ハプスブルグ展ー600年にわたる帝国コレクションの歴史(2)

神聖ローマ皇帝レオボルト1世と皇妃マルガリータ・テレサの宮中晩餐会 1666年 油彩・カンヴァス ヤン・トマス作

フランドルの画家ヤン・トマスは、神聖ローマ皇帝レオポルト1世とスペインから嫁いだマルガリータ・テレサとの結婚を祝って数年間続いた祝賀期間中、ウイーン宮廷で特に重用された画家の一人である。本作品で、画家は過去に描いた皇帝夫妻の肖像をそのまま引用した。ここに描かれる仮想パーティーの舞台は、おそらくウィーンのホーフブルグのレドゥーテンザーが翼にある舞踏会場である。画家は、60人以上が馬蹄形のテーブルに沿って並んだところを、中心軸からややずれた視点から見下ろして描いている。このテーブルが並び、ゲストが席についている。観音開きのドアの向こうには控えの間があり、護衛が待機している。テーブルと皿の上に置かれた印象的な花ー主にチューリップの仲間ーはフランス風に飾られたテーブルの過剰な豪華さを示すだけではなく、ウィーンの宮廷でこの東洋の植物が有していた重要性を強調してもいる。

クレオパトラ チェザー・ダンディーニ作 17世紀 油彩・カンヴァス

帝政ローマ時代の著述家ブルタコスの「英雄伝」によれば、アクティウムの海戦に敗れ、愛するアントニュウスに先立たれたエジプトの女王クレオパトラは、捕虜にになることへの恥辱とアントニウスを失った悲しみから、蛇に身を噛ませて自ら命を絶った。本作品では、クレオパトラは女王にふさわしい豪華な衣装を身にまとい、右手で蛇を握りしめている。蛇は身をくねらせながら襲いかかり、彼女の胸元からは血が流れている。苦悶に打ちひしがれたクレオパトラは、左手を大きく広げ、目を潤ませながら天を仰いでいる。制作者はチェザーレ・ダンディーニであると考えられる。フィレンツェに生まれ、主に同地で活動した画家ダンディーニは、1630年代半ばごろから晩年まで、抽象的な概念を擬人化した女性たちや、キリスト教の聖人伝および古代史に取材した女性たちの半身像を多く描き、人気を博したとされる。

キリスト降誕 アンジェロ・ソリメーナ作 1665年頃 油彩・カンヴァス

このトンド(円形画)では、ベツレヘムにおける神の子の降誕と将来のその自己犠牲という二つの神学的主題が一つになっている。ただし前者が明示されているのに対し、後者は隠されている。一家が身を寄せた間に合わせての宿の外では夜が明けつつあるが、マリアとヨセフと幼子を明るく照らしているのは側面からの光である。さらに、幼子の頭の周りには後光が輝き、この場面が神の誕生(古代ギリシャ語でいう「エピファネイア」つまり顕現の場面)を描いたものであることを明らかにしている。キリストの仕草も目を引く。子羊の方を指さし、受難と自己犠牲という、表面には現れない第二の主題をほのめかしているのである。人物の様式、その魅力的だが憂いを帯びた登場人物たち、とりわけ丹念に描写された相貌、色彩といった要素から、ウィーンの作品はグラヴィーナ(煉獄教会)にある「天使と聖人を伴う聖母」(モノグラムと1667年という年代が記されている)の時期に制作されたアンジェロ・ソリメーナの作品に結びつけられる。

東方三博士の礼拝 ヤン・ブリューゲル(父)の作品に基づく 1663年頃 油彩/鋼板

ヤン・ブリューゲル(父)の人気作品に基づく模写である。ヤンは16世紀フランドルを代表する画家ピーテル・ブリューゲル(父)の長男で、細密描写を駆使した、多くの場合小型の歴史画や寓意画、風景画などで人気を博し、1598年の年記を持つヴァージョンおよび、ヤン自身が水彩で制作したその模写とほぼ完全に一致する。画面では、朽ちかけた厩の前で、聖母の膝に抱かれたイエスが贈り物を捧げる賢者たちを祝福している。聖母の後ろで何事かを耳打ちされるのは彼女の夫のヨセフである。(「東方三博士の礼拝」は、キリスト教では良く描かれる)

