フランチャイズ時評バックナンバー

黒川孝雄の美

“ひばり”は再びさえずるか

 野村プリンシパル及び英CVCのファンドによる、“すかいらーく”創業家の横川竟社長の解任劇があって約1ケ月が経過した。この間日経新聞、日経MJ、各社新聞紙、及び日経ビジネス等で頻繁に記事として取り上げた。ほぼ意見も出尽くした感じがするので、このFC市場レポートで“すかいらーく”の歴史にまで遡って、この事件の経緯と見通しについて意見を述べてみたい。(但し、筆者の主観によるものであり、歴史等についても思い違いや、間違いが多々あると思うので、ご寛容願いたい。)

Ⅰ すかいらーく 小史

 横川4兄弟(横川端氏 茅野亮氏、横川竟氏 横川紀夫氏)は、次男の茅野氏(養子先の苗字)が中心となって、昭和37年に「ことぶき食品」を設立した。今で言えば食品スーパーである。4人が、25万円づつ出資して有限会社を作り、ひばりが丘団地近くのマーケット内に「ことぶき食品1号店」を出店した。朝7時から夜11時までの営業時間で、近所の評判も良かったと言う。
 店も6店に増え、売上高が3億円を記録するようになったのは、昭和40年代の始めごろである。しかし、大手スーパーが、大型店をことぶき食品の営業地域内に次々と出店してくると、そのドミナント作戦は、ことぶき食品の土台骨をゆさぶり、小資本力では限界があった。まさにピンチであった。

 「何か手を打たなければならない」と考えた4兄弟は「フードサービス」に興味を持った。日本には、まだ形態すらないチェーン展開が、アメリカにはあるという。ペガサスクラブを主催する渥美俊一のレポートで、4兄弟は知った。「ことぶき食品は、流通業の変革に5~6年乗り遅れた。だが飲食業は、日本ではこれからだ。日本にも飲食業のチェーン化の時代が必ず訪れる」ペガサスクラブが主催するアメリカ視察旅行に茅野と横川紀夫が参加した。44年の夏である。そこで見たものは、コーヒーショップをはじめとする多様な飲食業である。「10年後には、日本にもこの時代が来る」と確信に近いものを持った。横川端、横川竟もこの時期アメリカに行き、外食産業(まだ日本にはこの言葉はなかった)とはどんなものかを確認してきた。決断すれば動きは早い。食品スーパーからレストランへの転換が、1970(昭和45)年はじまっている。(以下年号は西暦とする)

 1号店がオープンしたのは、70年7月7日であり、すかいらーくの幕開けの日である。国立の甲州街道沿いに開業し、店長は紀夫氏であった。
 常識を破ったレストランとして客の注目を惹いたのか、初日は15万円を売上たそうである。いままでにないタイプの郊外型レストランであり、建物もお洒落である。料理も洋風で安い。広い駐車場があり、新しいクルマ族にはぴったりだったのである。 「我々の選択、決断は間違っていなかった」と4兄弟はうなずき合ったのである。70年から71年に掛けて国立、国分寺、小金井と3店を出店した。しかし店舗には専門のコックを置いて、いわば職人芸の世界であった。72年に国分寺店に集中加工処理場を作り、一種のセントラルキッチン方式を採用した。

 1号店が順調の伸びるのに、2号店、3号店は必ずしも順調ではなかった。そこで、4兄弟は他業態を通してチェーン展開のノウハウを学ぼうとした。73年5月に国分寺でミスタードーナツの加盟店となりオープンしたが、開店直後はともあれ、その後はジリ貧となり、結局2年後には閉店する羽目になった。

 72年には「ことぶき食品」を完全に撤退し、すかいらーくの多店舗化にすべてを掛ける決断をした。しかし、78年に8店舗、売上高5億円となったが、78年末には石油ショックの年であり、4兄弟は「価格凍結宣言」を行い、ランチ480円を据え置いた。これは画期的なことであり、まだ三多摩地区の一部で細々と展開する飲食店が、未曾有の石油ショックに価格凍結で立ち向かう姿は、多分水車に向かうドンキホーテのように見られたであろう。
 しかし74年末には12店、売上高10億円と倍増、75年には20店で21億円となった。「月刊食堂」では、すかいらーくをしばしば取り上げるようになり、少なくとも飲食業界では注目される企業になりつつあった。

