「東京⇄沖縄」展   沖縄ニシムイ美術村編

1930年代以降、沖縄と東京の画壇は、東京に学んだ沖縄出身の画家を通じて関係を深めていった。落合と池袋には、沖縄から上京し東京で絵を学ぶ画家や詩人が暮らしていた。沖縄の女性を多く描いた名渡山愛順、落合と池袋にともに棲みシュルレアリスムの影響を受けた山本恵一らである。彼らは戦後、今の那覇市の北東部、首里にニシムイに移り住み、戦争で壊滅的な打撃を受けた沖縄の美術運動を推進してゆく。1930年代に、沖縄を訪問する画家が急増する要因として、1937年に沖縄行きの航路が時間短縮されたことがある。沖縄は、観光地としても注目を集めるようになり、藤田嗣治や北川民治などの画家たちも沖縄に来た。そして1940年には、当時東京美術学校の学生であった野見山暁冶(のみやまぎょうじ)が、春休みを利用して赴いている。

孫 藤田嗣治作 油彩・カンヴァス 昭和13年(1938) 沖縄県立博物館

なかでも昭和13年(1938)の藤田嗣治の沖縄訪問は、地元紙「琉球新報」でフランス帰りの世界的な画家の来沖として連日、大々的に報じられた。藤田と沖縄を結びつけたのは南風原であった。南風原が同じ池袋モンパルナスに暮らす画家の竹谷富士雄、加治屋隆二を案内するために沖縄旅行を計画したところ、藤田が同行を申し出たのである。報道新聞によると藤田一行は同年4月27日から約3週間にわたって沖縄に滞在した。彼の滞在中には新聞社主催で講演会や展覧会が行われ、訪問は歓迎された。この「孫」は、沖縄特有の亀甲墓と年老いた女性とふたりの子供が描かれている。この作品に描かれた姉弟は南風原の子供達で、背景に描かれているのは南風原の妻の実家の墓だという。沖縄旅行から戻った藤田は、沖縄を題材にした作品を二科展に発表した。藤田の沖縄訪問は、日本各地の風物を描いた藤田に新たな画題を与えたと同時に、沖縄の画家たちにとっても「沖縄」を再発見するきっかけとなった。

沖縄風景 北川民治作 油彩・カンヴァス昭和14年(1939)沖縄県立博物館

北川民次は大正2年(1913)にアメリカに渡り、アート・スチューデンツ・リーグに学んだが、メキシコ革命後の壁画運動に参加し、13年間をメキシコ美術運動のなかで生活し、メキシコ美術史のなかに記録される画家となっている。北川は1930年代末頃に沖縄を訪れ、この「沖縄風景」や「海王丸ニテ」などを制作している。

沖縄の女 名渡山愛順作油彩・カンヴァス昭和31年(1956)沖縄県立博物館

沖縄は1944(昭和19)年の十・十空襲により壊滅的な状態となり、多くの住民の命が奪われ、那覇市の市街地では建物の9割が破壊された。1945年1月には沖縄本島に上陸し、その後、住民を巻き込んだ地上戦があった。その直後から、沖縄は米軍の占領下に置かれるのだが、海軍が文化人類学的視点を重視し、沖縄の文化芸術は早くから保護される対象となった。彼らは沖縄の伝統文化を高く評価し、美術展覧会や舞踊公演、残された文化財を集めた博物館の設立などに尽力した。山元らを中心に「沖縄美術家協会」が結成され、画家たちは自立の道を探ることになる。1948年に文化部が解消されることもあり、彼らは東恩納を離れニシムイ美術村を新たに設立した。かっての首里城下に位置する、米軍の”ゴミ捨て場”になっていたニシムイと呼ばれる地域にニシムイ美術村を建設することにした。東京美術学校を卒業した名渡山愛順は1950年に沖縄女性を描き始める。その一つが、この「沖縄の女」である。

若衆こてい節 名渡山愛順作 油彩・カンヴァス 昭和45(1970)個人蔵

沖縄の伝統と文化を残すために描いた作品だろう。

貴方を愛する時と憎む時 山本恵一作 油彩・合板 昭和26年(1951)沖縄県立博物館

ニシムイ美術村の画家たちは、自身の活動に止まらず、広く沖縄の美術文化の発展にも貢献した。現在に続く沖縄美術展覧会は、沖縄における美術文化振興を目的に「沖縄タイムス」の創刊1年の紀念事業として始まった。山元の「貴方を愛する時と憎む時」は、昭和26年(1951)の第3回出品作品である。この作品は、この展覧会での優秀作品を決める投票で、専門家投票の第1位を獲得した。廃墟を背負いながら明日へと歩み出す沖縄の戦後を象徴する代表作である。

塔 安谷屋正義作 油彩・砂・カンヴァス昭和33年(1958)沖縄県立博物館

安谷屋の作品もまた、1954年頃から形が単純化されていく。壺や人物などが輪郭だけで表現され半抽象的な画風へと展開する。さらにその輪郭線を追求した作品が第1回創斗会で発表した「塔」である。熱心なキリスト教徒の両親を持つ安谷屋は「バベルの塔」のイメージを重ねながらこの作品を完成させた。「塔」を発表し以降、安谷屋は軍艦や軍港などの直線的で無機質な人工物をモチーフとして選択した。

望郷 安谷屋正義作 油彩・カンヴァス 昭和40年(19659沖縄県立博物館

さらに1960年代に入ると、安谷屋の作品において基地が重要なテーマとなる。”望郷”には、基地の歩哨に立つひとりの米兵が描かれている。妻の節子の回想によると、安谷屋は昭和42年(1967)まで、太平洋戦争で召集され兵隊だった頃の夢を見ており、机の上にも「直立不動の兵隊の姿や軍艦らしきもの」も描き残されていたという。戦争によってあらゆる文化財を失った上に、彼の言葉を借りれば「歴史的、地域的重荷」を背負った沖縄の複雑な立場が安谷屋の作品の中には表現されている。

 

本展のタイトルである「⇄」は、沖縄から東京へ絵を学ぶために上京した沖縄出身の画家たちや東京から画題を求めて沖縄へゆく画家たちの物理的な行き来に加え、上京した画家たちや詩人が故郷沖縄を見つめ、帰郷した画家が再び東京の画壇を通じて自らの絵画を問い直すというふたつの場所の行き交う想いも同時に示している。戦前から戦後にかけて東京と沖縄の、戦争と占領により混乱が生じ、自由を剥奪された時代にアトリエ村の画家たちがどのように対峙したのか、今後も解明が進められるべき課題であろう。「沖縄と占領(基地の残存)」という問題は、極めて今日的な課題であり、安谷屋の「望郷」は、極めて今日的な課題を描いた作品であり、”ずしり”と心に響く名作である。

 

(本稿は、図録「東京⇄沖縄展 2018年」、図録「名品選 東京国立近代美術館」、図録「近代日本の美術  東京国立近代美術館」、神奈川県立近代美術観コレクション選 絵画 明治から1960年まで」を参照した)