「黒川孝雄の美」300編を書き終えて

2011年(平成23年)12月に書き始めて、300編に至るまで7年の歳月を要した。1年に44編を書いたことになる。スローな様であるが、途中で80編程を失ったため、実質は380編を7年で書いたことになり、1年間に平均54編を書いた計算になる。ここ数年、急いで書いた理由は、その辺にある。このブログを書き始めたきっかけは、望洋会(名古屋大学経済学部第4期生の同窓会)の「幾山河」に学生時代の思い出として飛鳥、奈良地方の古寺を廻ったことを書いたことである。大学時代の思い出と言われても、特別勉強したこともなく、敢えて言えば「飛鳥・奈良・大和地方」の古寺・古仏を訪ね歩いたことが唯一の財産であったからである。「幾山河」には「おほてらの まろき はしら」と題して幾つかの古寺・古仏の思い出を書いた。飛鳥寺、法隆寺、中宮寺、薬師寺、唐招招寺など、思い出深い5ケ寺を描いたように思う。題名の「おほてら」とは、唐招題寺にて、會津八一が「鹿鳴集」で謳った金堂の歌である。奈良・京都の仏寺が当初のテーマであったが、いつしか「美術展の招介」に移行していった。古寺巡礼と同様に、私は大学生時代から、数少ない経験であったが、西洋絵画の展覧会は必ず見学するようになった。また「徳川美術館」が、古い建物で残っており、毎月1回は訪れることにしていた。展示物は殆ど変らず、毎回同じ物を見学する訳だが、何かそこには、日常とは異なる物があるような気分であった。                会社へ入社(昭和31年)して、本社の近くに「ブリジストン美術館」が在ったのは、大変幸いであった。ここで、西洋絵画、近代日本絵画、彫刻等に触れ、大きな感動を覚えるようになった。昭和34年(1959)6月に国立西洋美術館が上野に完成したのも大きな変化であった。旧松方コレクションの一部(絵画196点、素描80点、彫刻63点、参考作品5点)合計370点が、フランスからの返還として上野にもたらされた。この松方コレクションは本来、もっと大きな収蔵品であったが、戦時中に「敵性美術品」としてフランス政府に没収され、一番素晴らしい美術品はフランス政府が美術館に収蔵し(例えば、ゴッホの「寝室」)、残り370点を「日本国民への寄贈」という形で返還したものである。松方コレクションは、15世紀頃から20世紀にかけてのコレクションであり、西洋美術を理解する上で、この上ない教科書であり、むさぼるように見学したものである。    さて「美」の読者数は月間4,500回という数字(年間54,000回)が基礎になる。誰に読んでもらっているかは、不明であるが、最近パソコンよりスマホに移動している。読者層が、20代~50代にシフトしたことが窺える。しかし、その内容は分からない。望洋会に記事が招介されるようになったのは、2012年9月9日の「荻巣美術館」からである。望洋会の読者数は、ネットを扱える人と考えると10人~13人位と思う。私たちの同世代は、残念ながら、パシコンには詳しくない人が大半である。従って、読者層は殆ど名前も地位も知らない人ばかりである。                                   ブログを書くためには、まず美術館へ行く、図録を買う(これで1日)、図録を詠みこむ、過去の関連図録や図書を読み直す(これで1日)、これを基礎にして原稿を書く(ここが一番時間を取られる。2日程度は必要)、同時に写真を10枚程度選んで、パソコンに収録する(これは前の2日間に含まれる)、原稿・写真をパソコンに取り込んで「ブログ」として完成させる(約1日)、これをアップして、望洋会や友人にアップしたことをメールで連絡する(2時間)、合計すると一つのブログを完成するのに4日強を要するということになる。            これを年間54編×4日=216日という計算になる。要するに私の自由になる時間の大半は、「美」に取られていることになる。果たして、それだけの価値があったであろうか?どうせ、何もすることも無い身であるから、自由になる時間をつぶす絶好の機会であったと思っている。しかし、このままでは、やや情けない。折角ならば、多少は、誰かのお役に立つ記事にしたいと思う。           話は変わるが、私は自分のホームページ上に、10年(120回)に渡り、「フランチャイズ時評」という記事を書き、いまだに大学生から「卒論に引用したいが、許可してもらいたい」という電話が架かってくる。それどころか、関西の有力私大のフランチャイズ専門家(大学教授)より、「メガフランチャイズ」について私の見解を聞きたいとして、上京されることが最近あった。「フランチャイズ」は私の専門であり、その程度の要望があっても可笑しくない。しかし、それ以上に時間を掛け、情熱を燃やしている「美」に対しては、特段の要望も出ない。      察するに、私の「美」のレベルは美術愛好者の域を出ず、誰も専門家とは見ていないからである。300編が一応の目標であり、ここで止めても良いが、私の気持ちは、まだまだ続く。多分500編程度までは掻き続けることになるだろう。専門家とまではいかないが、一つの意見として注目してもらえるようになるためには、やはり専門的知識の素養が足りない。日本美術史、西洋美術史から進んで、日本仏教史、日本史、西洋史、中国史、旧約聖書、新約聖書等など、美術全体の系統的知識、教養、更には専門的見識に至るまで備えなければ、誰も「意義あるブログ」とは見做してくれないのである。所詮、現在程度の知識、素養では素人の域を出ないのである。本格的、かつ体系的知識を身に付け、専門家からも一目置かれる「黒川孝雄の美」を更に書き続けたいと思っている。                 なお、望洋会へのブログ・アップについては佐藤君、中山君に大変お世話になった。この二人の励ましが、今日まで続いた原動力であった。厚く御礼申し上げる。なお、この「300篇」に関しては、DVを作成して、古い友人に配布したいと思っている。