 社名を「すかいらーく」に変更したのは74年11月である。4兄弟が非凡であったことは、77年に埼玉県東松山に300店舗をまかなえるセントラルキッチンを創ったことである。着工当時、店舗数34店、売上高30億円の外食企業(この頃外食という言葉が一般に用いられるようになった)が、東松山に30億円の投資を行ったのである。当時、非常識な投資と言われた。
 外部には秘密工場として見学を認めなかったが、筆者は当時の横川竟専務に頼み込んで、見学をさせていただいた数少ない部外者である。工場は、大きな鍋、釜で、ラインはハンバーグの製造工程のみであり、一般の食品工場を見慣れた筆者には異様な光景であった。ご案内いただいた工場長(味の素出身者)は、「外食業のメニューは頻繁に入れ替わり、ライン製造にすると変化に対応できない」と説明されたことが特に印象に残っている。それは、ファミリーレストラン(以下FR)の最大の売り物が「ハンバーグ」であり、それは35年後の今日でも変わっていないのである。

 東松山にセントラルキッチンを創った先見性は、その後FR戦争と言われた時代に大きく飛躍する基礎となり、79年のすかいらーくは195店、ロイヤル153店、デニーズ105店で「店舗数が企業の格差」を証明する時代となった。
 企業が世間から一流企業と目されるには株式公開が一つの手段であった。すかいらーくは78年7月、東京店頭市場に登録された。初値は3100円であった。82年に東証2部、84年6月には一部へ昇格した。正に外食産業トップの地盤を固めた。

 ジョナス(店名ジョナサン)、藍屋、イエスタディ、バーミヤン、カントリーファーム、フロ、ニラックス等多業態を展開していくことになった。
 すかいらーくが外食産業売上高ランキングに初めて登場したのが79年であり、7位に入った。81年には第3位、86年にはマクドナルドに次いで2位となった。
 87年度のすかいらーくGの売上高は1227億円、経常利益123億円であったが、その年茅野社長は「10年後には“1兆円企業”を目指す」と大目標を掲げた。横川紀夫専務は「FR業態で5000億円、後は持ち帰りや宅配、食にかかわる付帯事業と海外での売上で、十分可能な数字」と説明している。 88年夏には、茅野社長は「すかいらーく1兆円構想=グループ長期戦略“CRC21(チャレンジ・レボリュウション・コングロマリット21世紀)」を正式に決定した。(綱淵昭三著「すかいらーく人間活性化の現場」を参照)

 88年夏という時期に注目していただきたい。日本経済は後世バブル経済と呼ばれる、異常な膨張期にあった。すべての企業が異様に高潮する気分の中で、中期経営計画や長期経営計画を発表し、実行していった時代であった。
 この狂気は、後日再現する。
 その後のすかいらーくの歴史を簡単にまとめる。90年代のバブル崩壊期にすかいらーくは2年に亘って大幅な赤字を計上した。2001年にプロパー社員の伊藤康孝氏が社長に就任したが、4兄弟は取締役として君臨していた。03年には4兄弟は揃って取締役を退任し、最高顧問に就任した。但し、横川竟氏は、(社)日本フードサービス協会(JF)の会長に就任した関係で、ジョナサンの代表取締役会長の地位についていた。JF会長を3年間務めた後、ジョナサンの会長職を退いた。名門すかいらーくは、生え抜き社員の伊藤康孝社長に経営を任せる形となった。

Ⅱ 伊藤社長の登場

1. 伊藤社長の時代の経営成果

 2001年1月にすかいらーく社長に就任した伊藤康孝社長は73年入社の大卒1期生であり、すかいらーく労働組合の初代組合長でもある。伊藤社長時代の事業経営上の成果を、すかいらーくの企業情報・沿革より拾い出してみる。

2001年1月  伊藤康孝新社長就任
3月  グラッチェガーデンズ1号店オープン
12月  沖縄1号店 ガスト那覇新都新店で全国47都道府県制覇
2002年2月  株式会社すかいらーく2000店(バーミヤン)達成
11月  八福1号店オープン
2003年11月  ガスト1000店達成
2004年7月  株式会社ジョナサンを100%小会社化
5月  株式会社小僧寿し本部の株式取得(30.04%)及び資本業務提携締結

