ゴッホ展(1)初期作品とハーグ派

フィンセント・ファン・ゴッホが画家として活躍した期間は、短い人生のうち、わずか10年に過ぎない。1880年、彼は素描を短期間で習得しようと挑戦を始め、1882年からは油絵にも取り組み始めた。1890年に亡くなるまでの間にファン・ゴッホの残した作品数は、油絵絵が850点、素描に至っては1000点に作品を残した多作の作家であった。しかし、生前に売れた絵は1点(赤いブドウ畑)のみで、彼は大半を弟のテオドロス(愛称テオ・画廊勤務)が保管していた。ゴッホは、ビーグル画廊に務めた6年半の間に、著名な画家の作品を扱い、ハーグ・ロンドン・パリの店を移るたびに、各都市の美術館や展覧会に足を運んでいた。その中で特に惹かれた画家については、その複製画を自分の部屋に飾るなどしている。ファン・ゴッホは熱心な美術愛好家であったのである。「掘る人(ミレーによる)」など、彼が終生敬愛し続けたミレーの模写が残されている。地元の農民たちの日常を題材に多くのデッサンを重ねていった。その後、マウフェ(ハーグ派の指導者)の助言によってモデルをみて描くようになった。

掘る人(ミレーによる)ファン・ゴッホ作 1880年 鉛筆・黒チョーク クレラー=ミュラー美術館

グービル画廊に務めていた頃からジャン・フランソワ=ミレーはゴッホが最も敬愛する画家であり、最後まで精神的な導き手であった。ミレーに倣って農民画家を目指し、その作品を繰り返し模写している。本作は、ミレーの複製画をもとに製作されたデッサンのうちの1枚である。原作と比べると、構図や陰影のつけ方などを忠実に模写しながらも、特に二人の人物に注意を向けたことがわかる。

疲れ果てて ファン・ゴッホ作 1881年 鉛筆、ペン、インク、エッテン デ・プール財団

マウフェ(ハーグ派の指導者)の重要な教えの一つは、モデルを描くことであった。それまで複製画や教本に掲載された過去の巨匠たちの作品を模写していたファン・ゴッホは、農民の労働や暮らしの様子を直に見て写し取るようになる。本作に描かれているのは炉端に座る病気の老人で、膝に肘ついてうなだれるように頭を抱えている。質素な衣服や生活用品がその境遇を物語るようである。この情景に感動したファン・ゴッホは、後に同じ」主題に立ち返り、人物に焦点をあてたリトグラフ「永遠の入口にて」を制作している。

白い帽子を被った女の頭部 ファン・ゴッホ作 1884年 油彩・カンヴァス クレーラー=ミュラー美術館

はじめ農民画家を目指していたファン・ゴッホは、よく地元の農民たちをモデルに描いた。特に1884年から翌年にかけて、人物の頭部ばかりを集中して描いている。ファン・ゴッホにとっては大地に働く彼らは、田園地方における季節の移り変わりの象徴だった。本作に描かれた娘は、何度もモデルを務めた人物であった。本作ではゴツゴツとして日に焼けた顔が力強い筆使いでとらえられており、戸外での労働を思わせる。ファン・ゴッホは、ミレーの絵を形容する時に用いられた「土で描いた」という表現を意識しており、農民を描く際の拠り所にしていた。

ジャガイモを食べる人々 ファン・ゴッホ作 リトグラフ 1885年 ハーグ美術館

  油絵

  リトグラフ

長らくデッサンの練習を重ねてきたファン・ゴッホにとって「ジャガイモを食べる人々」は初めて売り物になると自負した油彩画だった。ゴッホは手紙の中でこの絵について饒舌に語っている。「ぼくは、ランプの灯の下でジャガイモを食べているこれらの人々が、まさに、皿に伸ばしている手で土を掘り返したのだということを、伝えたいと思ったのだ。だからこの絵は(手の労働)を語っているのであり、彼らがその食べ物をいかに正直に(稼いだ)かを物語っている」「真の農民の絵だ」とも述べている。「一見して「何て汚い絵だ」と言われるかもしれない。それでも「真実なもの、正直なもの」を表現し続けるだけだ」この作品はファン・ゴッホの作品中にあって、油彩による最初の本格的なタブロー(構成画)だと言ってもよいだろう。なお、本展覧会に出品されている作品は、油彩ではなく、ファン・ゴッホが作成したリトグラフである。石板に直接描きこんだことから油彩画のイメージと反転しており、コントラストや人物の表現も甘くなってしまっている。

器と洋梨のある静物 ファン・ゴツホ作 1885年 油彩・カンヴァス ユトレヒト中央美術館

1883年末からニューネンに滞在した2年の間に、ファン・ゴッホは200点以上の油彩と多数の素描、水彩画を制作した。農村の風景、ついで農民の肖像の主題にもっぱら取り組んでいたが、以前にモデルにした農民の娘を妊娠させたという疑いをかけられ、村の住人をモデルにして描くことができなくなってしまう。以降室内でジャガイモや野菜や果物、器、鳥の巣などの静物を集中して描くようになり、色彩と構成面で大きな成果をあげた。

鳥の巣のある静物 ファン・ゴッホ作 1885年 油彩・カンヴァス ハーグ美術館

ファン・ゴッホは鳥や鳥の巣に並々ならぬ愛着を抱き、ある時は遠出した先の農家で見事な鳥の巣を見つけて持ち帰るなど,沢山の巣を手元において絵のモチーフとした。この珍しいモチーフの選択は、彼が愛読したジュエール・ミシュレの「鳥」に着想を得たと思われる。ミシュレが鳥の巣について書いた文章に感化され、巣自体がすばらしい芸術品であり、それを作る鳥は芸術家であると、「ミソサザイやウグイスなんかほんとうに芸術家の仲間に入れたいいくらいだ」と手紙に書き記している。暗い背景から見分けられる巣はリース飾りのように可愛く草花が編み込まれ、奥には青や白の卵がほのかに見える。

 

ファン・ゴッホの初期の作品をまとめてみたが、中々画家としては評価できない作品が多い・暗くて、華やかさがない。後年のファン・ゴッホの輝きは、次のパリ時代に印象派の影響や、日本の浮世絵の影響を受けて、「日本に憧れる」時代となる。その時が楽しい。

 

(本稿は、図録「ゴッホ展  2019年」、図録「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢2017年」、図録「ゴッホとゴーギャン展  2016年」圀府寺 司「ゴッホ 日本の夢にかけた芸術家」、西岡文彦「謎解きゴッホ」を参照した)