お江戸散歩  江戸川と大名庭園から大隈庭園まで

明治乳業のOBグループ有志(東京在住)で、毎年行う秋の「お江戸散歩」を10月16日に楽しんだ。曇り勝ちで、写真の出来栄えは悪い。今年は20名余の参加で、年々参加者が増加している。一番若い人で65歳位から、最長老は90余歳であるが、70~80歳代が一番多い。世間から見れば、高齢者かも知れないが、日常的に牛乳やヨーグルト、チーズ等を常食しているためか、年齢以上に元気な方が多かった。昨年から「大名庭園」をテーマにしてコースを組み立てているが、今年は肥後熊本家の池泉回遊式庭園が選ばれた。まず、地下鉄有楽町線の「江戸川橋駅」に集合して、表に出て、江戸川橋まで歩いた。本来神田川であるが、何故かこの辺りは江戸川と古来呼んでいたようである。今でも駅名は「江戸川駅」である。

江戸川の流れ

川は真っ黒い色をした悲しい情景を見せてくれている。

江戸川橋の名札

確かに「江戸川橋」と書かれており、今でもこの辺りは江戸川と呼ばれているのであろう。東京と千葉の県境にあるのが「江戸川」であると思っていたのに、何故お江戸の真ん中に江戸川があるのだろうか?橋だけでは無い。公園まで「江戸川公園」となっている。

「江戸川公園」の地名表

橋だけでは無い。公園まで「江戸川公園」になっている。ちなみに東京都の「歴史散歩」と題する本には次のように記している。「井の頭池・全福寺池・妙正寺池から流れる川が合流して江戸川となり、九段下・一つ橋・本石町あたりから日本橋川となって永代橋で隅田川に流れ込む。浅草橋で隅田川に流れ込む。浅草橋で隅田川にそそぐようにしたのが人工の神田川なのである。」江戸川とは、東京と千葉県の間を流れる「江戸川」と関係なく江戸に流れる川なので、江戸川と呼んだのであろう。不思議に思った川の名前が良く分った。まるで、全体が「神田川」と勝手に思い込んでいたが、どうも「神田川」という歌に引かれて、すべての川を「神田川」と勝手に思い込んでいたのであろう。この公園は文京区が管理する公園で、気持ち良く整理されていた。

江戸川の両岸の桜

この江戸川橋あたりから上流にかけて桜が両岸に植えられ、桜の季節にはさぞ、賑わうことであろう。今でも、桜が咲いていないのに大勢の人が散策を楽しんでいるようである。

大滝橋

この辺りから神田川と呼ばれていたようである。昔はこの辺りに大洗堰(定量以上の水は堰の上を流れこえるように設計した堰堤)と呼ばれた堰(せき)が造られていたそうである。伊賀」上野藤堂家が幕府からこの堰堤(えんてい)工事を命ぜられたとき、旧主家の縁で、芭蕉も工事に従事したとの伝えがある。

関口芭蕉庵の門

この工事の関係か、芭蕉は「隠棲庵」と呼ばれる水番屋に住んだが、これがいつしか関口芭蕉庵と呼ばれるようになった。月、火が休みなっているため、当日は中に入り見学することは出来なかった。古い建物では無く、現代の建築物である。門の写真のみでを写した。この辺りは椿山荘が近く、椿山荘ホテルの建物も見えた。ここから先は急坂で、大凡20度程度の角度の傾斜面を登った。かなりきつい坂であった。

永青文庫

肥後・細川家の家宝を伝える美術館である。この美術館は細川家の2代前の細川護立氏が建立し、細川家に伝わる美術品の保管と、自身が集めた白隠や仙崖の作品等の保管・展示を目的とした美術館で、江戸期の作品が多く保管されている。熊本県立美術館にも、細川家の美術品が保管されており、永青文庫と熊本県立美術館の間で、美術品が往来することもある。この美術館の大きな特徴は、図録を造らず、「永青文庫」世飛ぶ呼ぶ小冊子を年4回の特集に合せて発行することである。最近の図録は一般的に厚くなり、3000円程度の金額になり、それを残そうと思うと、大変な重さになり、余程、保管能力を家の設計時に作って置かないと、10年、20年間の図録を保館することは不可能である。しかし永青文庫は、前は300円であったが、今回の「江戸美術の美」は絵入り印刷が多く、500円で28ページに纏められていた。軽量で低価格の図録となるが、欠点は全作品が採用されていないことである。小松館長が、永青文庫104号に「館長の独り言」というエッセーを書かれている。それに依れば、「最近、業界の人たちが集まると、展覧会図録の売れ行きが悪い、という話が良く出ます。これも、お客様と図録を作る側の意識のずれていることのあらわれではないでしょうか。(一部略)展覧会情報をコンパクトに発信し続けている「季刊永青文庫」の形は、まことに斬新で、多くのお客様の意にかなったものではないかと思います」と述べられ、大体10人に1人が買上げてくれるそうである。「図録販売不調の時代にあって、これはすごいことだと思います」と結ばれていた。誠にその通りだと思った。図録の3000~2500円は高すぎると思う。小さい美術館では、図録の発刊が難しくなっいている。例えば、隅田区立の「すみだ北斎美術館」では、最初の図録は出来たが、その後は図録を作っていない。従って、私は、1回しか「すみだ北斎美術館」には行っていない。

