「美を紡ぐ  日本美術の名品(2)

「美を紡ぐ 日本美術の名品(2)」は、先の(1)に続くもので、日本美術の粋を集めたものである。時代はやや下って、室町時代、江戸時代を舞台とするものが多い。名品揃いであるので、是非読んで頂きたい。

重要文化財 浜松図屏風  室町時代(15世紀) 文化庁

遺品の少ない室町時代やまと絵屏風の一つとして古くから著名な作品である。砂浜に松樹が群生する海辺の光景を描く。右隻(本作)には、紅白梅と桜で春、生い茂る芦で夏を表す。左隻(謝意なし)には紅葉で秋、雪山で冬を表す。向かって右から左へ季節が移ろう伝統的な四季絵屏風の構成を執るが、季節の表出は限定的である。また苫屋、干し網、船などによって人々の生活が暗示されるものの、人物そのものは描かれず、風俗画のような活気に満ちた情景は見られない。中世やまと絵と屏風風に多用される、雲母や金、銀の装飾が、極力排除されている点も珍しい。こうして生きた独特の静謐な画面からは、室町中期に心敬らの歌論書で称揚された「冷え寂び」た情趣が漂っている。

伊勢物語 八橋図(やつはしず) 絹本着色 江戸時代(18世紀) 東京国立博物館

「伊勢物語」第九段「東下り(あずまくだり)」の冒頭、「八橋」に取材した作品である。ちなみに八つ橋駅は、東海道線に現存する。都を出て東国へ旅立った友人二人ともに三河国八橋にたどり着き、燕子花(かきつばた)の群生する水辺で休息を執る。そこで「かきつばた」の五文字を句の頭に織り込んだ和歌、「唐衣(からころも)着つつなれにしつまにしあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ」を詠み、望郷の念を募らせて、食べた乾飯(かれいい)の上に涙をこぼした、という小話である。この短い物語の一節を、本作品は忠実に描き表している。画面右下には「法橋光琳」とあるため、本図は尾形光琳(1658~1716)が法橋に叙任された元禄14年(1702)以降の作と見られる. 尾形光琳と言えば、根津武術館・国宝・「燕子花図屏風」を思い出すが、時代的には、この「八橋図」が先行する作品のようである。

西瓜図(すいかず) 葛飾北斎筆 一巻 絹本着色 江戸時代 文化庁

天保10年、葛飾北斎(1760~1849)が「齢八十」の年に描いた肉筆画である。画面上部からくねりながら垂れ下がる西瓜の皮、その下には半分に切られた西瓜の上にその真っ赤な果肉の果汁を吸い出した和紙、更に包丁が載せられるという不可思議な構図が、何とも言えない、魅力を持つ作品である。本図は、宮廷行事に関する等諸説が発表されたことがある。その後の調査で江戸後期の国学者、小林歌城が関わっていたであろうことがわかり、柳亭種彦を通じて北斎とも交流していたことが資料より明らかになり、宮中に保管される理由が、ほぼ明確になった。

「唐子遊図屏風」 六曲一双(上下2段) 江戸時代(17世紀) 狩野探幽筆 宮内庁三の丸尚蔵館

鶏合(とりあわせ)、花合(はなあわせ)、獅子舞(ししまい)、春駒(はるこま)など、初春に因む遊びを唐子に演じさせた図録を総金地の上に描き表し、また裏面も絹地に金泥塗に仕上げた格調高い屏風である。内容や仕立てから、祝儀の場に飾るために誂えたものと推察され、落款印章より、狩野探幽(1602~74)の最晩年に位置する作品と考えられる。

国宝 納涼図屏風 久隅守景(くすみもりかげ)筆 二曲一双 紙本墨画淡彩 江戸時代(17世紀) 東京国立博物館

狩野派の久隅守景(生没年不詳)は一時、狩野探幽門下の四天王とさえ言われた画であるが、息子の不行跡で破門され、師の画風から離れて、まさに日本的「風俗画」の好例のような本作「納涼図屏風」を描いた。農村で夕顔の下、親子三人の涼をとる何気ない姿が描かれる。このような何気なさそのものが興味深い。いかにも物語性を払拭した「近代」性の先駆的な意味を持つているのが興味深い。この図の面白さは、やはり農民の生活や、競馬を楽しむ情景が描かれた「四季耕作図屏風」や「賀茂競馬・初治茶摘図屏風」の伝統的画題に依拠しない作品に存在する形式性を超えているのである。

重文 前後赤壁図屏風 六曲一双 池大雅筆・自賛 寛永2年(1749)文化庁

中国北宋の政治家で詩人として知られる蘇軾(そしょく)(1036~1101)が三国志で知られる古戦場赤壁に遊んだ際に描かれた「前赤壁賦」を題材に、右隻(上)は「前赤壁」と題して賦の冒頭部分を楷書で記し、船に遊ぶ蘇軾を描く。左隻(下)は「後赤壁」と題し、賦の最後を隷書で書きその内容を絵画化している。27歳の作である。

重文 新緑杜鵑図 与謝蕪村筆 一幅 絹本着色 江戸時代(18世紀)文化庁

明るい陽射しを受けて、新緑したたる梢の上を、夏の訪れを告げるホトトギスが飛んでいく。その一舜をとらえた作品、まるで木々の向こうから高い泣き声が聞こえてくるようだ。遠くには初夏の山が見え、のびのびとした空間構成となっている。俳人として著名な与謝蕪村は、池大雅(1723~76)とともに日本文人画の大成者として知られる。

牡丹孔雀図 一幅 絹本着色丸山応挙筆 安永5年(1776) 宮内庁三の丸尚蔵館

18世紀の京都において、写生画様式を確立した丸山派と呼ばれる画派を生み、多くの弟子を輩出して活躍した丸山応挙(1733~95)の代表作である。岩場の傍らには牡丹が咲き競い、静かにたたずむ雌を守るかのように、岩上に立ちあがる雄孔雀の姿は実に凛々しい。孔雀図を得意とした応挙の、数え年44歳の作品である。この5年後には光格天皇(在位1779~1817)の即位大礼のための屏風を制作するなど、御所の絵事にも数多くたずさわった。

「美を紡ぐ(2)」は、主として江戸時代の絵画になった。久隅守景の「国宝 納涼図」が一番知られた作品であるが、私が、この「美」に採用したのは初めてではないかと思う。どこかの機会に取り上げたいと思っていたが、良い出番となった。丸山応挙の「牡丹図屏風」が、応挙の代表作という点も驚いた。やはり三の丸尚蔵館に蔵された作品は、なかなか目に入らないし、作品集からも除かれることがある。

 

(本稿は、図録b「美を紡ぐ 日本美術の名品  2019年」、田中栄道「日本美術史全史」小林中「日本水墨が全史」、日経大人のOFF 2019年1月号を参照した)