緑のマントをまとう女性の肖像 バリス・ボルトドーネ作 1550年頃 油彩・カンヴァス

ボルドーネは、1500年、トレヴィーゾに生まれた。父の死後、ヴェネツィアでおじに育てられ、ラテン語と音楽の教育を受けた。1514年頃、ティツィーノの工房に加わったが、間もなく不仲となり、わずか数年で工房を去った。両者がライバル関係にあったことは、ボルドーネの絵画制作が長きにわたりティツィアーノの作品に触発されていたことを意味するからである。ボルドーネは小型の歴史画の制作に長けていた。その独自の様式は官能的な女性像に適しており、それらの作品によって彼は名声を轟かせた。本作品の女性像は四分の三正面観で描かれ、膝から上の画面に収められている。彼女は壁の凹みの前に立っており、その身体をわずかに左に、頭部は右を向いている。彼女の視線は身体の動きに従い、右遠方へと向けられている。両腕は力強く彫塑的だが、肌の肌理は柔らかさを感じさせる。右肩のごく一部のみを覆う緑のマントは左腕にまとわりつき、腹部に押し付けられている。そのたっぷりとした量感を、壁に埋もれた左小指が強調している。彼女は左肩の上で結んだ「カミーチャ」と呼ばれる肌衣を身につけているが、その胸は完全に露わになっている。白い肌衣と胸を縁取るような赤味がかかった金髪は、肌衣とともに胸を際立たせ、乳首の赤みが、頬や小鼻の赤みと一致して本作品の官能性を高めている。ボルドーネは、この肖像画を通して、絵画の生き生きとした輝きを提示した。像主は、恥じらいつつ慎ましやかに、しかし、同時に堂々と女性としての魅力を誇るが、この羞恥と誇らしさの間で揺れ動く感情表現が、本作品のとりわけ顕著な特徴となっている。

甲冑をつけた男性の肖像 ヤーコボ・ロプスティ作 油彩・カンヴァス 1555年頃

ヤーコボ・ロプティス(本名)は伝承に従うと、彼はティツィアーノの工房で徒弟時代を過ごしたと考えられる。その後、1539年までには独立した画家として活動するようになった。彼が関心を向けるようになった頃、ヴェネツィアでは、トスカーナ摘方と、ロマのマニエリスム様式が人気を博していた。それゆえ、彼はまさに画家としての修行を始めた当初から、その教えを吸収することとなった、優れた肖像画家としても名声を得た。本作品がオーストリア大公レオボルト・ヴィルヘルムのコレクションに入って以来、テイントレットへの帰属に疑義が呈されたことは一度もない。この美しいカンヴァスの画は、円柱の基礎にある銘が示すように、30歳前後の男性の容貌を生き生きと描いている。彼の顔は赤みがかった顎髭に囲まれており、冷静で確かな自信を伝える、穏やかな揺るぎのない眼差しが感銘をもたらす。彼は赤い脚衣をつけ、金の装飾をもつ一揃いの高価な甲冑を、腿より上のみに着用している。描かれているのは出陣前の軍人であることは、繊細な彫金の施された豪華な甲冑のみならず、像主の自信を映すその姿勢からも明らかである。本作品は、ティントレットの最良の肖像画の一つであり、像主の個性を十全にとらえるとともに、その社会的役割を伝え、彼が身を置いていた文脈のうちに描いている。本作品は、1550年代の肖像群において頂点を迎えた、表現手段の洗練がみて取れる。

ホロフェルネスの首を持つユディト ヴェロネーゼ作 1580年頃 油彩・カンヴァス

ここに描かれている物語の舞台は、紀元前6世紀のベトリアというユダヤの町を包囲していた、アッシリア軍の将軍ホロフェルネスの野営陣内である。魅力的で高潔なユデイトという裕福な寡婦は、自らの町を救うため敵陣に入り込み、策略によってホロフェルネスに取り入った。ホロヘルネスはおそらく彼女を誘惑しようとテントに誘い込んだが、ユデイトは彼が酔いつぶれたのを見てその剣をつかみ、首を切り落として持ち帰ったのである。アッシリア軍は彼女の恐ろしい勝利品を見て逃げ帰り、かくして町へ戻ったユデイトは女傑と称賛された。ヴェロネーゼはまさに、ホロフェルネスの首をはねた直後のユディトを描いている。ヴェロネーゼは画家アントニオ・バディーレの工房で画家としての教育を受けた、ヴェローバに浸透し豊かな実りをもたらしていた中部イタリアのマニエリスムの影響は、この若き画家に重要な役割を果たした。同様に、この町でみつかったローマ時代の遺物の魅力は、彼の将来の芸術家としての成長に間違いなく関係している。若き画家はヴェネツィア共和国の田園地帯に点在する貴族の別荘(ヴィラ)のフレスコ装飾に従事した。この絵を見て、私は、かつて粗筋を読んで、どこかで見た絵画であると思い、前の図録を読み直してみたら「フェルメール展」で見た、ヤン・デ・ブライの「ユーディトとホロフェルネス」という絵画であった。この話は聖書外典の「ユーディト記」10-14章に出てくる話のようである。去年見た展覧会であるが、案外記憶は鮮明に残るものであると感じた。

