「東京⇄沖縄」展   池袋モンパルナス編  

画家たちが住んだ芸術村というと、パリのモンパルナスやモンマルトルが有名であるが、日本の画家で良く知られた場所に、東京の落合と池袋がある。後者は「池袋モンパルナス」と呼ばれ、その研究が今も進む。東京の板橋区立美術館で「東京⇄沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ村」展は、この落合と池袋というアトリエ村と沖縄の古都首里に生まれたニシムイの芸術家村の密接な関係を解き明かす展覧会である。展示はまず落合から。渡欧前の1920年代はじめ落合に新居を建てた佐伯祐三や、松木俊介など、戦前の落合丘陵には、日本美術史を飾る数々の俊英が居を構えた。

下落合風景(テニス) 佐伯祐三作 油彩・カンヴァス 大正15年(1926)新宿区

和様折衷の邸宅の並ぶ落合の風景を描いたのは佐伯祐三である。彼は大正10年(1921)に知人を通じて落合に土地を入手し、アトリエを新築した。フランスと日本を行き来しながら制作を続けた佐伯がこのアトリエで過ごしたのは4年足らずの間であったが、ここでは「下落合風景」の連作を完成させている。本展出品の「下落合風景(テニス)」は、「目白文化村」にあったテニス場が描かれている。住宅に囲まれたテニスコートの踏みならされた赤土の地面が、佐伯特有の筆遣いで生き生きと再現されている。佐伯はパリの街角と同じように、落合の住宅地を興味深く繰り返し描いた。

郊外  松本俊介作 油彩・板 昭和12年(1937) 宮城県美術館

松本俊介は昭和11年(1936)、結婚を機に落合に暮らし始めた。この頃、松本は二科展に入選した若手画家であったが、その後の彼の代表作の多くは落合のアトリエで生まれている。緑に囲まれた洋館の前に子どもたちや犬が遊ぶ情景を描いた、この「郊外」は、彼の暮らす落合をモチーフにしたと言われている。「N駅近く」(1940年、東京国立近代美術館)や「立てる像」(1942年、神奈川県立近代美術館)をはじめ、この界隈の景色を利用した作品は複数あり、落合の地は松本の創作の発想源となった。

顔(自画像) 松本俊介作 油彩・板  昭和15年(1940)個人蔵

落合時代に描いた松本の自画像である。この頃、並行して発行した総合文化雑誌「雑記帳」では、林文子をはじめ落合の隣人に原稿を依頼していたが、やがてこの雑誌も資金難で廃刊したが、本格的な戦争に入る直前のささやかながらも存在した、知識人たちの交流の場であり、その雰囲気は落合と重なる。

新宿風景 長谷川利行作 油彩・カンヴァス 昭和12年(1937)頃 東京国立近代美術館

長谷川俊行は、画家達を訪ねて池袋に出没した。彼は、本作「新宿風景」をはじめモダンな東京の街の光と影を描き、それらの作品は二科展などで高く評価されていた。芸術と酒を愛し、地位や名誉、身なりなどに構うことなく、ひたすら絵画に情熱を注いだ長谷川は、池袋の若手画家たちに作品共々一目を置かれていたが、自己破滅型の画家であり、太平洋戦争開戦1年前の昭和15年(1940)に亡くなった。

野菜と果物 南原風朝光作油彩・カンヴァス昭和15年(1940)沖縄県立博物館

南風原は、日本美術学校に学び、1930年代中頃から池袋の住人となった。「野菜と果物」は池袋で制作された。昭和15年(1940)に行われた紀元二千六百年奉祝美術展覧会で入選した作品である。この作品は、机の上に洋ナシや栗、かぼちゃが並んだ静物画で、その奥には群青色の海原と空が広がっている。艶やかな野菜と果物の色彩は、沖縄の紅型などを思わせる。また背景に広がる海は東京と沖縄、そして家族の暮らす台湾を行き来した南風原の源風景のようだ。夜になると南風原は「珊瑚」等池袋駅周辺の泡盛の店に現れた。

