜んでもらった。Cタイプ(本部が店舗・什器・備品・商品一切を負担する店舗)からAタイプへの転換も加盟店に求めた。とにかく加盟店に優しい本部であったが、反面甘さがあったかも知れない。ユニーの認知度の高い場所へ出店していった。
 我々は、コンビニにとってドミナント化こそが最重要な課題であると考えた。ホームグラウンドを持たなければならないということである。加盟店は本部と一緒になってサークルKを作ってきたと考えているオーナーが多い。

4. サンクスとの提携

 第1グループには利益面で到底かなわないことが明らかになった。即ち、コンビニにとって店舗の質の高さが重要であるが、それと同じくらい量も必要であることを痛感した。
 加盟店にとってもボリュームメリットを出すために、サンクスとの提携が必要であった。
 サンクスを選定した理由は①元気がよい②日販が高い③利益が出ているという3点と、持株会社設立のため株主が少ない点(主要株主は小野グループ)が魅力であった。
 提携はサンクスの(当時)橘高社長との面談で決まった。名古屋の会社では珍しい公開買付け(TOB)を行った。サークルKは、貸借対照表に重点を置いた経営を行ってきたため、キャッシュフローを非常に大切にしてきた。だからTOBという手法が取れたのである。
 合併すれば6250店となり、売上高では業界第3位になる。これで念願のトップグループに入れる。日販(店舗の1日当たり売上高)もセブンーイレブンに次ぐ第2グループになることが出来る。サークルKが存続会社となり、本部は東京へ移転する。(但し、登記上の本社は稲沢市に置く)9月1日付けで社名はサークルKサンクスとなり、我々はサークルK事業部となる。新会社の社長はサークルKの土’方清が就任する。
店名は2ブランドのまま、当分の間続くことになる。

Ⅱ サークルKサンクスの今後の戦略

1. 統合

二つの会社が1社になるので、あらゆる面での統合が必要になる。例えば、
コトバ、オペレーション、商品、システム、人事体系、賃金体系すべての面で統合しなければならない。
 サークルKとサンクスは、社内風土としては対極にある。例えば、サークルKにはドミナントエリアがある。サンクスには少ない。また、サンクスにはエリアFCが多い。
 サンクスとサークルKの良い点が加われば、強い会社になれる。今のままでも当分続けられる。しかし21世紀まで生き残れるかどうかは問題である。
 サークルKは数年前にロイヤルティを引き下げた。全社的には30億円に上る金額であった。ノウハウとは失敗の連続であり、成功したのはせいぜい15%程度である。競合店のオペレーションも上がっている。物流の効率化もしなければならない。サークルKの小分けは日本一の定評があった。
 現在、コンビニにはGMS以外から商社、石油、外食が進出してきている。新しい資本はGMSとは違った戦略を取る。
 その中でお客様に選ばれるお店になるには、商品の品揃えであると思う。食品で言えば、美味しくて、鮮度の新しいものである。
 お客様に喜んでいただけるために、この2社統合の機会に、思い切ったことをやる積もりである。

2. NO1、オンリー1をどのように作るか

 わが社には宇治田原事件という経験がある。今考えてみればテレビ放映、詰問状況、バッシングの3点セットが仕組まれていた。この事件によって当社は強くなった。
 現在、フランチャイズの転換は自在に出来るようになっている。例えば
 A型→C型、C型→A型、C型→委託経営
等様々な型が用意されている。
 やる気のなくなった人にはいつ止めてもらっても良いように、ペナルティは低くしてある。不動産が転貸になっているので、日販が低ければ簡単に廃業することができる。
 本部としては加盟店の利益が第一であり、関係者全体がwin winの関係にならなければならない。
 コンビニのヘビーユーザーは35%のお客様で、その人達が60%の買い物をしてくれる。お客様のニーズに、どのように対応していくかが今後の課題である。
 サークルKの標準タイプ店は、敷地150坪で1日50万円~70万円売れる。駐車場の台数は業界一である。今考えれば、もっと駐車場を広くしておけば良かったが、「日販50~60万円売ればそれで良い」とする安心感が加盟店にあった。
 業績の良い時には「思い切ったこと」は出来ないものである。リロケーション、駐車場の拡大、建替え等が必要である。店の利益を出すためには、地域一番店になる以外に方法がない。
 「リスクに備えて商売をする」という心構えが難しい。我々としては東海大地震に備えて考えなければならない。
 店舗の人材育成は現場にある。仮説を立てて発注をして、その商品が売り切れるかどうか?これが一番楽しいことである。これを各店舗で実行しているかどうかである。人材育成とは「私のお店」と言わせることである。マニュアルも手引書もある。しかし徹底はできない。どんなマニュアルを作っても、最後は人である。これが、わが社の戦略であり、方針である。徹底できるかどうかが鍵である。
 本を読め、人の話を聞け、自ら1歩前へ出ないと何事も進まない。

