タイ~仏の国の輝き  

明治20年(1887)、日タイ修好宣言により、日本とタイの間に正式な国交が開かれて、今年は「日タイ修好130年」の年である。これを記念して「日タイ修好130周年特別記念展 タイ~仏の国の輝き~」が九州国立博物館と東京国立博物館で開催される。タイと日本の文化は、非常に近いものがある。国民の大半が仏教を宗教として崇め、国王(天皇)に非常に親近感を持っている。また、日本の文化は、長く農業を基盤とした時代が続き、タイも古来農業を基盤とした国であった。近年、日本とタイの間では経済、産業はもとより文化交流も活発に行われており、両国の親密な関係は、今後も一層深まることが期待されている。日本の仏教は、「葬式仏教」とも揶揄されているほど、決して深いものでは無い。それに対し、タイの仏教は、今日でも生き生きと息づいている。現在、タイで行われている仏教はインドからスリランカを経て伝えられた上座仏教(じょうざ)。上座仏教とは、釈尊上座の弟子から承継された説教「長老の教え」を意味し、「出家と戒律」を重んじる初期仏教の姿を比較的良く伝えている。それに対し、インドから東漸した仏教(シルクロード各国、中国、朝鮮、日本)は大乗仏教と呼ばれ、「祖師の教えに敬虔に従う」という仏教である。例えばタイでは、通常男女とも、数ケ月、数年出家して僧となり修行を積む。日本では、例えば親鸞の教えを聞き、それに従えば、極楽へ行けると信じられている。タイでは「出家」することが仏教であり、日本では「信仰」することが仏教である。私が、タイで案内してもらった青年は、20歳前後に2年間出家し、かつ2年間軍隊勤務していた。人生の中で、最も大切な20歳代を4年間も、出家、軍隊に費やしているのである。とても日本では考えられないような生活体験である。例えば、鎌倉の露座の大仏の前で、正座し、祈りを1時間も2時間も捧げる東南アジアの男女を見ることが多い。日本の観客は、団体出来て、大仏様の胎内を巡る程度である。この深い敬虔な祈りと、私たち日本人観光客の差は何だろうかと考えることが多いが、双方の受容してきた仏教の歴史ー上座仏教と大乗仏教ーの差であったのだろうか?タイにおける仏教の歴史は図録の「原田あゆみ」さんの11ページに渡る歴史に詳しく書かれているので、興味のある方は、そちらを読んで戴きたい。

仏陀立像  ドヴァーラヴァティ時代(7世紀末~8世紀) バンコク国立博物館

蓮華座上に直立する仏陀像である。衣文を極力省いた薄い大衣(だいえ)が身体に密着し、少年のような細身の身体が際だっている。本像のように直立する仏像は、両手ともに胸横で説法印を結ぶ。ドヴァラヴァーティーの仏像は、両手説法印のものが圧倒的多く、かなり長期間にわたり流行した形である。

法輪(ほうりん)ドヴァーラヴァーティー時代(7~8世紀)ウートン国立博物館

この法輪は立派である。装飾も見事で驚くばかりである。車輪が転がるように仏陀の教えが広まるのを祈るものである。法輪は日本にもあるが、この出展品の存在感はすごい。この法輪に見られる生命力あふれる植物文様の表現や、太陽に関する神像の表現などを考え合わせると、仏法を象徴するのみならず、万物の成長・豊穣の基盤をなす太陽や自然への信仰心を読み取ることが出来るだろう。

法輪頂板ドヴァーラヴァーティ時代(7~8世紀)プラパトチェーンデシー博物館

法輪を載せている方形の頂板である。4面それぞれの周囲には蓮華文をめぐらせ、中央には大きく目を見開き、口からは牙を覗かせる巻毛の人物を彫刻する。私は一見して、奈良の薬師寺金堂本尊の台座に表された「南洋の土人」と名付けた巻毛の鬼神を思い起こした。図録によれば、仏陀は釈迦族の獅子と称され、台座に獅子を表す獅子座はインドのみならず仏教の伝来した国々に存在するそうである。一方、像の両手に握られた植物の茎からは、勢いよく渦を巻く唐草が生じている。この表現は、インドでヤクシャと称される自然神の特徴である。ヤクシャは生命力を内に籠めて、聖なるものを支えたり、植物を生み出したりする、自然界の威力を表現する役割を担っているのである。

