「ふつうの系譜(4)」

4月14日より後期展示会が始まった。せいぜい100点程度の展示であるから、一度に済ませばよいものをと思うが、美術館としては2度訪れる人もいるとの思惑か、あるいは貸し出す敦賀美術館の都合か知らないが、とにかく2回に分けて50点ずつ展示とは、いかにも面倒であり、また江戸時代初期から明治時代初期までの歴史を辿ることになる。「奇想があるなら普通もある」という、展示会のコンセプトに興味を感じ、2度見学することになった。特段、後期に名品が多い訳ではなく、作者も似たり寄ったりのメンバーである。何故2回に分けたのか、見学者としては、実に面倒であり、意味が無いように思う。次回以降は100点程度の展示ならば、1回で済ませてもらいたい。

伊勢図  土佐光起作   江戸中期

土佐派は室町時代から宮廷の繪所預(専属で絵画制作を行う工房の長の職)として代々引き継がれていったが、戦国時代に土佐光茂の息子が戦死し一時断絶してしまう。土佐派に伝わる技法や資料は光茂の弟子である土佐光吉が引き継ぎ、堺を拠点に活動した。こうして皇室専属から離れた土佐派が、土佐光起の時代に再び絵所預に任命されて京に戻り、復興を果たした。光起は伝統のやまと絵の画風を守るだけでなく、中国画や狩野派の技法を取り入れて様々な作品を生み出した。清少納言は「枕草紙」の第151段に「うつくしきもの」の中で「なにもなにも、ちいさきものはみなうつくし」と、小さいものは皆かわいらしいと述べているが、現代の私たちも、小さく繊細なものに心惹かれるものである。「伊勢図」は、雛人形のような小さく愛らしい女性が滝を眺めている。山の木々や滝は水墨でシンプルに描かれている一方、女性の色鮮やかで華やかな衣装に目が惹き付けられる。これは「古今和歌集」巻台17「龍文にまでうでたきのもとにてよめる 伊勢/たち縫わぬきぬ着し人もなきものを なに山姫の布さらすらむ」をもとに絵画化している。

隅田川図  浮田一薫作   江戸中期

「隅田川図」の題材は、やまと絵の世界の定番「伊勢物語」。都から失意のうちに東国に下ってきた主人公の男の一行が、武蔵国の隅田川にやって来たところである。川のほとりにみなで座って、遠く来てしまったなあと嘆き合っていると、渡し守が、日が暮れるから早く船に乗れと云う。その時、白くて鷺の足が赤い、鴨ほどの大きさの鳥が、水の上で魚を食べていた。都では見ない鳥なので渡し守に尋ねると、「都鳥」だと答える。そこで主人公の男は「名にし負わばいざこととわぬ都鳥、わが思ふ人はありやなしや」と、都に残してきた人を思う歌を詠んだ。人間の姿が小さい。まるで、みんなで「伊勢物語」ごっこをしてかのようだ。

朝陽鷹図 狩野探幽作   江戸時代初期

「朝陽鷹図」は朝日をバックに、波が打ち付ける岩の上に立つ白鷹が描かれている。細い筆で輪郭線がとられた鷹に、胡粉で白く彩色が施されている。お腹側は墨で模様を入れてから上に薄く白く彩色されている。お腹側は墨で模様を入れてから上に薄く白色を全体に重ね、濃い白色で毛並みを細かく描いている。画面上部に浮かぶ真っ赤な日輪の周りを囲む薄暗い雲は、淡墨で外隈(描く対象の外側を墨などでぼかして対象を浮き立たせる技法)を使って表し、雲が流れていく様子が想像できる。岩に佇む白鷹の凛とした様子が想像できる。岩に佇む白鷹の凛とした姿が、画面に動と静とをもたらしている。

日月岩浪図  狩野養信作

この絵は、「古事記」に出てくる「国生みの一場面」のオノコロ島を題材にしたものだろうと編者は推測している。狩野派の圭角のある筆致で岩肌を表している。それを緑青や群青の岩絵の具で彩色し、更に所どころに金泥を施して豪華で迫力がある。一方で海の波濤は、やまと絵風の柔らかな描線であり、漢画と融合を成した養親ならではと言える。背景の朝日と月によって霊験あらたかな雰囲気の作品となっている。

