すみだ北斎美術館   北斎の帰還

すみだ北斎美術館は2016年11月22日に開館した。この美術館の建設については、平成元年(1983)3月に、墨田区基本計画において「北斎館」(仮称)の建設が計画されたことを皮切りとする。私は、たまたま墨田区に本社のある「丸源飲料(株)」の社長より、この計画を聞いており、その実現の日を待ち望んだものである。世界的な芸術家として評価の高い葛飾北斎(1760~1849)は、本所割下水(ほんじょわりげすい)(現在の墨田区北斎通り沿い)付近で生まれ、約90年の生涯のほとんどを区内で過ごし、優れた作品を多数残した。平成元年4月には、北斎館資料取得基金が設置され、作品の収集も始まった。その後、平成5年(1993)11月にピーター・モースコレクションを取得し、同7年(1995)10月に楢崎宗重(ならざきむねしげ)博士所蔵美術品を受贈している。こうして集められてきた収蔵作品は、現在1500点を超える。墨田区が平成元年以降、独自に収集し続けているコレクション(以下、墨田区コレクションと呼ぶ)、ピーター・モースコレクション、楢崎宗重コレクション、以上の3本柱によって、すみだ北斎美術館は成り立っている。「北斎の帰還」に展示されている作品はすべて、墨田区コレクションであって、ピーター・モースコレクション、楢崎コレクションは2回目以降に展示される予定である。さて、開館記念の「北斎の帰還」は二つの意味がある。一つは、10年余りも行方知れずとなっていた幻の絵巻「隅田川両岸景色図巻」が平成27年(2015)に再発見され、海外から日本へ里帰りしたことを意味する。二つ目は、世界に散逸した北斎の名画が、生誕の地すみだに再び集められ、それが北斎専門の美術館で展示される、つまり北斎が名品とともにすみだに帰ってきたことを意味する。以上二つの意味での「北斎の帰還」を祝ったものが、この展覧会である。個人的には、両国は明治乳業の牛乳製造工場発祥の土地(昭和5年)であり、その跡地に明治乳業東京支社が建設され、私はそこに6年近く勤務し、墨田区両国は、私に取って忘れがたい土地であり、そこに北斎美術館が建設が建設されたことは、個人的にも大変奇遇を感じた。会場は大変な賑わいであった。(2017年1月15日まで)

すみだ北斎美術館  写真

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メタリックな感じのする近代的美術館であり、北斎通りに面する公園の一部を区切った美術館である。公園の一部を活用し、北斎通りに面した交通の便も良い。待ちに待った開館であった。

新浮世絵 両国橋夕涼花火見物之図 大判錦絵  享和年間(1781~89)頃

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北斎は約90年に亘る生涯の大半を墨田区内で過ごした。隅田川左岸の地「すみだ」は、文人墨客に愛される風光明媚な土地であった。「すみだ川」と隅田川流域は、浮世絵の題材としてよく取り上げられており、北斎も数多くの作品を残している。本図は夏の両国の賑わいを描いた春朗時代の浮世絵の佳作として知られる。白抜きで表現される月の光のなかで、画面斜めに両岸を描き、花火が舟から打ち上げられ、川岸の盛り場、橋の上にも人々が群れている。斜めに俯瞰しながら隅田川をとらえ、花火を月の浮かぶ空の余白へ上げたところが利いている。描かれた両国橋付近は、頻繁に転居していたとはいえ北斎の居住した地域に近く、庶民の娯楽が集中する繁華な江戸の名所であった。

両国夕涼み  大判錦絵 画境老人(印)  享和年間(1801~04)

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本図は墨田区の対岸、現在の東日本橋辺りから両国橋を望んだ情景で、手前に花火を眺める母と子がカラーで、画面の左奥に両国橋、中央に一之橋(いちのはし)がシルエットで表わされている。ほっそりとした女性たちは宗理時代の北斎の特徴を示している。「摺物風名所絵」と呼ばれて、北斎壮年期の摺物及び狂歌絵本の分野での人気から企画されたものであろう。