3. コミュニケーションについて

①自分から発信すること。上司も部下も関係ない。
②発信するためには、少しの勇気が必要である。
③出来ない理由を挙げても無駄である。

外食産業におけるリスク管理と継続的な業態改善
物語コーポレーション 代表取締役社長  小林 佳雄

Ⅰ リスク管理について

1. 会社紹介

 わが社の歴史は昭和24年に母親が豊橋で「おでんや」を始めたのが最初である。私は大学卒業後、すべての就職試験に失敗して「親の跡を継ぐ」と言えば格好が付くと思い、外食に従事することになった。東京で外食の会社に就職して、豊橋に戻って板前として入社したが、当時の男性社員は全員会社を辞めていった。
現在、会社の持っている外食業態は次の通りである。
焼肉    一番カルビ
      一番かるび
ラーメン 丸源ラーメン
和食   源氏総本店
     げんや
新中華料理  妙蓮花
の6業態である。
売上高は    グループ売上     直営売上
         100億円      60億円
今期見込み    120億円      70億円
 会社の実態は焼肉業で利益の大半を稼ぎ出している。しかし
01年9月    BSE発生     日本
03年12月   BSE発生     アメリカ
で、大きく利益構造は変わった。

2. リスク管理

日経MJによれば、当社は焼肉チェーンとして米国発のBSE対策が一番出来ていたチェーンであるそうだ。同じく日経MJの調査によれば、焼肉チェーンの中では既存店売上高の前年比は一番高い。
BSEの危機は丸源ラーメンの開発で切り抜けた。正に業態開発の賜物である。
 焼肉業界は10年前には5千億円のマーケットであったが、現在は8千億円のマーケットに成長した。これはアメリカ牛の輸入によって、焼肉屋の低価格化ができたからであり、マーケットの拡大はアメリカ産牛肉のお陰である。
 当社の役員会で「万一アメリカでBSEが発生したらどうなるだろうか」という話題が出たときに、「アメリカ牛の輸入が止まったら、焼肉業はおしまいだ」
との意見が一部からでた。私は「そんな馬鹿なことは無い。道はある」と考え、オーストラリアと国産牛肉の買付けの検討をさせた。
 元々、危機管理には注意していたが、正直な話、私はフランチャイジーが怖くてしょうがない。焼肉業態は1億2千万円の投資フォーマットであり、相当な覚悟で加盟してもらっている。
当社はFCオーナーのミーティングを2ケ月に1回実施している。質問時間が設けられているため、加盟店から何を質問されるかが恐ろしかった。このミーティングには立地開発、加盟店開発の担当者も参加しているため、加盟店の質問に答えられないことは無い。
FCオーナー・ミーティングの質問が恐ろしくて、夜も眠れない程苦しんだ。
そのことが、危険予測を真剣にさせたのであって、当社が特別の危機管理をしていた訳ではない。カナダでBSEが発生した時、焼肉業界は全社アメリカで発生する危険性を感じた筈である。その危険性に対して具体的な行動を取ったかどうかの差である。

Ⅱ 業態開発とフランチャイズ化

1.業態開発について

 私自身は元々、業態開発型の人間である。実は、その前に致命的な失敗を7~8件経験している。
 中学生時代に母親の経営する「おでんや」で、昼間店内にあった「月刊食堂」
をよく読んだ。あれはプロの読む専門誌であり、アメリカの新しい専門店の写真を見て、憧れたものである。渥美俊一先生のチェーンストア理論を読んで感激した。大学時代にはチェーンストア理論のセミナーも受講したことがある。
 前に話したように、大学を卒業しても就職先は一つもなかったので、「親の跡を継ぐ」と言うことにして、飲食店に勤務して、後豊橋の母親の店へ戻った。母親の仕事を見ておれば、「ビジネスの要諦は人材にあり」ということは、当然のことのように判った。母親の店で「一人前の板前になろう」と決意したが、男の社員は全員退社してしまった。板前になりきり、自分の食べたい物を売った。10年程度掛けて、一人前のフードビジネスマンになったと思う。

