ほほえみの御仏展  二つの半跏思惟像

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東京国立博物館で「ほほえみの御仏」展が7月10日まで開催されている。今年は、日韓国交正常化50周年に当たり、両国の友好関係を構築していく上で、貴重な年に当たり、日韓両国の文化交流の一層の発展を図るために企画されたものである。この展覧会は日韓両国の代表的な半跏思惟像(はんかしゆいぞう)を1体ずつ選び、それらを両国において一緒に展示することにより、互いの文化を広く両国民に観覧してもらい、両国の友好と絆を更に深める一つの契機になればとの思いからである。朝鮮国立中央博物館が所蔵する「国宝78号像」は、韓国の至宝として広く親しまれたものである。日本からは、奈良中宮寺門跡に伝わる国宝の半跏思惟像ーまさに日本を代表する御仏であるーを展示するものである。すでに韓国の国立中央博物館で5月24日から6月12日まで展示され、期間中に4万5千人の観客があったそうである。2つの半跏思惟像が並ぶのは、初めての試みである。中宮寺の半跏思惟像が、海外で展示されるのは初めてである。韓国文化体育観光省は「古代韓日文化交流の産物である半跏思惟像の出会いが両国関係の新たな未来につながることを期待する」と表明している。」私も、日韓関係の正常化に繋がる試みとして、大いに期待したい。

国宝  半跏思惟像   木造、彩色  奈良・中宮寺  飛鳥時代(7世紀)

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左足を踏み下げ、右足をその膝の上に組んで丸椅子状の座具に座り、右手を頬に添えて思惟(思案)している。厳密には片足をもう一方の足の上に組んで座ることを半跏と言うが、半跏思惟像と言う場合には、このように片足を踏み下げる姿をいうのが普通である。頭頂の二つの球形は結った髪で、両肩から腕に垂れているのも髪である。やや面長で頬はふっくらとし、伏し目で微笑(ほほえ)みを浮かべる優しい表情をしている。現在、像の表面は黒光りしているが、肉身部の一部に肌色が残っていて、本来はより肌の柔らかさが強調された表現であったことがわかる。飛鳥時代の木彫仏に一般的なクスノキが使われているが、材を複雑に組み合わせるのは、この像の特徴である。和辻哲郎や亀井勝一郎が、実に美しい言葉で語った中宮寺の半跏思惟像(お寺では如意輪観音像と呼ぶ)は、日本の至宝である。

韓国国宝78号  半跏思惟像  銅像・鍍金    三国時代(6世紀)

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右手の指先を頬に添え、右脚を組んで座る半跏思惟像である。その名称には諸説があるが、朝鮮半島では特に信仰が盛んであった弥勒菩薩(みろくぼさつ)としてくくられたものが多いと見られる。目元を伏せつつうつむいた姿は、人々の救済を願いながら瞑想する様子を表すものであろう。頭と手足が大きく、なめらかにすっきりとした体躯の表現、線刻による波紋状の衣の襞(ひだ)といった特徴は、三国時代(高句麗、百済、新羅)の6世紀後半に流行するスタイルであるが、日本では飛鳥時代、7世紀の金銅仏に承継される特色であり、超越者である仏の気品にあふれる姿で表現することに成功している。銅造に鍍金(金メッキ)を施した金銅仏としては大型に属するが、近年、韓国国立中央博物館が実施した科学分析によって、頭と体、左足の小蓮華と三分割して原型をつくることで、5mm前後という均一な銅厚を維持できる慶尚北道出土との伝承があるものの、製作地の確定には至っていない。洗練された造形や高度な鋳造技術から、王室の関与する造佛であったと推測される。最新の研究では、高句麗(こうくり)の仏像とする意見が出ている。(展示されたのは、この2体のみである)

重要文化財 菩薩半跏像 銅像鍍金(法隆寺小金銅佛)   飛鳥時代(7世紀)

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法隆寺宝物館(東京国立博物館内)に納められた小金銅仏の一つである。現在は、すべての小金銅仏が重要文化財に指定されているが、本像は1990年代には重要文化財に指定されていた。指先を頬に添えて、物思いにふけった姿で表される像を、半跏思惟像と呼び、法隆寺宝物館の四十八体佛の中に9体含まれている。内1体は朝鮮伝来の菩薩半跏像で、三国時代の6~7世紀作とされる。後の8体は日本国内制作である。この姿は、インドや中国でも、釈迦の出家前の姿である悉達太子(しつたるたいし)や、釈迦あるいは弥勒の脇侍などとして造られている。三国時代の朝鮮半島では、弥勒菩薩がこの姿で表されるが、それには貴族の間で盛行した弥勒信仰の象徴的意味合いがあったものと思われる。日本における半跏思惟像の造像は、朝鮮半島の影響が大きかったと考えられている。

重要文化財  菩薩半跏像 銅像鍍金(法隆寺小金銅仏) 飛鳥時代(7世紀)