すみだかわ 大判錦絵 北(印)済(印) 享和元年(1801)頃

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紡錘系の枠のタイトルに「すみだかハ」とあり、雪景色の隅田川沿いの船着き場を描いた図である。この船着き場は、御囲(みかこい)神社(墨田区向島二丁目)とその対岸を結ぶ竹屋の渡しと言われる。「両国夕涼」と同じシリーズと考えられている。隅田川周辺で暮らした、北斎の好んだ画題であったようである。

隅田川両岸景色図巻  紙本着色 画狂老人(印)  文化2年(1805)              両国橋の近く

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新吉原遊興の図

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本絵巻は高く評価されながら約100余年行方が知られなかった。近年再発見され、日本への里帰りを果たした。北斎の落款には「於談州楼」とあり、談州楼と名付けられた本所相生町(墨田区両国、緑辺り)の自宅で制作されたことが記されており、制作の地かつ北斎の誕生の地にある「すみだ北斎美術館」に納められていることは意義深い。両国橋から大川橋(現在の吾妻橋)、山谷堀、木母寺辺りまでの隅田川両岸の風景と、新吉原における遊興の様子を描いた639,9cmに及ぶ北斎の肉筆画である。最初の風景は、両国橋の近くに立つ男女数名をリアルに描いている。最後の2枚の絵は、新吉原を愉しむ遊興の様子を描いたものである。吉原楼上の人物像は、宗理様式の楚々とした上品な雰囲気を残しながら、次の葛飾北斎期のボリュームのある人物像も感じさせる。北斎の肉筆画の傑作である。

吉原妓楼の新年(部分) 大判錦絵5枚続き(署名)なつかしか北斎 文化8年(1811)頃  5枚続きの最左端の図

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大籬(おおまがき)という吉原で最も格式の高い遊女屋のうちの一つ、扇屋(おおぎや)を描いたと言われる作品である。北斎は、肉筆画や摺物では吉原の遊女や他の江戸美人を描いているが、錦絵には美人やその情景を題材としたものはあまりない。その上、北斎は続絵をほとんど作っておらず、わずかな二枚続と三枚続が知られるのみである。本図は北斎唯一の五枚続の作品であるが、念入りに描かれた室内構造とさまざまな写実的なポーズの多くの人物とその複雑な組み合わせによって、北斎の代表的な傑作と位置づけられる。上掲の左端の図には階段の下に酒樽が積まれ、一つには版元の伊勢屋利兵衛の印があり、他の樽には「風流新板 五枚続」と書かれている。

富嶽三十六景遠江山中 大判錦絵 署名 前北斎為一筆 天保2年(1831)頃

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「富嶽三十六景」は、19世紀の浮世絵版画の中でも最も高く評価されて素晴らしい風景画シリーズである。この絵の場所の特定は難しいが、現在の静岡県西部にあたる遠江山中のどこかで、材木職人が仕事に励んでいる。赤ん坊をおんぶした女のいつことから家族の仕事であることがわかり、近景の日常生活の忙しい情景と、堂々とした富士山の峰との対照が強調されている。巨大な材木の上下からのこぎりを使う職人の姿と材木の高い支柱の間から富士を見せるという巧妙なアイデアは北斎自身の創案によるものである。

富嶽三十六景五百らかん寺さざゐどう大判錦絵署名前北斎為一筆 天保2年(1831)頃

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本所の五百羅漢寺は、二つの名物で知られていた。一つは五百羅漢の寺(300体以上を現在は目黒に移転した寺で見ることができる)、もう一つは三匝堂(さんそうどう)、さざい堂、さざえ堂、あるいは百観音と称された三層の堂である。お堂の内部で参詣者は西国、坂東、秩父の百の観音を巡礼することを表すかたつむりの殻のようにらせん状になった回廊を上がり下りする。三階には見晴台がある。北斎の絵では、堂の最上部で富士の眺めと涼しい風を愉しんでいる。左端の小僧さんは版元永寿堂の印のついた包みを背負っている。近くに見える材木場の高い坂は、富士の形に呼応している。

諸国瀧廻り美濃ノ国養老の滝 大判錦絵 署名 前北斎為一筆 天保4年(1833)頃

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岐阜県養老郡養老町にある養老の滝は、今日でも名水として知られている。元正天皇がこの滝を訪れた時、たいそう感銘を受けて、その霊泉を讃えるため年号を養老(717~724)と改元したほどである。実際には、滝は北斎の絵に表されているものより、もっと大きく見事である。おそらく北斎は実際に滝をみていなかったのだろう。この滝の色にはベロ(輸入化学染料)が用いられている。藍の色が極めて濃く出ている。