菩薩頭部 プレ・アンコール時代(8~9世紀) バンコク国立博物館

頭部の大きさから、もとは3m以上の大きな菩薩立像だったことが想像できる。高く結いあげた鬘の前には、尊各を示す標識があったはずだが、今は決失している。下方を向く両目には、白いものが塗りこめられ、瞳部は孔が穿たれている。輪郭線のはっきりした厚い唇の上には、口髭が見られる。鬘をつくる作例はプレ・アンコールのプレ・クメイン様式(7世紀末)頃から見られるようになった、本像が制作されたタイ北東部、パノムドンラック山脈北側、ムーン川流域では、このような彫刻群の他に、ドラヴァーヴァラティー美術の流れを組む仏像が多数存在する。この地域では、モン族とクメール族の文化圏が接し、時には重なり合い、こうしたモン・クメールの文化圏の中で本像のように独自の特徴を持つ仏像が生まれたのである。

ナーガ上の仏陀坐像 シュリーヴィジャヤ様式(12~13世紀)バンコク国立博物館

今回、展示された仏像の中では、私は一番美しい仏像であると思う。とぐろを巻いた蛇神「ナーガ」の上に座り、静かな微笑みを浮かべて瞑想する仏。背面には光背のようにナーガが7つの鎌首をもたげている。悟りを得て瞑想する仏陀を、竜王が傘となって風雨から守ったという伝承をもとにした「ナーガ上の仏陀坐像」は、端正な顔立ち、細身で若々しい体、降魔印(悪魔を降伏させる印相)を結ぶしなやかな指先が印象的である。台座にはクメールの特徴が確認できる。一方で仏陀の容姿や装飾はシィユリーヴィジャヤの影響を受けている。タイの人々が大切に守り続けてきた像には、当時の多様な文化が凝縮されている。

観音菩薩立像 アンコール時代(12世紀末~13世紀)バンコク国立博物館

カンボジア。クメール王朝のジャヤヴァルマン7世(在位1181~1218、もしくは1220)は、大乗仏教を信仰し、観音菩薩像を多数制作した。アンコール・トムの中心寺院であるバイヨンにある四面の観音菩薩の顔は、その代表的存在として知られている。この作品もそうしたクメールの影響下で制作された観音像である。ずんぐりとした体つきや太い脚など、いわゆるバイヨン様式に属している。本像を特徴づけるのは上半身を覆い尽くす夥しい数の禅定仏(ぜんじょうぶつ)である。こうした像は、現在ではクメール美術でしか確認されないものである。7世紀に北西インドで成立した「カーランヴゥーハ・スートラ」という経典を典拠として作られたと考えられている。

仏陀遊行像 スコータイ時代(14~15世紀)サワンウォーラナーヨック国立博物館

遊行(ゆぎょう)する仏陀像である。ウオーキング・ブッダである。体の滑らかな曲線、しなやかな足運び。弧を描く眉、口元のほほ笑み。だが肩幅は広く、胸や股には張りがあって力強くもある。若く、美しい遊行する仏陀像である。遊行像とは、文字通り仏陀が歩くさまを造形したものである。仏伝中の重要な説話の一つである縦三十三降下(こうげ)は、三十三天に昇っていた仏陀が宝階をつたわって地上に降り立つという話で、スコータイのワット・トラパントーンラーンにこの場面を表した浮彫がある。一方で歩みを進める姿は単なる説話の表現にとどまらず、仏陀の教えそのものを象徴するとの解釈もある。私は「仏陀の教えそのもの」と考えたい。それでなければ、こんなに美しい、楽しい姿になる筈がないと思う。

金像 アユタヤー時代(15世紀初め) チャオサームプラヤー国立博物館

ワット・ラーチャブラーナは、クメール王国のアンコール・トムを攻略したことで知られるアユタヤー王朝第8代王ポーロムマラーチャティラート2世(在位1424~48)が王位継承争いに倒れた実兄たちを偲び1424年の建立した寺院である。久しく放棄されていたが、1958年にこの寺院の大仏塔「ブラーン」の内部に設けられた「クル」と呼ばれる小空間から、総数1万点に及ぶ数々の黄金製品が発見された。この金象は、四肢を地に付け鼻を高く持ち上げた姿が印象的であり、躍動感にあふれており、象の頭部や胴部んは貴石を鏤めた装飾帯をめぐらし、背には貴人が乗るための豪華な輿(こし)を載せている。

