「ふつうの系譜(5)」

後期展覧会の最後の章となる。後期展示の後半部分で、主として江戸中期の作品が多い。概して優れた作品が多いように思う。「ふつうの系譜」という変わった名称を持つ展覧会も今回が最後となる。

海上飛鶴図  原 在中作   江戸後期

「海上飛鶴図」は、原在中が88歳の時に描いた最晩年の作品である。五羽の丹頂鶴が雲の棚引く海上を飛翔している。まるで広大な山脈を俯瞰しているかのような波のうねりが面白い。やまと絵にも見られる波模様で、在中が」やまと絵の画法を取り入れていることがわかる。88歳にしても尚劣らない在中独特の写実精神と表現力が魅力である。五羽の鶴の配置やバランスや波の隆起のリズムがユニークである。

松下福禄寿図    岸駒作    江戸中期

落款にある「越前刺史」は越前守のことである。岸駒が越前守の官職名を受けたのは、亡くなる1年前の天保8年(1837)。つまり最晩年の一作である。テーマは言うまでもなく、おめでたい福禄壽。松や鶴、鹿も描かれていて、本当に縁起の良い掛軸である。縁起物の掛軸というだけで、ありきたりのもの、と思い込んでしまう人もいるだろうが、じっくり見れば、人物や動物は、主役から脇役かに関係なく、どこか楽しげで面白い。何もないように見える空や地面にも薄い墨が塗られている。岩の凹凸や木の葉にも深みがある。大きな画面の全てに、京の絵画界を引っ張ってきた岸駒の筆から生まれた、形や線、色がある。

猛虎図  岸駒作    江戸中期

「猛虎図」は、初期の「岸矩」時代の作品である。描かれた当時、この絵が何と呼ばれたかはわからないし、今日の私たちが思うような「作品名」などなかっただろう。江戸時代の虎の絵を「猛虎図」と名付けるのは、今日ではごく一般的だし、虎もそもそも猛々しい動物なのだから、「虎イコール猛虎」で問題ないのかも知れない。この絵は確かに「猛虎」と呼んでよさそうだ。江戸時代、虎の絵は、中国や朝鮮から輸入された。迫力いっぱいのものから、おかしな姿まで、色々な魅力を持つ作品があっただろう。日本の画家たちは、そんな絵を手掛かりにして虎を描いたのである。この絵にも手本があったに違いないが、プロポーションといい、動きといい、柔らかくて自然な感じの毛といい、さすが岸駒の描写力である。

猛虎嘯風図  岸良作     江戸後期

岸良の「猛虎嘯風図」は一匹の虎が咆哮する姿を描いている。画題は「虎嘯風生」(虎が嘯くと風が強く起きること。優れた能力を持つ人物が機会を得て奮起すること)からきているのだろう。虎を正面から捉えるのではなく、背後から描いた視点が新鮮である。背景には川が流れ、一本の松が植わっている。空間に薄墨を施して、風が吹いている様子を表現している。日本には虎が生息していないため、かって丸山応挙は輸入された虎の毛皮を実見して写生し、虎のリアルな姿に迫ったが、岸駒は更に虎の頭蓋骨や脚を取り寄せて体の構造を研究し、より迫真的で獰猛な虎を描いた。岸良も岸派の技法を受け継ぎ、的確で存在感たっぷりの虎を描いている。今更ながら、江戸時代の画家は研究熱心であったことを痛感する。

粟に鶉図   土佐光貞作   江戸中期

人々は古来から絵に寓意を持たせ、特に縁起の良い意味と組み合わせて用いることで願いを込めてきた。鶉は、中国では「鵪(an)」と書き、「安」と音が通じていることから「平安」を意味するそうだ。また、子孫繁栄の意味もあるという。土佐光貞の「粟に鶉図」は、たわわに実った粟と鶉を組み合わせて、五穀豊穣と子孫繁栄の意味もあるという。(まさか、この絵にこんな意味が込められているとは知らなかった)土佐光貞の「粟に鶉図」は、たわわに実った粟と鶉を組み合わせて、五穀豊穣と子孫繁栄を祈願していたのであろう。土佐光貞は江戸中期から後期にかけて活躍した土佐派の絵師である。土佐光芳の次男で、後に分家して一家を立てている。土佐派と言えば柔らかい線描のイメージがあるが、この作品では粟や笹の葉のバキッと洗練された輪郭線、そして隙のない緑と茶の彩色が画面を引き締めている。