 横川4兄弟が最高顧問に就任しており、どこまで伊藤社長の真意であるかは分からないが、沿革を見る限り、従来の「それ行けどんどん方式」であり、特記するならば、小僧寿し本部との資本提携及び業務提携であろうか。
経営成果は、決算に端的に出るので、決算短針を見てみる。(06年度は新聞)

年  度 売 上 高 前年比 経常利益 前年比 最終損益 前年比
2001 3667億円 5.5% 243億円 ▲8.3% 58億円 ▲40.0%
2002 3817億円 4.1% 248億円 1.6% ▲12億円  
2003 3732億円 ▲2.2% 184億円 ▲25.5% 48億円  
2004 3834億円 2.7% 197億円 7.2% 73億円 52.1%
2005 3794億円 ▲1.1% 185億円 ▲6.4% 67億円 ▲8.9%
2006 3968億円 5.0% 158億円 ▲14% ▲111億円  

 6年間の間に、売上高は108.2%、経常利益は65%であり、売上高よりも経常利益の減少が大問題であり、最終損益のブレも大きい。これは会計整理上の減損処理によるものと思われ、すべて伊藤社長の責任にする訳には行かないだろう。むしろ、その前の投資を決めた4兄弟の責任が大きいのではないか。

 また、沿革には出ていないが、すかいらーくの新人事制度の発足と確定拠出年金制度の導入は、いずれも伊藤社長の時代に完成したものであり、外食業としては特筆すべき出来事であった。(「飲食店経営」02年11月号「すかいらーくの成果主義と確定拠出年金制度研究」黒川孝雄他)

2. 再び拡大志向を発表

 伊藤社長時代にすかいらくは、かってバブル時代に宣言した売上高1兆円構想を発表している。(日経MJ・05年2月21日)すかいらーくは2009年(5年後)をメドにグループ売上高1兆円を目指す中期事業計画を発表した。

 1兆円の内訳は既存事業5500億円。提携やM&A、海外進出など新規に取り組む事業が4500億円とした。伊藤康孝社長は「中食やファストフードに対する顧客の反応はよく、効率経営に磨きをが掛かれば一気に出店する」と説明している。04年度の売上高は前出の通り3834億円であり、計画実現のためには売上高規模は2.6倍に拡大する必要がある。
 外食産業は1997年の29兆円を最後に、低落の一途をたどり、2005年ごろには24兆程度で、5兆円の規模縮小の過程であった。勿論、アメリカの上位10社の集中度と、日本の外食上位10社の集中度は大きな開きがあり、アメリカ並みの寡占度が実現すれば、可能かもしれないが、当時の一般的受け取りとしては、「夢のまた夢」というのが実感であった。
 日経MJ05年3月28日は、次のように結んでいる。
 「伊藤社長の1兆円構想は業界内でも実現に首をかしげる関係者が多い。不採算店舗の閉鎖など大掛かりなリストラを終えたすかいらーくがどのような形で構想実現へ踏み出すのか、次の一手がいよいよ注目される」(中野圭介氏)

Ⅲ 創業家横川竟氏が取締役会会長兼CEOに就任

1. 創業者のトップ復帰

 「外食最大手のすかいらーくは創業者の一人で元会長の横川竟氏(68歳)が取締役会長兼CEOに就任する人事を固めた。社長の伊藤康孝氏(56歳)はCOO(最高執行責任者)を兼務するが、事実上トップの座を譲る」と日経新聞は、突然報道して業界の話題を浚った。(日経新聞06・1・13)
 横川氏は同日会見し、「目標としている2009年度のグループ売上高1兆円達成に向け、伊藤氏からの就任要請を受けた」と発表した。その時期(社)日本フードサービス協会の会長も勤めており「自分の持つ豊富な人脈と情報を活用し、今後はM&Aを積極的に仕掛ける」とも述べている。

 この2009年度1兆円構想は伊藤社長の時代に発表されたものであるが、この記者会見で明らかになったことは、この構想はすかいらーくの最高顧問を務める横川4兄弟が強力に推進した構想であったことが判る。
 日経新聞06・1・14は、前日の記者会見を更に詳しく伝えている。横川氏は「今秋に持株会社を設立し、2005年12月期に約4300億円のグループ売上高、09年12月期までに外食企業として初めて1兆円とする構想を示した。既存のFR事業を5500億円,M&Aや海外事業で4500億円を稼ぐのが目標」と説明し「グループが大きくなったいま、内と外の責任を分けて経営に当る」とし、伊藤康孝社長が既存事業、横川会長が新規事業を分担していく考えを示した。M&Aは「中食」や高級店、介護関連の業態が標的になるとみられる。
 「異例の人事の背景には外食産業の先行きに対する創業家の強い危機感がある。05年12月期は減収、かつ2期振りの減益となる模様。既存店売上高は10年前の80%程度に止まっている。自身の任期については理想的には1期2年、最長でも2期4年とし、道筋を付けられれば、若い人に道を譲りたい」と話している。