永青文庫 「江戸絵画の美」 衛藤良行筆「領内名勝図鑑」 江戸時代後期

熊本で細川家の御用を勤めた絵師に矢野派という流派がある。室町時代の雪舟とその画流を受け継いだ雲谷派を祖とした。初代矢野三郎兵衛吉重が、細川忠利が熊本に転封されたときに付き従い、以後熊本に根付いた。5代目良行の代に全盛を迎えた。その代表作が「領内名所図鑑」であり、15巻にわたって濃密な筆致で描いたもので、全巻合わせると400メートル以上になる。この時代、細川斉滋(なりしげ)のもとで、熊本では多彩な絵画文化が花開いた。この絵は図鑑の中の「上益城郡矢部手之内」を描いたものである。

肥後細川庭園への案内板

本日のメイン会場である、肥後細川庭園への入口であるが、ここから庭園に降りるまでは急坂の連続であり、体力のある人でないと無理である。かねて急坂であると聞いていたが、聞いた話以上に急坂が続いた。

肥後細川家庭園

これは池泉回遊式庭園であり、庭の大半が池である。実は尾張徳川家の庭園が解放され、今年の6月に、徳川庭園を訪ねたが、大半が池で、これは庭園というより徳川池と呼ぶ方が相応しいのではないかと思ったが、この肥後細川家の庭園も80%以上が池である。これだけの池を造るのに、どれだけの人力が懸ったかは、思いのほか、多いであろう。後方に見えるのが「松聲閣(しょうせいかく)」と呼ばれる建物で、旧熊本肥後藩下屋敷のあった地で、細川家の学問所として使用されていた。大正時代に改修を行い、一時期は細川家が使用していた。現在の建物は、歴史性を生かして保存・修復を行うと共に、耐震性を確保し、平成28年(2016)にリニュアル・オープンした。集会室が四室、回遊式展望所・山茶花、喫茶・椿があり、そこではお抹茶とお菓子が頂ける。

大隈庭園

歩く会の終点は、早稲田大学内にある大隈庭園である。この庭園は、井伊掃部頭、松平讃岐守の下屋敷にあった和様四条家風の名園を早稲田大学の創設者・大隈重信が文人風に改造したものである。没後、邸宅と共に大学に寄贈された。昭和20年5月の空襲で庭園は廃墟と化したが、多くの人々の努力により、ほぼ昔の景観どおりに復元され、今日に至っている。

桜が満開

先の台風で葉が散ってしまい、桜が季節を間違えたのか、この桜は満開であった。異常気象の影響もあるだろう。大隈庭園の入口に近い場所である。後ろに、大隈講堂の頭が見える。

重文 早稲田大学大隈記念講堂 鉄筋コンクリート造 三階建地下一階 時計台付

庭園の近くに大隈講堂が建っている。重要文化財に指定されていたので、写真に収めた。昭和2年(1927)に建設され、早稲田のシンボル的存在であり、ロマネスク様式を基調としたゴシック様式を加味したわが国近代の折衷主義建築の優品として、高い価値がある。佐藤功一氏の代表作である。平成19年(2007)に重要文化財の指定を受けた。

 

今回の「お江戸歩き」は、階段の多い道であり、胸突坂や、永青文庫から細川庭園まで降りる急坂など、結構階段の多い散歩となった。しかし全員、終点の大隈庭園まで、無事到達し、午後4時半から6時半まで、大隈講堂の横に新設された高層ビルの15階にある「森の風」レストランで、ビールと食事を楽しんだ。15階からの夕方の東京の景色は素晴らしく、暮れゆく夕色を楽しんだ。

 

(本稿は、「東京都の歴史散歩・上」、文京区刊「目白台・関口の歴史」、「肥後細川庭園」、「松聲閣」、図録「永青文庫NO104号」を参照した)