オルセー美術館 ピエール・ボナール展(2)

1900年代に入ると、ボナールは食堂、果物、花を画面の中心にした静物画を多く残した。このような室内画や静物画では鮮烈な色彩によって、慣れ親しんだモチーフが未知のものへと変貌を遂げているかのようである。ボナールはやがてやわらかな光のなかに壮大な風景が広がるノルマンディー地方の自然に魅了されるようになった。クロード・モネの睡蓮の展示を見たボナールは1909年の冬、ボナールはヴゥイヤールと連れ立ってジヴェルニーにモネの家を始めて訪れた。翌1910年には、ジヴェニールからおよそ5キロメートルのところに位置するヴェルノンの地に小さな家を借り、1912年にこの家を購入している。ノルマンディーの暮らしはボナールの制作意欲をおおいに刺激し、窓やテラスに広がるセーヌ川の眺めをはじめ、野生の植物の茂る庭、窓やテラス等に制作意欲を刺激されている。また、南フランスの陽光にも魅せられており、1910年の初めから、フランス各地を転々としながら制作に励んだ。それはモネやルノワールら印象派の画家たちを発見した時期にも重なっている。1900年代半ばからコート・ダジュール沿岸を毎年のように訪れていたボナールは1926年にル・カネの丘の上に建つ家「ル・ボスケ(茂み)」を購入し、この地からは、なだらかな斜面を覆う家々とその先に地中海を臨むことができた。1939年以降は、パリやノルマンディーに赴くことを止め、第二次世界大戦の戦火を避けて、ル・カネに引き籠ることになった。このようにフランス各地を転々としながら、各地で制作に励んだ。

猫と女性 あるいは餌をねだる猫 油彩・カンヴァス 1912年頃 オルセー美術館

モデルの顔の上半分陰で覆われいるが、丸みを帯びた顔、ぼってりとした唇、そして栗色の髪の毛は、彼女をマルトだと認識できる。1893年、パリの街角でボナールはマルト・ド・メリニーと名乗る少女と出合った。彼女はやがてボナールの恋人となり、1925年には正式に結婚した。出逢ってから1942年にマルトが亡くなるまで、彼女はボナールの作品にしばしば登場する。本作でボナールは、マルト、猫、そして食卓という、馴染み深い3つの主題を一緒に描いており、日常の何気ない主題が扱われているにもかかわらず、工夫を凝らした構図が用いられている。前景では、皿の丸み、そしてテーブルの丸みとマルトの肩の丸みが呼応しており、後景では、暖炉の端、壁、椅子に用いられた垂直方向の直線の要素が画面を支配している。この静的な画面に動きを与えているのが斜めの要素である。テーブルに乗り出した白い猫の体を伸ばした斜めの姿勢は、皿の上に置かれた魚を狙う猫の視線とほぼ同じ角度で描かれている。この絵はボナールを代表する絵であり、展覧会の冊子の表紙に取り上げられていた。

ル・カネの食堂の片隅 油彩・カンヴァス  1932年頃 オルセー美術館

ボナールは1926年にカンヌ近郊のル・カネに別荘を購入し、「ル・ボスケ(茂み)」と名付けた。翌1927年、それに隣接するアーモンドの木々が植えられた土地も購入して同地に居を定め、1931年以後はこの別荘を南フランスの主な住居とした。ボナールはこの時期「ル・カネの食堂」等の構図を好んで採用した。「ル・カネの食堂」等の構図を好んで採用した。「ル・カネの食堂の片隅」は、1933年のベルネーム=ジュンヌ画廊での個展に出品された。この作品は、空間の統一性という点では比較的整合性の取れた作例であった。

ル・カネの食堂 油彩・カンヴァス  1935年  オルセー美術館

画面の手前にテーブルを置き、その一番奥に人物や動物を配した構図が非常に多く見られるようになった。本作も、人物が一番奥に配され、壁の色に溶け込んで、注意して見ないと見落としてしまうほどである。シャルダンを崇拝したボナールは、テーブルの隅にモチーフを置くことに喜びを覚えていた。淡いタッチで画面の端に描かれた人物は、周辺部がぼやけて見えるという、私たちの実際の視覚とも呼応したかのようである。人物が背景に溶け込み、容易に見付けることが出来ない。こうした室内画では、鮮烈な色彩によって、慣れ親しんだモチーフが未知のものへと変貌を遂げているかのようである。

ボート遊び 油彩・カンヴァス  1907年   オルセ美術館

20世紀に入って印象派を「再発見」したボナールは、とりわけクロード・モネに惹きつけられ、1912年には彼の住むジヴェルニーに近いヴェルノンに居を構えている。この絵は、前景のボートは、犬を連れた女性と子供たちを乗せて川のたゆたう。水鳥や落葉で彩られた水面に向かって、画面右端のボートで寝そべる少年は、木の枝を垂らしている。緑景の丘には家々が立ち並ぶ。ここで舟先は大胆にトリミングされており、見る者の立ち姿と遠景のモチーフが同じ色調で描かれているために、本作の遠近法は厳密ではない。戸外ではなくアトリエの内部で印象派的な主題に向き合った彼の絵画には、現実離れした空間構成や色使いが認められる。