2.  横川竟会長兼CEOの実施したM&A

 横川会長は06年3月30日の株主総会で、代表取締役会長兼CEOに就任したが、1月以降は横川氏主導ですべてのことが決定されたと考えるのが妥当であろう。

 すかいらーくは3月15日、関西を地盤とするFR中堅のトマトアンドアソシエーツ(大阪府吹田市)を買収すると発表した。トマト社は「トマト&オニオン」の店名で約90店を展開し、焼肉店を含めて112店を持つチェーンである。トマト社の売上高は82億円(05年9月期)、店舗売上高は153億円(同時期)で,FC店は48店舗であった。買収費は約17億円弱とされている。FC契約はそのまま継承する。すかいらーくGは直営主義できたが,FCについては学ぶべき点が沢山あると述べている。(日経新聞夕刊06.3.15)
 また4月3日、すかいらーくは小僧寿し本部を子会社化するため、TOBを実施すると発表した。伊藤時代に既に発行済み株式の30%を取得しているが、新たに最大52億円を出資し、65.6%まで買い進める。買付け期間は5月1日まで。取締役4人のうち、2人をすかいらーくから派遣しており、当面このバランスで良いと考えていると述べた。しかし、1兆円構想に対してはいずれも小さくて、到底大型M&Aと言えるものではない。(日経MJ06.4.5)

Ⅲ  すかいらーくが国内最大のMBOを実施、株式非公開へ

1. MBOの発表

 日経新聞(06.6・8)の「すかいらーく、株式非公開へ」の一面の記事は外食業界には大きな衝撃を与えた。
 「すかいらーくは6月8日に臨時取締役会を開き,MBO(経営陣が参加するM&A)の実施を決める。横川竟会長ら創業一族と経営陣は特別目的会社(SPC)を設立,SPCがすかいらーくのTOBを実施する。SPCには野村プリンシパル・ファイナンス(NPF)、英投資ファンドのCVCキャピタルパートナーズ(CVC)が出資する。2社の出資額は1600億円程度、買付け価格は1株2500円。期限は8月上旬の見込み。まず発行株式の3分の2まで買付け、その後TOBに応じなかった少数株主から株式を買取る方法を検討している。」(日経新聞06・6・8)
 この時になって初めて横川竟会長の再登板の真相が明らかになった。日経MJ06・6・12は一面で「創業家、外食の夢描き直し」「すかいらーく、苦渋のMBO」の見出しで、次のように書いている。

 「ドラマは昨夏(05年夏)、二つの舞台で幕を開けた。8月、企画や財務の役員らが集まる経営会議で、議長の伊藤康孝社長に、ある役員が注文を付けた。今秋(05年秋)の持株会社発足に向け議論を重ねる中で、伊藤の手腕に強い危機感を抱いての発言であった。その前後に4兄弟が開いた「オーナー会議」で、すかいらーくの株価がなかなか上向かない歯がゆさと会社の未来に対する不安心理が経営会議のメンバーと4兄弟を互いに接近させた。MBOに先行して動き出したのは、創業家の経営復帰である。当初は強く反対していた伊藤社長も、師匠に当る茅野亮が説得し、最後は伊藤社長も首を縦に振らせた。経営改革が具体的に動き出したのは昨年秋(05年)MBOのほか、大手商社に創業者株を売却する構想等も話し合われたが、最後にMBOを決断したのはFR事業を短期間で大幅に改革する“集中治療”への近道と判断したからである。MBOが成立した場合、4兄弟のすかいらーくへの出資は1%未満になる見込みである。事業の再構築がなり、再上場が実現した際は社員が安定株主になる道を探るというのが新すかいらーくの真意である。4年でファンドの求める答えが出なければ、経営陣は一掃される。退路を断って取り組む経営改革への覚悟を4人はMBOという選択に込めた」(中野圭介氏)