芥子 大判錦絵 署名 前北斎為一筆 天保4~5年(1833~34)

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この印象的な図は、大判花鳥シリーズの内でも最高の構図とされる。強い風に吹かれてしなる芥子の曲線は、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の波を描く曲線と比較されてきた。日本美術では、イメージの横の流れが通常は右から左に読まれるのに対し、この作品は左から右へという曲線が、見る者に驚きと劇的な感覚をもたらすからである。

百物語さらやしき中版錦絵 署名 前北斎筆 天保2~3年(1831~32)頃

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「さらやしき」とは、皿屋敷のお菊のこと。皿屋敷伝説は全国にあり、主家の家宝の皿を割ったために惨殺された下女のお菊が、幽霊となり、夜な夜な井戸から現れ、皿を数えるという共通する筋立てを持つ。皿屋敷に取材した作品は数あるが、本図のように、首から下を蛇体のように皿を重ねて表した姿を他に見られない。

桜に鷹 長大版錦絵 署名 前北斎為一筆 天保5年(1834)頃

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すばらしい装飾を施された架木に繋がれた鷹狩の鷹は、中国、朝鮮、日本の絵画において、風雅な上流階級の生活を表すシンボルとして好まれた。掛軸の絵の版画バージョンである北斎の本図ではさまざまな象徴が一体化されている。日本の鷹狩は上流階級に限られており、戦時ではなく平時に行われたために、鷹は高貴な生まれと武勇の双方を表すものであった。庶民にとっては、鷹は、「ふじなすたか」の語呂合わせによって、富士と茄子に組み合わされた初夢の3つの縁起物の一つであった。鷹と桜花のはかなさは、人生は短い、それゆえに、武士の掟によってであれ、それとは異なる浮世の価値観によってであれ、できるだけ人生をよく生きるべきであるということを思い出させるものである。なお、ボストン美術館で全く同じ浮世絵を見たが、まるで色が変わり、藍色の濃い感じに見え、まるで別の浮世絵のようであった。今回の「墨田コレクション」の方が、遥かに良い感じがする。

 

「すみだ北斎美術館」は、平成元年(1989)頃から聞いており、その完成を待つこと約20年であった。待ちに待った開館の中で、一番感激したのは「隅田川両岸景色図巻」を思う存分鑑賞できたことである。多分、この肉筆画は、そう見ることは無いだろう。そういう意味でも、意義深い開館であった。北斎の90年に及ぶ生涯の大半を過ごした隅田区内の「北斎通り」沿いの公園内の一画に、北斎専門の美術館が出来たことは、浮世絵ファンとして心から感謝したい。美術館には、北斎に関する図書室があり、1万8千点の資料を所蔵しているそうである。また、聞いた話では、北斎画の版木も多数保管しているそうであり、出来れば、それを使った現代版の「北斎浮世絵」を販売して頂きたい。ショップに額に入った「富嶽三十六景 神奈川沖浦波」を販売していたが、あるいは、それが版木から印刷したものであったかも知れない。次回は17年2月4日から、「ピーター・モースと楢崎宗重 二大コレクション」を展示する予定だそうである。次回を愉しみにして、墨田コレクションと、お二人のコレクションの差を探して楽しみたい。また12月8日付けの日経新聞では、首都圏経済のページで、”北斎「幻のの肉筆画」切手に”の見出しで、日本郵便東京支社が「すみだ北斎美術館」の開館記念切手の販売を始めたと報じた。記事によれば、幻の肉筆画「隅田川両岸景色図巻」や、富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」などが82円切手10枚1組で、価格は1300円、1550セットを用意し、美術館や地元の墨田区等で販売するそうである。美術館を生かした地域の盛り上げに一役買いたいと、区と協力して企画したもののようである。

 

(本稿は、図録「北斎の帰還 2016年」、図録「大浮世絵展 2014年」、図録「ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎  2013年」、田中英道「日本美術史全史」、日本経済新聞 「2016年12月8日」を参照した)