「バベルの塔」展(2)

 

「旧約聖書」は、特に冒頭に位置する「創世記」に記された物語はキリスト教徒にとっては、欠くべからざる教養であり、「創世記」に記された物語の造形化は、ローマ末期にキリスト教公認の前後から盛んに行われてきた。例えば「アダムとイブの原罪」・「「アベルを殺すカイン」・「ノアの方舟」・「バベルの塔」等、数えきれない名画や名作として伝えられてきた。キリスト教徒でもない、私でも、これらの物語は、小説や図像や、映画で何回も見ており、日本の神話以上に詳しい。これに較べて日本の神話は惨めである。現在、日本の子どもで、満足に日本神話を知っている子供は皆無であろう。日本神話に関する絵本も無い。(マンガの世界は知らない)私は、神話とは、民族の旧い記憶であると考えている。確かに、戦前、日本神話を悪用して「天皇は神である」という滑稽な話を創造して、日本を危険な方向に導いた人は多数いた。しかし、私は子供心に「神話は神話、本当の話ではない」と、思い続けたが、しかし「民族の記憶」として、何かしら、遠い記憶に繋がるエトバスがあると考えていた。キリスト教徒は、創世記に書かれたことは、かなり真実として理解しているようである。「絵で読む聖書」「聖書名画集」等で、大人も子供も親しんでいるようである。また新約聖書の「最後の晩餐」はダビンチの名画として残り、これを真実と思い込んでいるキリスト教徒は、大半であろう。さて、ブリーゲルの「バベルの塔」は2枚ある。1枚はウイーン美術館の「バベルの塔」であり、こちらの絵が大きく、画集に載るのはこちらが多い。これに較べるとボイスマン美術館の「バベルの塔」は、サイズが4分の1程度であり、基本的にウイーンの絵の「焼き直し」と捉えられているせいか、知名度も低い。しかし、実際に、ボイスマン美術館の「バベルの塔」に接して見ると、色彩の鮮やかさなど、第一作に比べて見劣りしない、第一級の絵画である。東京芸術大学では、3DによるCG画法を用いて原作の30倍以上の大きさで、展示している。(7月2日まで)3分間、CGが映し出され、その後「落雷、消灯」で終わりを告げ、また3分間のCG映写が始まる。之を見ると、いかに精彩に描かれているか、「マクロトとミクロ」の統合が行われているか等、学ぶべき点が多い。絵画をご覧になる方は、是非、東京芸大まで足を延ばして頂きたい。

「バベルの塔」 ブリューゲルⅠ世作  油彩・板 1568年ボイスマン美術館

旧約聖書の「創世記」の末尾に「バベルの塔」の物語は、次のように記されている。”世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住みついた。彼らは「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして全地の散らされることのないようにしょう」と言った。主は降ってきて、人の子が建てた、塔の有る町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱させ(バラル)、また、主がそこから彼らを全地に散らかされたのである。”(「創世記」11章ー9節)聖書ではバベルを地名として、混乱を意味するバラルをその語源として説明しているが、今日では「バベルの塔」はバビロンにあった大規模なジックラッド(階層式構成の角型の塔)が伝説化されたものと考えられている。

バベルの塔(最上部) ピーテル・ブリューゲルⅠ世作    1568年

材木で足場を組んだ上に煉瓦をはめて固定し、足場を解体する当時の建築技法が正確に描かれている。赤い表面からはまだ煉瓦が新しいことがわかり、時間が経過したことを感じる。土色の底辺部との違いが際立っている。

バベルの塔(中央部左側) ピーテル・ブリューゲルⅠ世作   1568年

ブリューゲルの観察力の鋭さは、煉瓦の色の違いを見ると良くわかる。低層部・中層部が風雨にさらされて灰色なのに、最上部が鮮やかな赤を保つのは、工事が大変に長く続いているせいだろう。地上から頂上部へ漆喰を運んだ白い痕がついている。運搬の途中に落ちた漆喰の粉をかぶったのか、真っ白になった人々の様子が描かれている。中層部にも上層部にも、働く大勢の人がいる。全部で1400人余の人が描かれているそうだ。

バベルの塔(中央部左側)  ピーテル・ブリューゲルⅠ世作  1568年

16世紀のネーデルランドの港などで荷揚げに使われたクレーンの様子が描かれている。人が綱を引くことで、車輪がロープを巻き取り、ロープに吊るされた荷物を引き上げる様が描かれている。ブリューゲルは16世紀の建築や土木技術にも強い関心を向けていたことが読み取れる。

バベルの塔に描かれた沢山の舟は、ブリューゲルが舟の構造について詳しい知識を持っていたことを示すものである。当時のネーデルランドの航海術は、ヨーロッパでは独特の地位を占めており、木材を輸入する際には海路を利用していたから、港の周りには材木が並ぶ様子も描かれている。

バベルの塔(上層部右側) ピーテル・ブリューゲルⅠ世作   1568年

雲が掛っている。それ程の高さなのであろう。上層部にも工事のための仮小屋が立ち、下から煉瓦を運んだのだろであろう。働く人たちが点で表されている。マクロとミクロの見事な調和である。

 

「バベルの塔」は、人間の愚かさに神が鉄槌を下す物語である。手にした技術を駆使して、天にも届かんとする塔の建設を企てた人間への制裁。ブリューゲルが絵の舞台に選んだとされる当時のアントワープは国際貿易のハブとして最盛期を迎え、建設ラッシュだっただろう。この絵には人々への戒めの意図があったのだろうか?ボイスマン美術館のフリーゾ・ラメルツさんは「確かに戒めの意図もあったろう。しかし鉄槌が下る前の良き時代をポジチブに振り返る絵、とも解釈できます。」この1568年こそ、オランダはスペインから独立すべく80年戦争が勃発した記念すべき年であったのである。

 

(本稿は、図録「バベルの塔展   2017年」、2017年1月号「大人のOFF」、朝日新聞記念号外「別摺り特集」、岡崎邦彦「繁栄と衰退」を参照した)