シャガール展   三次元の世界

マルク・シャガール(1887~1985)はユダヤ系ロシア人で、20世紀絵画の世界的巨匠である。私には、甘美な幻想を色彩豊かに描き続けた大画家というイメージがある。しかし、このシャガール観は、この展覧会を観て大きく変わった。彫刻、陶芸など約60点の立体作品が並んだシャガール展は日本で初めてだそうだ。彼はロシアに生まれたが、早くからパリに来てエコールド・パリの一人となった。ユダヤ系ロシア人の純朴な民衆的な感覚で、幼い時に聞いた童話や、故郷の農民の生活や、恋愛の幸福を楽しくうたう。彼の夢の中では、人間や動物はまるで童話のように、のんびりと平和に空中を自由に飛び回っている感覚である。1911年のキュビスムの運動の真只中のアンデパンダンに突然彼の絵が現れた。薄紅色の牛や、緑色の豚など非現実的な色彩を用いているが、勿論フォーブではなく、画面の構成はキビュビスムの影響は認められるものの、キビュスムでもない。ギョーム・アポリネールは、この新しいエスプリを目ざとくも認め、これをシュール・レアリスムと呼び、大いに好意を持った。後世、このシュール・ナチュレル(超自然)からシュール・レアリスムという言葉が生まれたのである。1914年にアポリネールの推薦によりドイツにおいて大展覧会を開催した。シャガールは、この展覧会のついでに一寸ロシアに帰省している内に第一次世界大戦が起こり、そのままロシアに止まり、1922年までパリを留守にした。

誕生日 シャガール作 油彩・カンヴァス1923年 AOKIホールデイングス

1915年に制作された「誕生日」(ニューヨーク近代美術館)を、1923年にシャガール自身が模写したもので、画面サイズも含めて細部に至るまでほぼ原画を忠実に仕上げられており、両者を見分けるのは困難であるそうだ。シャガール自身の思い入れの深さがわかる。描かれているのは1915年7月7日のシャガールの誕生日に、恋人のベラが花を抱えて彼の部屋を訪れた場面である。これからほぼ2週間後の7月25日に二人は正式に結婚している。お互いを思い合う気持ちの高まりを表すように、シャガールの体はふわふわと宙を舞い、大きく首を曲げて恋人のベラに優しく口づけをしている。不自然なほどに捻じ曲げられたポーズは、愛のもどかしさと力強さを、ベラの大きく見開いた瞳は驚きと喜びを伝えている。

誕生日(彫刻) シャガール作  大理石  1968年頃   個人蔵

「誕生日」大理石は、半世紀近くを経てこの場面を立体的に置き換えたものだが、シャガールに取ってこのテーマはどれほど大切なものであるかを教えてくれる。同じ頃に「ふたつの頭部と手」という大理石の彫刻も展示されていた。シャガールに取って、とほど大切な思い出であったのだろう。

散歩  シャガール作  彩色陶器  1961年    個人蔵

シャガールの陶器の表面に施された絵付けは、過去の絵画に使用したイメージの似ているものが多いため、絵画の焼き直しのような印象を受けやすいが、詳細に分析すると壺や皿といった支持体の形に添った改変が加えられ、あるいは全くそれまで存在しなかったイメージも少なくなく、作者が独自の表現を模索していることがわかる。シャガールがいかに陶器の形を生かしながら絵付けを施しいるかがわかる。「散歩」と言えば現在ロシア美術館が所蔵する初期の代表作が思い浮かぶが、壺に描かれたイメージは全く異なる、独立した作品である。

エルサレム(嘆きの壁) シャガール作 油彩・キャンヴァス 1931年個人蔵

1931年、シャガールはテルアヴィヴ市長の招待を受けて、妻ベラや娘のイダと共にパレスチナを訪れた。聖地エルサレムにも滞在した。ユダヤ人としての出自を持つシャガールにとって、この時間が特別な物であったことは想像に難くない。帰国後には、半世紀後に出版されることになる「聖書」のエッチングに取り掛かっている。嘆きの壁は、ユダヤ教徒が祈りを捧げる場所として知られるが、元はヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁の一部とされる。「エルサレム 嘆きの壁」では、壁を左側にして、透視遠近法で奥行きを感じさせる空間が演出されている。壁の前に3人が祈りを捧げている。「嘆きの壁」には、5月に、現職の大統領としては初めて訪れたトランプ大統領が、壁に手をついて祈りを捧げたことがそうである。シャガールには、「エルサレム」と題する絵があり、ずっと後退した位置から壁を含む神殿跡全体を大きく視野に収めた絵である。

