アーチゾン美術館会館記念展(6・終)

アーチゾン美術館が保有する日本人画家を最後に紹介したい。ここでは安井曽太郎、藤田嗣治、古賀春江、関根正二、佐伯祐三,松木俊介の7氏である。大家もいれば、まだ知名度も高くない作家もいるかも知れな。いずれにしてもアーチゾン美術館が保有する美術品は一流揃いと、私は思うので、もし知らない画家がいたら、せめて、その履歴を調べて、近代日本絵画参照の参考にして頂きたい。

水浴裸婦 安井曽太郎作  1914(大正3)年 油彩・カンヴァス

10代の終わりから7年間、フランスに留学した安井曽太郎は、古典からポスト印象派までの様々な西洋美術を学び取った。カーニュのアトリエに晩年のピエール=オーギュスト・ルノワールを訪ねてもいるが、安井にとって最も大きな存在はポール・セザンヌであった。帰国する年に描かれたこの作品は、留学中の最大の油彩画で、集大成ともいえる充実ぶりを示している。セザンヌ、ルノワールも取り組んだ水浴する裸婦という西洋の伝統的な主題を大画面にまとめ上げつつ、人体や背景には彼らの影響を、隠すことなく吐露している。

巴里風景  藤田嗣治作 1918(大正7)年 油彩・カンヴァス

藤田嗣治については、この美術評で、しばしば取り上げている。皆さんもご存じの画家である。藤田は、渡仏初期はパリ周辺部の寂れた景色を好んで描いており、モノクロームに近い灰色を基調とした風景画を多数残している。この作品は、比較的鮮やかな色彩を用いて、街中の情景を題材にしているやや例外的であるものの、全体に漂う寂寥感や人物の描き方などに初期の風景画の特徴が見られる。エッフェル塔や地下鉄の入口のアーチ、大きな肉をぶら下げた屋台といったモティーフから、当時藤田が暮らしていたモンパルナスの界隈、エドガー・キネ通りの市場を描いたものと間あげられる。

横たわる女と猫 藤田嗣治作  1932(昭和7)年 油彩・カンヴァス

新たな画業の展開を求め、藤田嗣治は1931(昭和6)年に中南米へと旅立った。そしてブラジルからアルゼンチン、ボリビア、ペルー等を周遊して、作風は、鮮やかな色彩とより写実的な描写へと大きく変化した。この作品は、右下の署名と年紀から、1932年にリオ・デ・ジャネイロで描かれたことが判っている。しかし、この時期の特徴である鮮やかな色彩表現は見られない。むしろ乳白色の下地や繊細な描線といった、エコールド・パリ時代の技法を用いて、藤田の得意としたモチィーフである女性と猫を描いている。

猫のいる静物 藤田嗣治作 1939~40(昭和14~15)年 油彩・カンヴァス

この作品は藤田嗣治が戦争の激化にともない、日本へ帰国する直前の1939(昭和14)年から40年にかけて描かれた。テーブル上に描かれる様々な食材は、それらの宗教的な意味合いや、西洋の伝統的な静物画の影響が指摘されることもある。しかし飛び立つ獲物を狙う猫の描写は画面に動的な要素を加えており、また、黒い平面性を強調する役割を果たしている。右隅に描かれた猫は、まるで画家の分身であるかのように頻繁に藤田の作品に登場する。

街道(銀座風景) 岸田劉生作 1911(明治44)年 油彩・カンヴァス

この作品は、岸田劉生の実家近くの銀座通りを描いたものと考えられている。劉生の実家は、銀座2丁目で水目薬などを販売する店、楽善堂精錡水本舗を営んでいた。街角の赤煉瓦の建物や右端に見える路面電車などは、当時の銀座通りを象徴するようなモチーフである。この頃劉生は、雑誌「白樺」を通して知ったポスト印象派に関心を寄せ、特にフィンセント・ファン・ゴッホ風の強烈な色彩と光の輝きに惹かれていた。強い陽射しに照らされた道路の明るい色彩が、この作品の画面半分以上を覆い、印象的なコントラストを生んでいる。