2. フランチャイズ・ビジネスについて

 従来、直営主体で規模拡大を図ってきたが、5年ほど前からフランチャイズを始めた。2002年6月号の社内報で、フランチャイズ・ビジネスに対する私の考え方を正直に書いた。それは、中学、高校、大学時代にフランチャイズについて考えた内容であった。(以下社内報の内容を一部抜粋する)
①こんなフォーマットでもうかる訳ないじゃない。
②一軒繁盛したっていう事実だけで、目標の100軒なんて言うなよ。
③こんな急展開で指導できる訳ないじゃない。
④こんなに複雑なフォーマット,業態を本当にチェーン化できるの?
⑤こんな見せ掛けのロイヤルティでずるいじゃない。等など
 これが2年前のフランチャイズに関する私の価値観であったが、最近フランチャイズとしては新米ではない域に達したと思う。
 KFCやミスタードーナッツ、マクドナルド等のフォーマットを見て、正しく理論通り、理想的なフランチャイズに見えた。
 なかなか、フランチャイズ化の仕組み、システム化が進行せず、チェーン化が出来なかった。そんな時に仕入れ業者から、フランチャイジーになりたいとの申し出があった。契約してしまえば、システム化が進行すると思った。もう一点は、食材の仕入れ価格がそのフランチャイジーには判っているので、食材価格には上乗せ出来ないことになった。
 開発型企業であるため、フランチャイズパツケージの改訂、メニュー改訂は日常のように行っているが、このような変化に対して直営店からは何一つ苦情は上がってこない。数少ない加盟店から苦情が一杯来るものである。スーパーバイザーが先生のようになっていく。会社が発展するためには職務分担型の考え方が必要である。

3. フランチャイジーの声を聞く

 今の繁盛が永く続く筈がない。現場からの様々な苦情が無ければ、新しい発想が出来ない。そういう意味でフランチャイジーからの情報は非常に大切である。ジーの言葉に影響を受けないと、会社の発展は無いと思う。
 私は直営店の多いことは、フランチャイズを展開する上で誇りだと思っていた。しかし、フランチャイズ展開を始めて、次の条件が絶対必要であることが判った。
①ビジネスが儲かること。
②情報開示を積極的に行うこと。
③ジーの質問に素早く答えること。
④ジーから言われる前に対案を示すこと。
私は本部が改善するのが当たり前と思っている。ジー候補からは「改善する」と言うのは「成功事例がないから」ではないかと言われてきた。確かにKFC、
マック、ミスタードーナッツの基本は変わっていない。
 私は基本フォーマットも変えることも場合によっては必要であると思っている。KFCはチキンの食べ方を教えてくれた。同様にマックはハンバーガーを日本人に教えた。日本人にとっては未知の新商品であった。
 しかし、焼肉もラーメンも子供の頃からあった。これで商いをするためには、ローカルマーケッテイングをやらざるを得ない。看板商品が変わり、基本コンセプトが変わることもある。
 私はフランチャイジーの声はおっかないが聞くことにしている。それによって基本さえ代えることがある。フランチャイジーは社内のディスカッションに参加できる仕組みになっている。これでは権威が保てないという意見もある。SVが自信を持って指導できないと言う意見もある。こういった意見を防ぐために、自社のやっていることは次の2つである。
徹底的な情報開示   社員のほこりになる。
本部が絶対ではない  本部が無くなっている事例が多い。

4. 社長の思い

 業態開発とは意思決定の連続である。正解はない。勘の中でやっていくものである。リスクを取って、意思決定するのが社長の仕事である。
 朝礼暮改は当然のことである。優秀なリーダーは朝礼暮改を平気でやる。社員には、自社は開発型企業と思い込ませることが必要である。
 開発型企業であるためには、精神生活が豊かで、全社が一体化している必要がある。
 最後に、フランチャイズ化をしたことについて述べてみる。
私はいい経験をしたと思っている。「食べ物屋」が「システム化」された。
フランチャイズビジネスは魂が失われない。
改めて、フランチャイズビジネスを始めて良かったと思っている。

お断り
 本稿は平成16年7月20日に名古屋市で行われた、(社)日本フランチャイズチェーン協会、7月度の月例セミナーの講話を基に原稿にしたものであります。講師はサークルケイ・ジャパン㈱常務取締役・石原彰様、物語コーポレーション㈱代表取締役社長・小林佳雄様であります。本稿は、フランチャイズエイジ9月号に概要が掲載されますが、ほぼ忠実に当日の講話を再現するのも意義のあることと考え「フランチャイズ時評」に採録しました。(なお、文責はすべて黒川が負うものであります)


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