花鳥図 張 月樵作    江戸後期

名古屋で活躍した画家、張月樵は多くの花鳥図を残している。呉春に師事したと言われており、応挙や呉春の画風をもとに独自の画境を切り開いた。地面のない空間に、ロウバイとバラ、ロウバイに止まる二羽のカラ類の小鳥、そして主役ともいうべきマナヅルが描かれている。背景となるロウバイは至極あっさりと、しかし所々で複座に枝を絡ませながら描かれ、そんな枝に止まる二羽の小鳥はまるで会話をしているようである。ロウバイの手前、バラに半ば埋もれるようにして一羽のマナズルが佇んでいる。楽し気なカラ類の姿と比較すると、孤高の精神性さえ感じさせるその姿には、人格を与えられたかのように対象を描き出す月樵の花鳥画の魅力が感じられる。

菊に鶏図   原  在中作   江戸後期

原在中による相当の力作である。菊は一枚一枚、花弁のひとひらひとひらとひらくが、くっきりと、しかし薄い透明な色で描かれ、それがたくさん集まり、わさwさした群れを成している。その密集感と、目を近づけて見た時の描写の丁寧さ、細密感には驚かされる。それをバックにした雄鶏は、白と黒と赤がくっきりとして、明瞭すぎるほど明瞭だ。口にくわえているのはバッタ。触角も足もしっかり付いている。それれを待つヒヨコのかわいいこと。見上げる二羽と、もらえる位置へ急行する一羽。口の開き方や目に、ちゃんとあどけない表情がある。天明5年(1785)、在中が36歳の時の作品だが、この頃の京では、伊藤若冲が70歳で、まだ現役の頃である。若冲の「動植採絵」や数々の色鮮やかな鶏の絵を、在中もきっと見ていたはずだ、kれども、全てにわたって「きちっと」している、この律儀な描きぶりは、後の在中の、定規で描いたかのような描写感覚につながっていくものだろう。

関ケ原合戦屏風図  菊池要斎作   江戸時代後期

「関ケ原合戦図屏風」は、濃く鮮やかな絵の具の発色と金の眩さが豪華な屏風だが、描かれている世界は生々しい戦いの様子である。徳川家康率いる東軍と石田三成の率いる西軍とが衝突した慶長5年(1600)の関ケ原の合戦を題材に描いているが、右隻は主に島図義弘、石田三成、大谷吉継、宇喜田秀家らの西軍と、東軍に寝返る脇坂安治や小早川秀秋も配されている。左隻には主に東軍の本田忠勝、藤堂高虎、井伊直正、有馬豊氏などの諸將が配されている。徳川家康は左側の木に隠れて見えなくなっている。兵士たちや馬の動きには躍動感があり、その表情も一人一人描き分けられて迫真的である。極彩色で濃密に描いていることで、血生臭い戦いの様子が伝わってくる。リアルな描写だけではなく、その俗っぽい生々しさが菊池容斎の画風の魅力の一つでもある。

 

後期の作品の残り半分を書いた。後期の方が、前期に比べ、ややなじみ深い題材が多かったように思う。いずれしろ、これだけの江戸時代の日本画を丁寧に見たことは、一度もなかった。誠に勉強になった。府中市美術館と敦賀市博物館に厚く御礼申し上げたい。

(本稿は、図録「ふつうの系譜  2020年」、辻信雄「奇想の系譜」、田中栄道「日本美術全史」を参照した)