アーチゾン美術館開館記念展(3)

前章では,印象派を中心に書く予定であったが、印象派が少なく、マチスまで進んでしまっった。本稿では、極力抽象画を避け、マチスからポカソの入口まで書きたい。マチスは色彩が美しく、是非、マチスの色彩を楽しんで頂きたい。またルオーとかモデリアーニ等を判りやすく解説する。最後はピカソになるが、これも具象的時代のみとする。

牧場  アンリ・ルソー作 1910年 油彩・カンヴァス

パリ市の税関職員だった素朴派のルソーは、40歳を過ぎてから独学で絵を描き始めた。この作品はルソーの最晩年、注文によって描かれたものである。牧歌的な田園風景の中に大きな樹と2頭の牛、牧童が描かれている。木の葉一枚一枚が細密に描写される一方、遠近法やモチーフの前後関係を無視した構図は、一見稚拙である。しかし雲一つない真っ青な空や、不自然なほど平たく広がる緑の牧草地は、平凡な風景を幻想的に見せ、独特の魅力をたたえている。この作品はルソーに魅せられた日本画家土田麦僊の旧蔵品である。

縞ジャケット アンリ・マチス作 1914年 油彩・カンヴァス

20歳を迎える画家の長女マルグリッドがこの作品のモデルである。幼少期に受けた気管切開を伴う施術の傷を隠すため、ペンダントのついたリボンを首につけている。マティスは地塗りの白を残しながら、フォーヴィズムの時期を彷彿とさせる鮮やかな色彩を多様な筆致により画面に配し、軽やかにして華やかな女性像を描き出している。帽子の格子縞、そして画題にもなっているジャケットの縦縞の描写では、色彩と線との一体化が見られ、同時期に深化していくマチスの造形的探究の成果を示している。

石膏のある静物 アンリ・マチス作 1927年 油彩・カンヴァす

マチスは人物画を得意としているが、静物画にも積極的に取り組んだ。第一次大戦後、パリから南フランスのニースに移り、その結果、1920年代には色彩豊かな作品を手掛けるようになった。鮮やかな赤色が目を引くこの作品の、無造作に置かれた果物や中央に石膏像を配した構図は、セザンヌの絵画を想起させる。マチスは、29歳のときにセザンヌの作品を購入しており、この画家から強い影響を受けている。この作品では、三次元的なモチーフと、平面的な装飾モチーフをいかに画面の中でまとめるかという問題を追及している。

青い胴着の女 アンリ・マチス作  1935年  油彩・カンヴァス

1930年代のマチスは、平面的な色彩構成を追求し、画面の単純化を推し進めた。この作品では、黒い輪郭線で囲まれた赤、青、黄の3色が巧みに配置されている。椅子に腰掛けた女性の肩は大きく誇張され、腰は極端に細く表現されている。この作品の制作過程を撮影した写真が3枚残されており、3週間足らずの間に作品が次第に単純化されとぃった過程がわかる。モデルはロシア人のリディア・デレクトスカヤ。彼女は1934年頃からマティスのモデルを制作助手をつとめ、病身のマティス夫人の身の回りの世話もした。

キュビズム的風景 ジャン・メッツアンジェ作 1911~12年 油彩・カンヴァス

メッツアンジェはフランスの画家。始め新印象主義の、次いでフォーヴィズムの影響を受けて絵画を制作したが、キュビズムの抽象化を推進するグループ、セクション・ドールの結成に参加し、同年に盟友アルバール・グレーズと共に「キュビズムについて」を著した。彼の作品は、ピカソやブラックのそれとは異なり、色彩及び意匠性に富んでいる。これは、風景的表現をキュビスム的手法で試みた最初期の作品の一つであり、新しい造形表現を試みる画家の気分が存分に感じられるものである。