グラジオラス 靉光作 油彩・板 昭和17年(1942)頃 横須賀美術館  鳥     靉光作 油彩・カンヴァス 昭和17年(1942)頃宮城県美術館

かって池袋モンパルナスにあったアパート「培風寮」に暮らしていた頃の靉光(あいみつ)は、部屋に切株や死んだ雉などのモチーフを持ち込んで繰り返し描き、絵画の発想源とした。彼は日本画に宋元画の技法を取り入れ、薄塗りした絵具や線を重ね合せることにより「グラジオラス」や「鳥」のように繊細であると同時に色彩もイメージも重層的な画面を作り上げた。靉光の作品や制作方法は、寺田や麻生をはじめ周囲の画家たちを刺激し、彼らは競うように日本のシュルレアリスム絵画を模索した。しかし、シュルレアリスム運動は、その発祥の地であるフランスで共産主義思想と接近していたため、日本でも共産主義と結びつけ考えられるようになった。日本におけるシュルレアリスム絵画の先駆者とされた福沢一郎を代表に靉光や井上や寺田らをはじめシュルレアリスムに関心を持つ画家が多く参加したため、思想を取り締まる特別高等警察より要注意団体として監視されていたそうである。日本のシュルレアリスムびは政治的な主義主張はなかったが、1941年4月に福沢が治安維持法違反の容疑で逮捕された。この一部に、池袋モンパルナスに暮らす画家たちは動揺した。同年11月に福沢は釈放されるが、美術文化協会は「国民美術の創世」を宣言し、会員たちはシュルレアリスム絵画の発表をしないよう通達がなされた。

女 吉井忠作 油彩・カンヴァス 昭和15年(1940) 宮城県美術館

日本におけるシュルレアリスムの流行と並行して1930年代の中頃より、画家たちが関心を寄せたのは、アヴァンギャルドとは対極にあるような古典絵画であった。池袋モンパルナスに暮らしていたこの「女」吉井忠作は、古典中の古典、レオナルドダヴィンチの「モナ・リザ」の構成と似ている。大地を背景に4分の3正面で描かれている点において、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の作品の影響を指摘できる。

自画像 靉光作 油彩・カンヴァス 昭和19年(1944)東京国立近代美術館

1946年(昭和21)に、上海で戦病死した靉光(あいみつ)の自画像である。この自画像が、暗い時代に意志を持って生きる画家の心象風景が浮かび上がる名作である。戦時下の池袋モンパルナスで誕生した象徴的なグループの一つに「新人会」がある。この会は昭和18年(1943)に麻生三郎、井上長三郎、寺田政明をはじめとする池袋の住人を中心に靉光、糸園和三郎、松本俊介など8人により結成された。新人会展で、松本俊介も「Y市の橋」、麻生三郎の「うつぶせ」、靉光の「自画像」などが、戦意高揚画一色のなかで、あまり紹介されることのなかった身辺の家族の姿といった日常的な作品が発表された。

 

戦前、腺中の暗い時代に描かれた絵画の中でも、比較的戦時色の無い絵画が集められた展覧会であった。戦争中の画家たちのため、若くして死んでいった人たちの作品もあり、よくぞこれだけの作品を集めたものだと感心した。板橋区立美術館へは、初めて訪ねてみたが、立派な図録を作り、過去の展覧会の図録や絵葉書も安くして売っていた。東京の展覧会の会費や、図録、絵葉書が高騰し、求め難い時代になったが、ここでは極めて良心的な価格で、区立美術館が維持されていることに感心した。板橋区に住む住人と思われる人たちが多数展覧会に来ていた。これら住民の支持の中で成り立っているのであろう。今後も出来るだけ区立美術館、市立美術館を訪れ、地域の美術館を応援していきたい。今回は、松本俊介、靉光など、通常滅多に見られない絵画を、これだけ多数、良くぞ集まったものだと感心した

(本稿は、図録「東京⇄沖縄  2018年」、日本経済新聞社2018年3月7日「芸術家村の不思議な関係」、図録「名品選 東京国立近代美術館のコレクション」、図録「神奈川県立近代美術館コレクション」を参照した)