ゴッホ展(2) パリ・アルル時代

1886年の2月末に、ファン・ゴッホは突然、アントウエルペンからパリに現れた。パリ駅に着くと、スケッチを切り取った紙切れに黒いクレヨンで走り書きをしたため,赤帽にテオのところに届けさせた。テオは6月に大きなアパルトマンに引っ越すのでそれまで待つように伝えていた。しかし、三ケ月を待ちきれなかった兄は、突然、なんの前触れもなくやって来てしまったのでる。走り書きを受けとったテオはお昼にルーブル美術館に急いだのだろう。こうして兄弟の2年にわたる同居生活が始まった。この二年間はファン・ゴッホの画業にとって、多くの刺激と、大きな変化に満ちた期間であり、近代絵画史上の需要な出来事に満ちた二年でもあった。残念なのは、この期間、ファン・ゴッホが弟テオと一緒に住んだために、ほとんど手紙を書く必要がなくなったことである。パリ時代は、ファン・ゴッホの絵画に様々な影響が流れ込み、彼がそれらを自分なりに消化した時代である。この二年間が無ければ、今日ファン・ゴッホの名は歴史上にすら残っていなかったかもしれない。ファン・ゴッホは、ゴーガンやロートレック、シニヤック、エミール・ベルナールらの画家と知り合いになり、印象派や、後にポスト印象派と呼ばれる画家たちの作品や理論に接することができた。この時期、印象派と並んでファン・ゴッホに大きな影響を与えたのが、日本の浮世絵である。ファン・ゴッホは画商ピングの屋根裏部屋で大量の浮世絵を研究し、浮世絵の展覧会も開いた。

パリの屋根 ファン・ゴツホ作 1886年 油彩・カンヴァス アイルランド・ナシヨナル・ギャラリー

この絵はパリ移住後間もなくテオのアパートから描いた街の眺めである。地平線が画面をほぼ二等分して、街の上に大きく広がる空と雲を強調している。こうした構図や茶色の空などの落ち着いた色遣いは、彼がパリに来た当初はまだオランダの写実主義の伝統に深く馴染んでいたことを物語っている。色も暗い。

花瓶の花 ファン・ゴッホ作 1886年 パリ 油彩・カンヴァス ハーグ美術館

1886年3月から6月まで、ファン・ゴッホはアカデミー画家フェルナンド・コルモンのアトリエに学んだ。アトリエを離れた後も人物画を描き続けなかったのはモデルを雇うことができず、代わりにその夏は花の静物画を35~40点ほど集中して描いた。テオによれば「友人が毎週、絵を描くためきれいな花を送ってくれた」という。花を主題にしたのは、ひとつには色の研究のため、別の理由として花の絵は売れるという目論見もあった。これらの花の作品のほとんどにアドルフ・モンティセリー「陶器の花」などの影響が現れている。モンティセリはファン・ゴッホがパリに出て直ちに心酔した画家で、暗い背景と明るく鮮烈な花の対比、盛り上がった厚塗りの筆遣いなど多くを彼から学んでいる。パリに出たことによって、ファン・ゴッホの絵は、オランダ時代と比較すると著しく都会的になったと思う。なお展覧会では「印象派の画家たち」という章を設け、23点の印象派、後期印象派の作家の作品を並べていた。いずれもファン・ゴッホに大きな影響を与えた作品であるが、ここでは、その作品の紹介は取りやめておく。ゴッホが印象派、後期印象派作家から大きな影響を受けたことが分かる。

タンギー爺さんの肖像 ファン・ゴッホ作 1887年 油彩・カンヴァス ニュ・カールベア美術館

モンマルトルのテオとゴッホの住まいの近くにタンギーの画材店がった。この店主は画家たちの面倒をよく見て「タンギー爺さん」と慕われていた。店ではセザンヌをはじめ売れない前衛画家たちの作品を展示し、美術界に刺激を与える場となっていた。店の常連となり、店主に気に入られたファン・ゴッホの作品1,2点も購入し、もしくは画材と交換したとも言われている。ユートピア的社会主義者タンギーとファン・ゴッホは共感しあう仲だったようである。ゴッホは油彩で3枚のタンギーの肖像画を描いていたが、本作は最初の肖像画と思われる。オランダ時代の作品と比べると色彩もタッチも印象派の作風に近づいている。「タンギー爺さん」の肖像画は、浮世絵を横幅に入れた作品が有名である。

アニエールのヴォワイエ・ダルジャン公園の入口 ファン・ゴッホ作 1887年

油彩・カンヴァス イスラエル美術館

パリへ移ったファン・ゴッホは、アンリ・ド・トュールーズ=ロートテック、シニヤック、エミール・ベルナールらと知り合い、彼らと一緒に製作することもあった。本作の舞台は、パリ郊外の行楽地アニエールはパリ市内からも近く、多くの画家たちがやってきて制作に励んだ土地である。ファン・ゴッホはこの地で1887年にシニャック、ベルナールらと共に制作した。かれは知人たちと制作することで、当時のパリの画家たちが使った印象派、後期印象派の技法を学ぶことができた。