素朴な月夜 古賀春江作 1929(昭和4)年 油彩・カンヴァス

古賀春江は松田諦晶に絵を教わり、上京後は太平洋画会研究所と日本水彩画研究所で学んだ。浄土宗寺院の長男である古賀は、1915(大正4)年僧籍に入り良昌と改名、春江を呼び名とした。宗教大学(現・大正大学)にも一時通学したが、1918年に辞め、その後は画業に専念した。1922年に二科賞受賞を機に前衛グループ「アクション」の結成に参加、1926年頃からはパウル・クレーの作品に依る童画風表現に転じた。1929(昭和4)年、古賀はこの作品をと鳥籠を含む5点を第16回二科展に出品した。月夜に飛ぶ梟と蝶、煙を上げながら降下する飛行機、卓上には果物や卵、酒瓶、花瓶の花、さらには建物の一部が載っているようである。全身水玉模様の人物や、こちらを見ている犬も不気味な雰囲気を醸し、読み解こうにも読み解けない世界が広がる。脈絡のないモチーフの並置や奇妙な配置によって幻想的な世界を表す手法に、西洋美術のシュルレアリスムとの関連が当時から指摘され、東郷青児や、阿部金剛、中川紀元の二科展出品とともにその作風は注目を集めた。

子供 関根正二作  1919(大正8)年 油彩・カンヴァス

20歳2ケ月で亡くなった関根の最後の半年の間に、6歳の末弟・武雄を描いた肖像画と考えられている。貧しかった関根は、自作の古いカンヴァスを潰してその上に新しく制作ことが少なくなかった。肉眼でも分かるように、この作品もそうして例の一つである。印象的な朱色はおそらく最初の画面にあったものを利用したのであろう。朱色と背景の澄んだ青との鮮やかな対比は、死を前にした画家の生命への希求が感じられる。

テラスの広告 佐伯祐三作  1927(昭和2)年 油彩・カンヴァス

佐伯祐三のアトリエから程近い、ポール・ロワイヤル通りの周辺のカフェを描いた作品である。この作品は、絵に描かれた文章から2度目のフランス滞在時期である1927(昭和2)年の11月に制作されたことがわかる。画面を踊るいくつもの黒い文字は、作品全体の中で装飾的に再構成され、画面に動きを与える要素として重要な役割を果たしている。この作品は、佐伯の没後開かれた1929年の第四回1930年教会の特別陳列に出品された。

運河風景  松木俊介作  1943(昭和11)年 油彩・カンヴァス

松木俊介は1930年代から第二次世界大戦にかけて、知的な操作による抒情豊かな風景画や人物画を数多く残した。東西の古典美術を学習し、考え抜かれた静謐な画面を透明感のある点描でつくり出した。また妻禎子とともに月刊誌「雑記帳」を刊行し、様々な文章を意欲的に発表するなど、時代に翻弄されがちな画家のあるべき姿を世に問い続けた。1930年代初めからジョルジュ・ルオーやアメデオ・モデリアーニなどの影響を受けて、青や茶色のモンタージュ風の都市風景に取り組んだが、戦火が激しくなる1940年代には、東京や横浜の気に入った風景を暗く静かな色調で繰り返し描いた。この作品は、東京の新橋近くのゴミ処理場とそこから流れる塩留川にかかる蓬莱橋(ほうらいばし)だと考えられている。この堀り割りは1960年代に埋め立てられてしまったが、「蓬莱橋」は地名として今でも残っている。この作品は1943(昭和18)年4月に、靉光(あいみつ)、麻生三郎、寺田政明、井上長三郎らと結成した新人会の第1回展で発表された。

 

アーチゾン美術館には、英仏など外国の作家と並んで、日本人画家も沢山保有されている。どうしても、西洋の印象派以降の作家の作品群と考えられがちであるが、結構明治以降の西洋風画家の名画が沢山保有されている。今回の展覧会は「開館記念展 見えてくる光景」「コレクションの現在地」と題された、石橋財団の保有する秀作を一堂に展示した展覧会であった。この展覧会は、第1章 新収蔵作品から31点を初公開  第2章コレクションへの新たな視点 第3章 従来に無い鑑賞体験 の3つの見どころを挙げている。また「無料音声ガイド」を歌い、「ご自分のスマートフォンをお持ち下さい。アプリをダウンロードして音声ガイドを無料でお楽しみいただけます。音声の細谷佳正さんをナレーターに迎え、作品の背景や見どころをわかりやすく解説します」とアッピールしている。要するにスマホを持参しないと、一切の解説が無く、また図録にも解説が書かれていないという徹底ぶりであり、老人には不便な美術館である。多分2度と行かないと思う。但し、日本の古美術を保有していることが「石橋財団コレクション」を読んで判った。この日本古美術を展示する機会に、多分出かけるであろう。下手な解説は不要であり、私の古美術鑑賞力で十分、学芸員の力を借りる必要は無いと思う。

 

(本稿は、「石橋財団コレクション  2020年」、「ブリジストン美術館名品選  2015年」、土方定一「日本の近代美術」を参照した)