ハダサラ病院付属ユダヤ教会堂のステンドグラス墨・グワッシュ1961年個人蔵

ヘブライ大学ハダサ病院内のシナゴーグに設置するステンドグラスの依頼を受けたシャガールは、1959年頃から下絵の制作を始め、3年間にわたってこの仕事に取り組んだ。除幕式が行われたのは1962年2月である。シナゴーグの4面の壁に、それぞれ3面ずつ、計12面のステンドグラスを設置したもので、このテーマに選ばれたのはヤコブがその死に際して祝福したイスラエルの12支族であった。この絵は「ナフタリ一族」である。各支族の性格を表すに当たってシャガールは、人の姿を描くことを禁じるユダヤ教の教義に基づき、人物の登場をしない表現を選択した。ナフリ族は雌鹿と称された(「創世記」49章)ので雌鹿によって表した。

逆さ世界のヴァイオリン弾き シヤガール作 油彩・キンヴァス1929年個人蔵

画家としての名声が確立されつつあったフランスで過ごした1920年代は、シャガールにとって、人生の中で最も安定した時代であった。画家は時折、キャンバスを回転させて描くことで、作品に幻想性を与えていたが、本作もそのような過程を経て仕上げられたと推測される。幸福な時間を生み出されたキャンバスの中で故郷のヴァイオリスクの風景も歌いだし踊り出しているようである。

画家と妻 シャガール作 油彩・キヤンヴァス 1969年 AOKIホールディングス

シャガールの絵画作品には、絵画をいくつかの色面に塗り分けたものがある。色は赤や青など原色が多く、塗り分け方にははっきりした法則があるわけではない。色面ごとに場面は異なるようでいながら、複数の色面をまたいで描かれるモチーフもある。大きな花瓶の花束と若い女性は、ベラが花束を持って来た場面であろうか?

黄色の裸婦 シャガール作 油彩・砂・キャンバス 1967年  個人蔵

とんがり帽子を被った道化師を中心に、青緑色の山羊、ラッパを吹く人物などが画面左側に、月、花束を持つ緑色の裸婦などを画面左側に配した構図はほぼ正方形の作品である。背景は赤と濃緑色で塗り込められているが、画面下方にはヴィテブスクの街並が見えることから、画かれている人物たちは宙に浮かんでいる状態のようである。3点の似た作品があるが、これが一番完成度が高くモデリングがなされて立体感が作りだされ、背景よりも空間を感じさせる表現となっている。

たそがれ シャガール作 油彩・カンヴァス 1938~43年 個人蔵

シャガールはたびたび愛する者同士の結びつきを二重肖像として表している。アメリカ亡命期の1943年に完成したこの作品は、パレットを手にした画家が青く塗られた顔面に、白色の女性の横顔が重なっている。画面の外側から取んできたような髪をなびかせたこの女性の唇は、画家の唇とぴったり重なっており、あたかもミューズとして創造の息吹を吹き込んでいるようである。

ヴィデブスクの上に横たわる裸婦 シャガール作 油彩・カンヴァス 1933年個人蔵

灰色の空の下、生気を失ったように描かれた故郷の風景の中で、左端の花束とそこから生まれ出たような女性の裸体だけに生命力を感じ取ることができる。しかし、空に浮かぶその女性も、目の前の現実から顔を背けるように後姿で描かれる。この頃、ドイツではナチスによる反ユダヤ主義の嵐が吹き始めていた。

天蓋の花嫁 シャガール作 油彩・キャンヴァス 1949年 AOKIホールデイングス

本作には、シャガールのミューズであった二人の女性への思いと故郷ヴィテブスクへの望郷の念が象徴的に表現されている。ユダヤの結婚式が執り行われる赤い天蓋の前で抱き合う花嫁と花婿は天に昇るように縦に伸びている。傍らには彼らを祝福するように大きな花束が描かれている。二重肖像になった花嫁の顔には、黒髪の亡きベラと当時のパートナー、金髪のヴィアージニア・ハガードの面影が映し出されていると言われる。

聖母子 シャガール作 石膏  1952年        個人蔵

シャガールには珍しい「聖母子」という主題を単独で扱った作品である。肘を張って上げた両腕で、胸の中央に幼子を掲げる聖母は、その強い正面性とシンメトリカルで安定した体形によって威厳と生命力を伝えている。本作では、対照的に両側に張り出した腕の表現には、当時手がけていた陶器作品の造形の影響を指摘することができる。

 

陶芸を経て51年から彫刻作品に取り組んだシャガールは、祖国ロシアとルーツであるヨダヤ民族の伝統を承継している。旧約聖書もモチーフにした石彫は、その一例で、土俗的なまでの生命力には目を奪われる。この巨匠の豊富な芸術は、モダニズム絵画の文脈だけでは語りきれない。そのことを如実に示す展覧会となった。12月3日まで開催されている。

 

(本稿は、図録「シャガールー三次元の世界  2017年」、日本経済新聞社「2017年10月4日号」、福島繁太郎「近代絵画」、ポーラ美術館図録「コレクター 鈴木常司と美へのまなざし」を参照した)