 横川会長が目指す事業は次のようなものであった。「今の業態はどれもFRだが、これからは『100円から1万円までだ。』ディナーレストラン、居酒屋、ステーキハウス、焼き肉屋、丼など他社にあって我々にないものは自社開発か,M&Aかは議論するが必ず手がける。また各地のローカルチェーン店、旬の素材しか売らない店などもあり得る」
 狙いは間違っていないが、果たしてどこまで実行できたであろうか?
 06・7・12日経新聞には、横川会長は次のように述べている。

 「売上高の9割強を占めるFRを6割に抑え、夕食が主の少し高級なレストラン「ファミリーディナーレストラン」が2割、新規事業を2割にしたい。新規事業は高齢者向けの商品の宅配や惣菜販売、居酒屋や天ぷらなどを用意する。4年程度で経常利益を2倍の400億円程度に高め、再上場を可能にするのが目標である」
「資産管理会社はグループの食材調達機能を担ってきたほか、すかいらーくの成長過程で資金面などで支援もしてきた。同社の返済金の借入れ金の返済のため、創業家の保有するすかいらーくの株式の売却を考えたのは事実だ。新会社への創業家の出資額は10億円で全体の0.6%。もはや創業家の会社ではない」 「私は投資ファンドに経営を委託されたと考えており、創業4兄弟の代表というつもりはない」
 この時期の記事では、横川会長の再登場の背景が外部からも透けて見えるような記事が多い。
 また、すかいらーくは06年7月11日に、次のように発表している。MBOに伴うTOBは、約1万8千8百の株主から株式の94.38%に当る約1億2百60万株の応募があった。SPCは1株2500円で買い取り、買い取り資金は約2千5百65億円。TOBに応じなかった株主の株式も現金で買い取り、全株を取得する。2006年9月に株式上場を廃止した。(日経新聞06.7.12)

2. 横川会長が社長を兼務する 

 横川竟会長が07年1月1日付で社長を兼務し、伊藤康孝社長は代表権を持つ副会長として中華業態「バーミヤン」の立て直しに専念する経営体制を06年12月3日に発表した。
 一方、全額出資小会社のビルディを07年1月1日で吸収し、事業はガストカンパニーに移行する。伊藤氏は92年のバブル崩壊期に低迷していたバーミヤンのトップに就任し、グループ屈指の収益事業に育て上げた実績があった。バーミヤンの利益が50億円に低迷する中で、100億円を稼ぐガスト並みの勢いを取り戻せば、ファンドが求める400億円超の利益目標に近づくという見通しであった。(日経新聞06・12・4)とは言え、伊藤氏の処遇は実質的には降格であり、このことが後日破綻の原因となる。
 今一つ特記すべき出来事は07年2月1日付けですかいらーく創業の原点であるFR「すかいらーく」の事業責任者としてロイヤルホルディングスの元執行役員の梅谷羊次氏(60歳)を迎え入れた。160店舗に減少したとは言え、競合他社から役員級の人材を招くには初めてであり、“サプライズ人事”として社員に受け入れられたであろう。これは「すかいらーく」を夕食主体の客単価1200円~1500円と同社では高級な業態に転換する目的であった。
 競合出身者への社内の抵抗感は小さくなかったが、「身内だけで凝り固まっては再生は不可能」とする横川会長の意見であった。
 この人事も後日破綻の要因になったのではなかろうか。

3. 業績不振が表面化

 MBOで非上場となったすかいらーくの2006年12月期の連結業績は急速に悪化した。(伊藤社長の項で示した実績)
 売上高こそ、小僧寿し本部の連結等により5%増の3968億円となったものの、経常損益は前期比14%減の158億円となり、連結最終損は111億円となった。不振既存店約750店を一気に減損処理したことなどにより、299億円の特別損失を計上したからである。(日経新聞07・3・17)

4. 再上昇へ向けて

 総額2700億円超に及ぶMBOを実施して1年が経過したころ、すかいらーくは人件費や地価の上昇、レストラン需要の低迷という逆風の中で、事業の再構築に挑んでいた。
 「再上場のカギは8割程度、バーミヤンが握る」横川会長は言い切る。バーミヤンの営業利益が01年の70億円に比べ約3割減っている。
 02年に出店を始めた「ごはんや八福」は最多期に約30店あったが、07年5月までに全店閉鎖した。惣菜販売は「フロジャポン」と「小僧寿し本部」に集約する。既に2店出店している宅配専門店AFDの出店は拡大する。駅前が多い「ビルディ」全70店を知名度の高い「ガスト」に転換する等再上昇へ向けて様々な手が打たれた。
 しかし、ファンドの希望は2500円で買取った1株当りの価格を3千円程度にして再上場することが目標である。このため06年12月期に158億円だった経常利益を3~5年の間に約4百億円まで引き上げる「U字型回復」のシナリオを描いている。
 しかし、現実にはパート社員の人件費高騰、家賃の高騰、原材料価格の高騰が続き、思うように進捗しなかった。