自らが輝く ヴァシルー・カンディンスキー作 1924年 油彩・カンヴァス

カンディンスキーは、20世紀前半の抽象画の創出と発展に大きな役割を果たした画家である。絵画を精神活動として見なし、色彩や線の自律的な運動によるコンポジションの探求に取り組んだ。ベルリンの分離派やパリのサロン・ドートンヌ、ドレスデンのブリュツケ展などへの出品を経て1911年にフランツ・マルクらと「青騎士」を結成した。ロシア革命後には祖国の美術行政や教育において要職を務めるも、1922年、建築家グロビウスの招聘を受けて、ワイマールのバウハウスに加わった。この作品は、カンディンスキーがバウハウスに加わって2年後の1942年に制作されたものである。左下に画家のイニシャルと年紀が確認される。大小の円形や四角形、三角形、線状的な要素など、様々な形態が重なり合いながら、この時期のカンディンスキーに特徴的な対角線を意識した構成がなされている。加えて曲線が巧みに配されて、螺旋を思わせる流動感が生み出されところは、同時期の作品の中で、この作品をよりユニークなものにしている。

郊外のキリスト ジョルジュ・ルオー作  1920~24年 油彩・カンヴァス

家具職人の子として生まれ、ステンドグラスの職人のもとで修業したルオーにとって、パリのセーヌ河畔や郊外は最も身近な風景であった。この作品の舞台は、画家が少年時代を過ごしたパリ19区の労働者地区ベルヴィルとされ、ルオー自身が「場末の町に貧しい親子を描いた」と語ったことが知られている。満月が照らだす一本道にたたずむ3人の姿は、親子で有ると同時に、現代に生きるキリストと弟子たちの姿、あるいは目に見えなくてもキリストの存在に寄り添っている光景なのかも知れない。巧みな明暗表現によって、寂寥感が強調されている。

ピエロ ジョルジュ・ルオー作  1925年  油彩・紙

ルオーの描く道化師たちは、舞台の上やサーカスなどで、照明を浴びながらおどけたしぐさで演技しているわけではない。目を伏せて静かに瞑想しているような顔つきからは、哀愁の雰囲気すら漂ってくる。近代の画家たちが道化師のテーマの大半は、風俗的な様子を含んでいる。しかし、ルオーの作品にはそうした要素はない。表現方法も独特である。ルオーは絵具をパンフレットナイフで削り、さらにその上に絵具を塗る作業を繰り返した。糸の層がいくつも重なり、下の色が透けて見えるようになる。まるで陶器や七宝焼きのような透明感や輝きが生まれる。

若い農夫 アメデォ・モディリアーニ作 1918年頃 油彩・カンヴァス

モディリアーニは、フィレンツェやヴェネツィヤの美術学校で学んだ後、パリに出た。当初はブランクシーの影響下に彫刻制作に勤むが、やがて貧困と健康上の理由から絵画制作に専念するようになった。その作品の大半は人物像で、少し傾いた頭部、アオモンド形の目、丸みのある細長くしなやかな身体など、独特の形態的特徴を持っている。この作品は転地療養のため南仏に滞在したモディリアーニが、現地で出会った農夫をモデルに描いたものと思われる。独特の人体表現の中に、モデルの内面性を塗りこめられているように見える。

生木と枯木のある風景 パヴロ・ピカソ作 1919年 油彩・カンヴァス

ピカソには珍しい風景画である。ブラックとともにキュビスムを追求したポカソが、再び写実的で三次元的空間を復活させた新しい様式、いわゆるピカソの新古典主義の傾向が認められる作品である。例えば、画面奥の単純化された樹木や画面全体の空間には、奥行きや量感が感じられる。とは言え空間はごく浅く、自然の風景というよりも舞台の書き割りを思わせる。このことは、ピァソが1916年以降、ロシア・バレエ団の舞台装置を手掛けたことと無関係ではないだろう。

 

マティス、ピカソ、ルオーなど西洋絵画の大家が並ぶ章となった。20世紀に貼り、印象派からフォーヴィズム、キュビスムへと絵画の傾向が大転換した。どうしても印象派の具体画が好きな人は、マティスやピカソを嫌うが、これは時代の変化を映したものである。極端な抽象絵画は除いたが、進化を嫌わず、時代の動きと美術の世界の変化を理解しないと、美術展が面白くない。

 

(本稿は、「石橋財団コレクション  2020年」、「ブリジストン美術館名作選  2015年」、高橋秀爾「近代絵画、上・下」を参照した)