カテイナ(功徳衣)法要図 1帖ラタナコーシン時代(1918)紙本着色 タイ国立図書館

アユタヤの国王が、僧院へカティナ(功徳衣)を献上に向かう場面を描いた折本写本。原図はアユタヤー時代、ナーラーイー王が1681年に創建した寺院、ワット・ヨムの布薩堂内の壁画である。本図は、アユタヤーの日本人を描いた資料として良く知られている。象に乗ったシャム指揮官や兵士が並ぶ行列の中に見える。鉈状の刀を刷く。日本人の衣には渦巻き模様が表されているが、タイでは見かけない模様の布地である。アユタヤの日本人たちは、一時期の勢力(1500人とも言われた)を失ったとは言えナーラーイ王の時代にも商人としての力を蓄えていた、当時は、本図のようにシャム人と一緒に僧院に寄付する日本人の姿を見ることがあったのだろう。

ラーマ2世王の大扉 ラタナコーシン時代(19世紀)  バンコク国立博物館

バンコクの名所、旧市街にそびえる大寺院「ワット・スタツト」。堂の入口で、熱帯の光をギラギラと反射する巨大な扉に圧倒される。19世紀に作られた高さ6mの木製の扉は足元から最上部まで精緻な彫刻が彫り込まれている。タイの文化を象徴する芸術作品である。同国の宝とされていた。だが大扉は1959年、寺院の火災で損傷した。劣化も進んでおり、バンコク国立博物館に移され修復が進められた。その時に日本の住友グループから寄金が寄せられた。それ以降、扉は門外不出となった。いま寺院の堂の入口に取り付けられているには別の扉である。今回、当初の大扉が、初めてタイ国外に持ち出され日本で展示されている。見上げるような金色の大扉である。動植物の文様が6層に彫り出されている。天まで伸びて枝を広げる木々にはボタンの花が咲き乱れ、マンゴーやザクロが実を付けている。蓮池には鹿や猿、虎が集い、鳥や虫が飛び交う。彫刻は多層彫りで、世界的に珍しいものである。楽園の情景のようだが、下部の洞窟にはヒマラヤの雪山に住むという人面鳥もみえる。猪熊主任研究員は「現実の世界ではなく、(仏教で世界の中心にあるとされる)須弥山を表現したと考えられる」と解説する。

 

タイ国の人々は、日本に親近感を持つ人が多いと言われる。「ほほ笑みの国・タイ」は日本人にとっても最も親しみやすい国である。食べ物も美味しいし、何時行っても楽しい国である。仏教国であり、常に手を合わせ挨拶をしてくれる様は、実に礼儀正しい国民と感じる。タイと日本の国交樹立から130年を紀念して、同国の1級の仏教作品が展示されている。私は、その初日に出かけ、楽しく拝観することができた。法輪、その頂板、ナーガ上の仏陀像、仏陀遊行像など説明文はいらない。そのまますっと入っていける美しい仏像である。大乗仏教と上座仏教という差はあるそうだが、殆ど違和感なく受け入れることが出来た。日本からも、仏像展のお返しをしなければ、ならないだろう。単に東南アジアの製造拠点とのみ考えないで、文化交流、文化外交を展開する拠点にするべきであろう。       (全く余談ながら、「黒川孝雄の美」が、「にほんブログ村」(974,230サイト)の中の「宗教美術」の部門で総合5位になった。他のブログと比較すると、やや難しい解説が余分かも知れないが、やはりこの程度の解説文は必要だろうと思い、継続する)

(本稿は、図録「タイ~仏の輝き~2017年」、日経新聞 2017年6月24日号 「特集 タイ~仏の国の輝き~」、日経新聞 2017年6月19日号「アート・ライフ」、日経新聞 2017年7月17日「アート ライフ」、8チャンネル 2017年7月25日「美の巨人 タイ~仏の輝き~」を参照した)