5. 伊藤副会長の退任と業績悪化

 伊藤康孝副会長(57)が07年8月31日付けで退任する人事を発表した。「本人からの申出でを受けた」もので、9月1日付けで特別顧問に就任することになった。伊藤氏は07年1月から「バーミヤン」の事業責任者となったが業績が回復せず、その責任をとるためと見られる。体調不良も影響したようである。(日経新聞07・8・22)この、退任人事も後日破綻の要因となる。
 すかいらーくの07年6月中間期連結決算は07年8月末日に発表された。子会社の小僧寿し本部を通じての発表であった。
 売上高は7%増しの1984億円であった。最終損益は17億円の赤字であった。不振店100点超の閉鎖や約70店の減損処理で、61億円の特別損失を計上したことが響いた。(日経新聞07・9・1)08年12月期の最終損は130億円と前の期よりも膨らんだ。

6. ファンドの影響力高まる

 06年のMBOで支援を受けた(実は主役である)NPFから新たに副社長と専務の常勤取締役2名を受け入れた。08年1月24日の臨時株主総会で取締役選任を受け、その後の取締役会で決定する。非常勤取締役であった三神行夫氏(NPF執行役)が取締役副社長に、専務取締役には金谷実氏(NPF執行役)が就任し、財務・経理を担当する。(日経新聞08・1・24)
 すかいらーく社内からは、ガスト等を担当する相原敏明常務執行役員第一営業本部長と、鬼沢修・ブランドすかいらーく責任者が取締役に就任した。(日経MJ08・1・25)

Ⅳ 横川社長の退任要求とその背景

1.  突然の退任要求と事前のファンド側の準備

 NPF、CVCのファンド2社は、既に着々と横川社長退任の準備を行って来た形跡が見られる。まず、今年1月下旬に野村が横川社長と直談判をして、取締役8人のうち5人をファンド側の人間に切り替えていた。
 その上で7月9日にファンド2社が横川社長に退任を求めたのである。横川社長は攻めの人であり、外食業界では屈指の理論家であり実務家である。「業績の底打ち感も出ている。納得できない」と強く拒否し、やり取りはは20数回に及んだが溝は埋まらなかったようである。
 ファンド2社は7月23日に取締役会を開き、8月12日に臨時株主総会で横川社長を解任することを決めた。

ファンドの持株比率  
 野村プリンシパル  61.59%
 英CVCキャピタルパートナーズ  35.66%
 小計  97.25%
 横川社長ら経営陣  0.48%
 従業員の出資(約1640名)  2.27%(推定)
 銀行団(みずほ、新生銀行等)すかいらーくへの融資  2000億円

 ファンド側は横川社長の退任とともに、財務健全化に向けた増資策を計画し、後任社長としては谷真常務執行役員を充てることであった
 解任の理由は業績の悪化である。2006年12月期の最終赤字は111億円、2007年度は130億円の最終赤字、今期に入っても業績は上向かず、3期連続の赤字が視野に入ってきたことである。
 しかし、横川社長を退任させるには幾つかの融資契約に盛り込まれた条項がからんでいた。
 一つは社長の退任には銀行団(約2000億円の融資)の了承が必要であった。二つ目は「すかいらーく」の業績がある時点で一定水準を下回ると、投資会社の持つ株式が銀行団に担保として移る契約がある点であった。
 この二つの理由から野村などに残された時間はなく、このことが性急な解任劇に走らせた真の原因である。
 横川社長は時間が掛かってもリストラ策を着実に進め、銀行団の理解を得ようとする立場であった。
 両者の駆け引きが表面化したのは、08年7月30日の新聞紙上であった。日経紙は第一面に「すかいらーく業績不振、創業家社長に退任要求」として、ファンド側と横川竟社長の対立を明らかにした。横川竟社長は店舗閉鎖などで業績回復が見込めるとして続投の意向を銀行団に示した。
 銀行団はその時点では、中立的な立場を取っており、有効な再生策を出した側を支持する見通しであった。(日経新聞、7月30日)