キリスト捕縛 バルトロメオ・マンヅレーディー作 1582年 油彩・カンヴァス

これは、キリストがオリーブ山で祈りを捧げた後、ユダの裏切りによって捕らえられる場面である。赤い衣のキリストが、兵士たちに囲まれ、茶色い衣まとったユダから今にも裏切りの接吻を受けようとしている。キリストはわずかに視線を下に落とし、抵抗することもなく自らの運命を受け入れるかのように静かに両手を広げている。銀貨30枚で買収されたユダは、闇夜の中誰がイエス・キリストであるかをユダヤの祭司長に知らせるため、イエスに接吻した。この作品は、カラヴァッジョによる同主題作品の構図を反転して構成されている。研究者パピによって「マンフレーディの最も重要な作品の一つ」として紹介された。北イタリ生まれのマンフレディーは、ローマにおけるカラヴァッジョの最も重要な追随者の一人で、遅くとも1607年頃から同地で制作をしていた。

エジプト逃避途上の休息 ヤン・ブルューゲル(父) 1595年頃 油彩・鋼板

「エイジプト逃避途上の休息」は16世紀フランドル絵画でとても人気のあった主題である。ベツレヘムからエジプトに旅する聖家族という主題は幼子イエスにとっての最初の試練にかかわり、受難の悲劇を予測させるものだが、その旅の途中に休息をとるという主題は、親子水入らずの愛情に満ちた場面として人気を博した。本作品でも、悲劇的な要素は希薄で、森の近くで休憩する親子の姿に苦難の色は認められない。ヤン・ブリューゲルが風景を担当し、そこにロッテンハンマーが人物モチーフを描いたのである。異なる分野を得意とする複数の画家がそれぞれ専門分野を担当して一つの絵画を制作するやり方は、17世紀フランドル絵画に頻繁に見られる形式である。

堕罪の場面のある楽園の風景 ヤン・ブリューゲル(父)作 1612~3年頃 油彩・板

本作品に記された年代は下2桁が欠けているが、1612年の年記は施されたローマのドーリア・パンフィーリ美術館にある同サイズかつ本作品と同じ聖書の主題を扱った絵画や、1613年の年記を持つロスアンゼルスのjポール・ゲッティ美術館の「ノアの箱舟への乗船」、そしてこれら同年代に制作された考えられるブタペゲル(父)の作品の例にもれず、主に1620年以降、その大規模な工房では彼の楽園風景の複製と類似作品がいくつか生み出された。そうした作品はやはり画家であった息子ヤン・ブリューゲル(子)の作とされている。本作品はブリューゲルの楽園描写が特に洗練された例で、自然の青々とした草木のうちに様々な種が写実的かつ詳細に描き込まれている。ヤン・ブリューゲル(父)はピーテル・ビリューゲル(父)の次男で、何世代も続く有名な画家一族の一員である。

 

この章では、主に旧約聖書や古い記録にのこされた話題を絵画に仕立てたものを取り上げた。図録の分類で言えば「Ⅱルドルフ2世とプラハの宮廷」、「Ⅲ コレクションの黄金時代:17世紀における偉大な収集のうち1.スペイン・ハプスブルグ家とナポレオン1世」の項の一部である。旧約聖書などを扱った絵画を取り上げたせいか、どこかで見た事例が多かった。あまり旧約聖書の場面を描いた絵画を取り上げなかったので、今回は敢えて、古い文書にしるされた絵画場面を多く採用した。また企画は「日本・オーストリア友好150周年記念」というサブタイトルが付いている。明治維新以来150年であり、多分新しい明治政府は、徳川幕府の「鎖国条例」を廃止し、世界各国と友好条約を結んだ年(明治元年)に当たったのであろう。

本稿は、図録「ハプスブルグ展ー600年にわあtる帝国コレクション 2019年」、図録「フェルメール展  2018年、2019年」参照した)