西王母・寿老図   丸山応挙作    江戸中期

二人の仙人を描いた「西王母・壽老図」は、応挙の典型的なきれいな絵である。西王母は、女仙全てを支配し、不老不死の仙桃を管理する仙人。江戸時代、西王母の絵は特に人気があったようである。この絵のように、侍者を従えたところを描いたものが多い。西王母の向こうにいるのは壽郎人。こちらは鹿と一緒である。日本では七副人の一人として親しまれているが、もとはやはり中国の仙人である。斜めを向いた西王母と、体は西王母と同じ方へ向けながらも、顔はこちらに見せる侍者。そして完全に正面向きの寿老人。それあおれのこんな姿が単独で描いた作品は多いが、応挙は、一つの絵の中で、組み合わせることで、立体感のある群像に仕立てている。立体感のありさまを平面に描くことを得意とした、応挙らしい作品である。

相生松図   丸山応挙作   江戸中期

「相生松図」は、前作とはかなり描き方が違う。「相生松」は、同じ場所から雌雄の木が立ち上がって、まるで一つの株のように見えるもの。長壽や縁結びなどの御利益があるとされる、ありがたい木である。松の輪郭は太い直線をばきばき連ねている。幹の姿も、無理に直線で表したような感じである。遠くのものを薄くすればリアルに表せる、そんな約束事に従って、まるで機械的に表現したかのようだが、強い線や直線的な造形感覚とも相まって、突飛なくらいの雰囲気を醸し出している。

猛虎図   丸山応挙作    江戸中期

「虎嘯けば風が生づ」というのは、中国の禅の書物などにも書かれた有名な言葉である。日本でも、、多くの虎の絵で風が表現されている。この作品でも、上空の様子と激しい波からして、風が吹き荒れているようだ。しかし虎は、向かい風ににもなんのその、きりっとした姿を見せている。応挙は、若い頃から晩年まで、様々な時期に虎を描いたが、ある時期、40代の頃の作品では、体の模様を複雑に表している。本物の毛皮を見て、模様を取り入れたかわである。この作品もその一つで、数ある応挙の虎の絵の中でも、ひときわ「リアル」な雰囲気をまとう一匹である。

老子図  長澤蘆雪作   江戸中期

牛の背に乗る老人は、古代中国の思想家、老子。「老子図」に描かれているのは、周の国が衰退するのを見て落胆した老子が、国を去るところである。牛の背にちんまりと乗る様子、虚ろな目つきは、本当にがっかりしている様子である。老子の身体や腕の感じは立体的だし、牛も、破天荒な描き方ながら、しっかりと三次元的な表し方ができていて、応挙譲りの立体表現が生きている。

紅葉狗子図    長澤芦雪作     江戸中期

子犬の絵と言えば応挙の独壇場、と思いきや、最近は弟子の蘆雪の人気が応挙に迫る勢いだ。もちろん蘆雪の子犬は、応挙のおsれを真似るところから始まっているが、どこか違う。「紅葉狗子図」は、そんな「芦雪犬」の典型的な例である。まず、犬の身体が間延びしている。真ん中の後ろ姿の一匹を見れば、不自然に胴体が長い。また顔の表情も、かわいい中にきりっとしたところのある応挙の子犬と違って、三枚目っぽい。そして決定的なのが、場面設定と構図。一匹一匹がほぼ独立している応挙の場面設定に対して蘆雪のそれは、重なり合ったり、だらけたりしている。構図も、全体のバランスを考えずに、成り行きで描いたように見える。しかし、こうした「ゆるさ」こそ、昨今の蘆雪犬の人気の理由なのであろう。

 

後期の作品の半分を書いた。前半と大きな違いがある訳ではないが、後期の方が、やや絵画としては秀作が多いように思う。多分、殆ど変わらないだろうが、同じような絵を見ていると、段々好きになるのだろう。

 

(本稿は、図録「ふつうの系譜  2020年」、辻信雄「奇想の系譜」、田中栄道「日本美術全史」を参照した)