2. 横川竟社長の対抗策

 横川社長は8月3日、日経紙の記者の取材に応じ、サントリーへの出資要請をしており「条件は役員派遣と自分の続投」と明らかにした。交渉中の出資額は数百億円規模と認め、「サントリーとは相乗効果もある」と述べている。(日経新聞、7・31)この段階でサントリーの社名が出ることに不明感を持たれる方のために一言付け加えると、「サントリー」はすかいらーくの創業以来の取引先であり、横川社長が一番信頼できる企業であったのであろう。
 事実サントリーの佐治信忠社長は31日に出資要請を認め「増資するとなれば数百億円規模になるだろう」と述べている。しかし、日経紙は横川案には二つの障害があるとしている。
①まず、ファンド側が横川氏留任を認める必要がある点
②ファンド側は他社の出資に消極的と見られ、ファンド側が過半数を占める取締役会で承認されかどうかは不明である。(日経新聞、7・31)

3.決め手はすかいらーく労働組合の新体制支持の表明

 すかいらーく労働組合は7月4日、ファンド2社が横川竟社長の退任を求めたことに対し「新体制を機に職場環境が1日も早く変化することを望む」との見解を表明し、事実上谷真常務執行役員を後任とするファンド2社の新体制案を支持した形となった。
 労組は横川体制で、長時間労働などの労働環境の抜本改善策が取られなかったことを新体制支持の理由に挙げた。(日経新聞、08・8・5)
 記事として小さな記事であったが、今回の解任劇の最大のインパクトであったと思う。新聞紙上では、長時間労働などの労働環境の改善策が進めなかったことを理由に挙げているが、それが一部の意見であろう。横川社長は、店長経験10年以上の人には、フランチャイジーとして独立させ、「希望の店舗を任せる。規模は1千人程度」という壮大なフランチャイズ計画を労働組合に示したばかりであり、事実ジョナサンでは従業員独立制度は成功しており、既に50人程度のフランチャイジーが生まれており、希望者も70名程度いると伝えられている。むしろ、横川退任を労組が支持した理由は別なところにあるのではないだろうか?
 案外、ロイヤルの梅谷羊次氏の起用、伊藤康孝元社長(初代労働組合委員長)の退職、もつとはっきり言えば、横川竟会長兼CEOの返り咲き等人事に対する不満の屈折があったのではなかろうか?

4. 退任要求の背景

 これは言うまでもなく業績の悪化である。2006年度の最終赤字111億円、2007年度の最終赤字130億円、更に2008年度も赤字が視野に入ってきた。なぜ、これほど大きな赤字になったのであろうか?
 新聞が伝える事情に私見を交えて述べてみたい。

① FRという業態の不振
 事実、ロイヤルホスト、デニーズの業績も悪い。FRという業態の陳腐化、乃至ファミリーという客層の消失、時代不適応等の理由が挙げられる。

② 外食業全体の市場規模の縮小
 97年の29兆円の市場規模を頂点として、外食の市場規模は減少し、直近では24兆円程度で、5兆円程度の市場が無くなっている。これは、コンビニ等の中食に市場を奪われたことが要因の一つであるとされる。

③ 外部環境の悪化
 飲酒運転に対する取締り強化、ガソリン代の高騰、原材料価格の想定外の高騰等外部環境の悪化が、外食市場を直撃している。

④ 1兆円構想の非現実性
 繰り返し述べてきたが、バブルの頂点で茅野社長が発表した1兆円構想(88年CRC構想)が、伊藤社長の時代(05年)即ち15年後に復活し、更に横川竟会長兼CEOの復帰第一声が「目標としている2009年度のグループ売上高1兆円達成に向け、伊藤社長からの就任要請を受けた」(日経新聞夕刊、06・1・13)であった。
 この狂気の時代に生まれた1兆円構想を茅野、伊藤、横川と3代の社長、会長が言い続けたことが、すかいらーくの大型赤字の一つの要因であった。