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私は、1996年に開催された「特別展 法隆寺献納宝物」で見た物であり、現在は東京国立博物館の「法隆寺宝物館」に常時展示されている。何時もは殆ど見学する人もいないが、流石に「ほほえみの御仏」展の後だけに、多数の人達が見学に来ていた。小金銅佛はすべて重要文化財に指定され、この仏像は、前は「白鳳仏」と記されていたが、現在はすべて飛鳥時代と表記されている。(私は、この表記の変更を見て、東博の仏像鑑定眼を疑っている。私自身は、すべて飛鳥佛とみていたが、権威が白鳳仏と言い張るので、やむを得ず、「東博は白鳳仏とするが、私見では飛鳥佛」などと書いていた)今回の展覧会に合わせて、これら半跏思惟像は、一番奥の部屋にまとめて9体陳列されていた。多分、半跏思惟像を求めて来られる来館者のために特別陳列したものであろう。

韓国国宝83号  半跏思惟像  三国時代(7世紀?) 朝鮮国立中央博物館

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国宝78号と双璧をなす、三国時代に制作された韓国を代表する半跏思惟像である。二つの像には、造形的な面で明確な差がある。最も大きな差は、頭に戴く宝冠の形状である。国宝83号像のそれは低く、三つの山型を持つことから三山冠または蓮華冠と呼ばれる。国宝78号と異なり、上半身にはまったく衣服をまとわず、シンプルな胸飾りのみを着けている。簡潔ながらバランスの取れた身体、立体的で、自然に表現される衣の襞(ひだ)、はっきりとした目鼻立ちから6世紀後半に制作された78号像よりも少し遅れて7世紀前半に制作されたものと考えられる。また、国宝83号像は大きさが93.5cmと、金銅の半跏思惟像のなかで最も大きいもので、かつ京都の広隆寺の木造半跏思惟像と非常に似ており、韓国仏像の古代日本への伝来と関連して注目される重要な作品である。制作地は不明である。(広隆寺の木造半跏思惟像は日本で造られたが、作者は、渡来人であると私は考えている)

金銅弥勒菩薩半跏像 銅像・鍍金 統一新羅時代(668年以降)国立中央博物館

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この像は明確に弥勒菩薩像として伝わっている。弥勒菩薩(みろくぼさつ)は、インド語で「マイトリア」という。滋氏(じし)と訳し滋氏菩薩という。この菩薩は釈迦の補処(ほしょう)の菩薩とされ、釈尊没後56億7千万年後この世に下生(げしょう)し、第二の釈迦として竜崋樹下で説法し群集をして仏道を成さしむと言う。しかし、今兜率天(とそつてん)上にあって修行の最中であるという。よってその尊像は菩薩の形姿ではあるが思惟の姿勢をなし、却は左足を下げて半跏につくる。朝鮮半島では広く信仰を集めたが、日本では観音菩薩と並んで仏教渡来当初の飛鳥時代より信仰されたが、奈良時代以降その信仰が衰え、従って造像も少なくなった。

 

日本に仏教が伝わったのは欽明天皇13年(552)(日本書記説)で、金銅の釈迦如来像や経典などが朝鮮半島の百済(くだら)よりもたらされたと「日本書記」に書かれている。(異説あり)その時、欽明天皇は、仏の姿は今まで見たことがないほど厳かであると語っている。(書記によれば、次のような天皇の言葉を伝えている。「西蛮(にしのくに)の献(たてまつれ)る仏の相貌(みかお)端厳(きらきらし)く、全(あわ)ら未だにかって看(み)ず。禮(いやま)ふべきか以不(いな)や」。現在その像は伝わっていないが、奈良・法隆寺伝来の四十八体佛の中にある、同時代に朝鮮半島でつくられた作品が参考になるだろう。金銅仏を初めて見た人は、鍍金(金メッキ)されて光り輝き、厳かで神々しいと感じたことであろう。この半跏思惟像の姿はインドで生まれて、中国、朝鮮半島を経て、日本に伝わった。中国では半跏思惟像はおもに出家前の釈迦を現わすことが多かったようであるが、朝鮮半島では6,7世紀頃に盛んであった弥勒信仰と結びついて弥勒菩薩として造られたものである。日本の半跏思惟像は、朝鮮半島の影響を受けて造られ、作品に記された銘や資料から多くは弥勒菩薩と考えられる。中宮寺の半跏思惟像も、いま如意輪観音像としてまつられているが、弥勒菩薩として造られた可能性がある。日本では半跏思惟像は決して多くないが、京都の広隆寺にも、国宝に指定される2体がある。半跏思惟像に日本を代表する名品があるのは、高い技術力を持った仏師が選ばれたせいではないかと思われる。半跏思惟像が流行したのは、仏像の表現を人々が真剣に求めた時代であったということも理由の一つであったはずである。

 

(本稿は、図録「ほほえみの御仏」、図録「韓国古代文化展  1983年」、図録「特別展 法隆寺献納宝物展  1996年」、石田茂作「仏教美術の基本」、ハンリム出版社「韓国の歴史」、日本経済新聞 「2016年5月24日号」を参照した)