セーヌ川に面して開いた窓、ヴェルノンにて 油彩・カンヴァス 1911年頃 ジュール・シェレ美術館

ボナールが購入したヴェルノンの家「マルロット(私の馬車車)は、セーヌ川に面する斜面に建つている。2階にはテラスがあり、そこから見える眺望を、ボナールは風景画や装蹄画で度々描いている。本作に描かれた窓は解放された室内に明るい光をもたらしている。本作を手掛けた頃、彼はアンリ・マチスの「開いた窓」(1911年)を購入した。画面端で切断された家具や、壁にかけられた画中画は、マチスの作品に共通するモチーフであるが、本作の特徴的なのは、室内に差し込む西日に沈んでいる点である。本作は室内画であると同時に風景画なのであり、両者の関係は、暖色と寒色、人工物と自然物、定型と不定形といった対立項の均衡で表現されている。

にぎやかな風景  油彩・カンヴァス  1913年頃 愛知県美術館

本作は富豪ヘレナ・ルビンスタインの邸宅を飾るために注文されたものである。小さな別荘「マ・ルロット(私の馬車馬)」のセーヌ川の対岸に位置するジヴェルニーにはモネが住んでいる。本作の舞台はセーヌ川が流れるヴェルダンだと推測される。川の畔で、前景右側のマルトと愛犬ユビュは陰に覆われるように描かれており、中景には動物を従える人物たちがひっそりと描かれているのが分かる。前景左側で明るい陽射のもと動物たちと戯れている4人の女性は、日常を楽しんでいるようであり、この世ではないアルカデイアの住人にも見える。1910年代にボナールは、このような叙情性に満ちた牧歌的風景を描いた大型の装飾画を立て続けに制作している。

ル・カネの眺望  油彩・カンヴァス  1924年  オルセー美術館

この地からは、なだらかな斜面を覆う家々と、その先の地中海を臨むことができた。また「ル・ボスケ」の2階のテラスに立つと、眼下に広がる家並みと彼方の海、背後にそびえるエステケレ山脈を一望でき、ボナールは飽きることなくこの俯瞰の風景を描いている。1939年以降は、パリやノルマンディーに赴くことを止め、第二次世界大戦の戦火を避けてル・カネに引きこもることになった、政治や社会のみならず、歴史や芸術までも揺らいでいた時代にあってボナールは、ただひたすら自然に対峙し、そこから得た感動を絵画化するという姿勢を貫き通した。こうした態度をニースに暮らすアンリ・マチスも共有しており、戦争中ふたりの画家は多くの書館を交わしてお互いを鼓舞しあった。

南フランスの風景、ル・カネ 油彩・カンヴァス 1928年 オルセー美術館

ボナールは1926年に小高い丘に建つ家「ル・ボスケ(茂み)」を購入した。この家からは、ル・カネの街並みと地中海、エステル山脈が一望できた。庭にはミモザやアーモンドの木が茂っている。晩年のボナールは、あらゆる角度から「ル・ボスケ」の周辺を描いている。ボナールは、下り坂に広がる街並と、高くそびえる山脈の織りなす起伏に興味を持ったようだ。

花咲くアーモンドの木 油彩・カンヴァス 1946~47年 オルセー美術館

「ル・ボケ(茂み)」には小さな庭があり、画家の寝室からはアーモンドの木を見ることができた。冬が終わりを告げるとともにピンクがかった白い花を咲かせるこの木を画家はしばしば描いている。一連の作品の中でも最後の1点となる本作は1946年に着手された。黒々とした線で描かれた木の枝は、それまでの作品に較べるとかなり簡略化されれ、色彩はより鮮やかなものとなっている。死が目前に迫った1947年の1月、すでに自ら筆をとることのできなくいなっていた画家は、甥のsィアyルル・テラスに頼んで画面左下の緑色の部分を黄色で覆い尽くした。色彩の限りない豊かさを求めることでボナールは、この小さな絵の中に、毎年花開くアーモンドの再生を謳い上げようとしたのである。

 

パンフレットによれば、ピエール・ボナールは20世紀に入ると、目にした光景の印象をいかに絵画化するかという「視神経の冒険」に身を投じ、鮮烈な色彩の絵画を多数生み出した。本国フランスでは近年ナビ派の画家たちへに評価が高まり、2015年にオルセー美術館で開催されたピエール・ボナール展では51万人が魅了され、2014年のゴッホ展に次ぐ歴代企画展入場者数の第2位を記録したそうである。約130点超の作品で構成される展覧会には約30点の初来日の作品が含まれているそうである。間違いなく「色彩の魔術師」のとりこにされるだろう。

 

(本稿は、図録「オルセー美術館 ピエール ボナール展  2018年」図録「国立西洋美術館名作選」、高橋秀爾「近代絵画(上)」、日本経済新聞社2018年10月27日「ピエール ボナール展」を参照した。