⑤ 人件費の高騰
 パート・アルバイトの人件費が高騰した。都心部では時給1200円でもアルバイトが集まらないと言われている。これは想定以上の高騰であった。

Ⅴ  新体制の発足と今後の見通し

1. 新体制の発足

 08年8月12日に、すかいらーくは臨時株主総会を開催した。株主総会は午後5時から始まり、わずか8分で終了した。ファンド側2社が出席したが、横川竟社長の姿はなかった。総会では横川社長の解任(退任ではない。本人の意思で解任された)と谷氏の取締役選出を可決し、その後の取締役会で谷氏が代表取締役社長に就任した。
 谷新社長は、記者会見で次のように抱負を述べている。
①小僧寿し本部などグループ会社の売却の検討
②500人規模(グループ全体の7%)の人員の削減
③地方にある中華の「バーミヤン」や和食の「夢庵」など200~350店規模の店舗閉鎖する。
④増資は300億~400億円規模で、まず野村に相談する。

 これは抱負でもなければ、夢でもない。徹底的なリストラ、店舗閉鎖、野村ベッタリ体制を表明したのみであり、これで果たして「大すかいらーく」の再生が出来るのだろうかと不安を感ぜずにはいられない。なお、新体制の発足に併せて取締役でジョナサンの社長も努める鬼沢収氏が退任した。

2. すかいらーくはこれからどうなるか?

 浅学菲才の筆者が意見を述べるにはあまりにも大きな課題であり、精々仮定の意見を述べる程度のことである。
①業態毎にバラバラにして売却する
 この意見が外食産業の社長層には一番多い。バラバラに売却しては随分安く叩かれることになるだろう。この選択肢はすかいらーくにとって最悪のコース。
②再上場
 徹底した店舗閉鎖とリストラを行えば、例えば経常利益100~150億円程度に回復することがあるかも知れない。そこで再上場するのが最善の方法であろう。しかし、株価は、MBOで購入した1株2500円の半分にも達しないのではないだろうか?特に最近の世界的株価の低迷を見ると、その感を一層深くする。

3. 責任は誰が取るのか

① 当然MBOを仕掛けた野村と英CVCの2社の責任である。大勢のファンド投資者に対しては、2社がしかるべき説明と責任取ることになるだろう。
②融資をした銀行団の責任
 みずほ、三菱UFJ、三井住友、新生、農林中金の代表5行の責任は重い。横川竟社長の解任には最後まで態度を明確にしなかったと伝えられるが、その無責任な態度は融資額2000億円の焦げ付きとなり、各行の株主総会で大問題になるだろう。

4. すかいらーくはどうなるか

 株価が下がっても良いから、是非再上場してもらいたい。従業員独立制度を成功させれば、また新しい道が見えるであろう。そこに一縷の望みを託したい。

5. 横川兄弟は最高顧問を辞職

 横川竟社長の解任に伴い、創業家の3兄弟は8月31日付けで同社の最高顧問を辞職した。この辞職により、創業家は経営から完全に離れることになった。但し、すかいらーくの株式0.48%は保有を続ける見込みである。(日経新聞、08・9・3)

Ⅵ MBOは今後どうなるか

1. 「すかいらーく」はMBOとは呼べない

 先に明らかにした通り、横川4兄弟の株式持分は、05年の段階では18%に登り、この比率が維持できていれば、MBOと呼べたであろう。
 しかし、創業家の資産管理会社は「すかいらーく」の発展段階で資金調達の機能も果たしており、06年の段階で600億円の負債を抱えていたと言われる。
 これはMBOではなく、野村及び英CVCによるTOBであり,MBOとよぶべきではなかった。横川4兄弟の持分は、わずか10億円、0.48%と伝えられている。これではMBOとは言えないであろう。正に、横川竟会長が最初に述べた通り、「野村に雇われただけ」の関係である。
 このように見るならば、この一連の事件は、横川竟社長という極めて有能で創意溢れる経営者を、野村が無謀にも見放しただけのことであり、ファンドが責任を取るのは当然である。

2. 日本ではMBOが育つ環境ではない

 奇しくも、同じくMBOで牛角等を経営するレックスHDの少数株主の株式買取価格を巡り、9月12日に東京高裁は株主側の意見を認め、株式の買取価格は1株約33万円を公正な価格とする決定をした。裁判長は、判決文の中で、「MBO実施を念頭において、決算内容を下方に誘導することを意図した会計処理がされたことは否定できない」と判断している。
 筆者はMBOは最大の「インサイダー取引である」と考えている。MBOはいまだ日本には定着していないと見るべきであろう。

本文の無断引用は禁止いたします