河岸の木々 ファン・ゴッホ作 1887年 油彩・カンヴァス P・N・デ・プール財団

河岸の土手であろうか、斜面に生える木々や草がクローズアップされ、右奥の背景には建物が描かれている。紫色っぽい影や、揮発性の溶き油を多用した薄塗り、木の幹や葉の点描風の細かい筆触など、印象派の技法をはじめとしてファン・ゴッホがパリに出てきて急速に吸収しつつあった技法が試されている。まるで別人の絵のように見える。空は三分の一を占めるだけで、その下はすべて地面に近い部分だけが描かれている。こういった風変りな構図は浮世絵の影響を受けているかも知れない。そしてこの地面に注目した視点は、のちのサン=レミの療養院の蔦を描いた作品にも通じるものがある。

モンマルトルの家庭菜園 ファン・ゴッホ作 1887年 油彩・カンヴァス アムステルダム市立美術館

1887年7月23日から25日の間頃 弟テオへの手紙より。        君が発ってから4枚仕上げた。今は大きなサイズに取り掛かっている。こういった大きな、長いカンヴァスはなかなか売れないことはわかっているが、そのうち人々はこうした絵の中にこそ開けた陽気さを見て取るだろう。そしてみんなが居間や田舎の別荘をこういった絵で飾ることになる。(ファン・ゴッホは多数の手紙を残している。作家の声が聞こえる珍しい事例であり、ゴッホをして、最も有名にした手紙の一つである)

パイプと麦藁帽子の自画像 ファン・ゴッホ作 1887年 油彩・カンヴァス ファン・ゴッホ美術館

ファン・ゴッホが描いた自画像はおよそ40点が知られているが、その半数以上がパリ時代の2年間に作られている。本作が描かれたのは画家が34歳の頃で、前年の2月にパリに到着して以来、印象派の影響によって作風が大きく変えようとしていた時期に当たる。1886年はまだ伝統的な明暗法を用いていたが、一方で鮮やかな複数の色を画面上にまとめる練習を重ねていた。その試みの成果は自画像においても明らかである。例えば同年に描かれたものは眼光鋭くこちらを見つめる画家の暗く落ち着いた色調で写実的にとらえられいるが、本作では一転して、限られた筆触と色数によって全体の印象を軽やかに表している。大きな麦藁帽子は、戸外での制作における必需品であり、また画家が敬愛したモンティセリに通じるアイテムでもあった。

麦畑とポピー ファン・ゴッホ作 1888年 油彩・カンヴァス イスラエル博物館  (1888年6月16日から20日の間 妹ウイルヘルムへの手紙より「アルル」)

白い菊に混じった矢車草と少しのマリーゴールド。これが青とオレンジのモチーフができる。ヘリオトロープと黄色い薔薇はライラック色と黄のモチーフ。ポピー、または赤いゼラ=ウムを濃い緑の葉と組み合わせると、これは赤と緑のモチーフだ。この基本をさらに細かく分けたり、手を加えたりすることができるが、しかしzわざわざ絵にして見せなくても、色には男と女のように完璧に対となり、互いに輝かせるような組み合わせがあることはよく分かるだろう。(本作はアルルに移住した後の作品であるが、便宜上ーパリーに入れた。

麦畑 ファン・ゴッホ作 1888年 油彩・カンヴァス P・N・デ・プール財団

1888年の初夏に、ファン・ゴッホは収穫期の小麦畑を少なくとも10点の油彩画に描いている。見渡す限りに広がると、黄色く燃えるような景色に大いに筆が進んだようだ。ファン・ゴッホは主題を定めると、視点や色の組み合わせを変えて繰り返し描いた。そして最終的に、それまでの習作を総合したような作品を手掛けたことから、本作もまた「収穫」のために準備した1枚であると考えられる。アルピーユ山脈を背に画面のおよそ三分の二を小麦畑が占めており、豊かに実った植物が放つ強烈な黄色が生き生きと描かれている。空の部分に混ざる水色と薄紫色の対比が大変美しく、プロヴァンスの澄み渡った空気が香ってくるようだ。

 

パリ時代にファン・ゴッホは印象派、後期印象派の画家と交わり、オランダ時代の構図や色彩ががらりと変わった。アルルは、南仏にあり、ゴーギャンと共同制作事業を行うため黄色い家を借りて住んだ。ゴーギヤンとの理想の生活は2ケ月も持たなかった。ファン・ゴツホは、日本人がやっている「作品の交換」を、ゴーギャンとの間で試みようとした。この「日本人の作品の交換」を、浮世絵が、浮世絵が絵師、堀師、摺師と専門に分かれて分業することを、ゴッホは作品の交換と勘違いしたようである。いずれにせよ、ゴーギャンとの共同制作は短期間(2ケ月足らず)の間に失敗し、ファン・ゴッホは、自分の耳を切り落とすという事件を起こして終わった。この後、最晩年のサン=レミ時代、オーヴェール=シュル=オワーズ時代の2年間を残すのみである。

(本稿は、図録「ゴッホ展  2019年」、図録「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢  2017年」、図録「ゴッホとゴーギャン展  2016年」圀府寺 司「ゴッホ」、西岡文彦「謎解きゴッホ」を参照した)