ハプスブルグ展ー600年にわたる帝国コレクションの歴史(1)

欧州の名門=ハプスブルグ家=の美術品が、今回国立西洋美術館で開催されている。非常に興味を持って、同展を観覧した。「素晴らしい」の一言である。ハプスブルグ家はライン川上流地域の豪族として頭角を現し、13世紀末にオーストリアに進出し、同地域を拠点に勢力を拡大し、広大な帝国を築き上げた。15世紀以降は、神聖ローマ帝国の皇帝位を代々世襲した。ナポレオン戦争により神聖ローマ帝国解体後は、後継のオーストリア帝国(1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国に改組)の皇帝となった。第一次世界大戦後に帝国が終焉を迎えるまで、数世紀にわたり広い領土と多様な民族を統治したヨーロッッパ随一の名門である。なお、今回の展覧会で最大の「見たい絵画」はベラスケスによる「マルガリータ・テレサ スペイン王女」の肖像画であった。私の美術関心は中学生時代に愛読した、「世界の美術全集」全30巻の全集(父の集めた書籍の一つ)である。中でもベラスケス作の「マルガリータ・テレサ スペイン王女」の肖像画が秀逸であり、こんな素晴らしい美術品がスペインに有るのだと思った。今回の「ハプスブルグ展」の最大の関心は、ベラスケスの「マルガリータ・テレサ  スペイン女王」の幼い時期の絵画であった。私だけの関心ではなく、展覧会を見た観客の最大の関心は、愛らしい「お姫様」の絵であって、黒山の人だかりであり、人気を一番集めていた。

ローマ王としてのマクシミリアン1世 ベルハルト・シユトリーゲン作 1507年頃 油彩・板

マクシミリアン1世(ローマ王在位1486~1519)/神聖ローマ皇帝在位1508~1519年)は、ハプスブツグ家による支配の基礎を築いた人物で、同家がヨーロッパで最も勢力のある一門として長く君臨するために、巧みな結婚政策を展開した。自身は1477年にマリーー・ド・ブルゴーニュ(1457~1482)と結婚し、彼女が早世したため、ブルゴーニュの領地を手に入れた。同様に、子供や孫たちの結婚も将来にまで及ぶ重大な結果をもたらし、これによって、ボヘミヤ、ハンガリー、そしてスペインもハプスブルグ家の所領となった。熱心な美術品収集家でありマクシミリアン1世は、同時代の最も有名な芸術家たちを雇い入れた。彼は自身を記憶に留めさせることに関心を持ち、それが作品制作を命じる上での主要なテーマの一つとなった。

馬上試合用甲冑、「網模様の甲冑セット」より アウグスブルク 1571年頃 アントン・ベッフェンハイザー作

この甲冑は、16世紀における最も印象的な甲冑セット、いわゆる「網模様の甲冑セット」に属するものである。この名称は、腐食させた金属に鍍金して著した帯が絡み合い、甲冑全体の表面に織りなされる装飾を施している。本作品を制作したのはアウグスブルグを拠点とした甲冑師アントン・ペッフェンハウザーとみられる。1545年にはアウスブルグで親方甲冑師の資格を得るや、彼は帝国自由都市ニュルンベルグで最も成功した甲冑師の一人となった。彼の経済的成功は、オーストリアとスペイン双方のハプスブルグ家や、神聖ローマ帝国内のその他有力な諸侯たちの栄誉ある注文に応えて指揮した、甲冑の大量生産に基づくとみられる。「網模様の甲冑セット」は、徒歩による試合用、馬上試合用、馬上槍試合用により構成される。

オデュッセウスとキルケ バルトロメウス・スプランゲル作 1580~85年頃 油彩・カンヴァス

スプランゲルは神聖ローマテイコクルドルフ2世の宮廷画家である。スプランゲルはネーデルランドの写実描写とイタリアのマニエリスムスを結び付けて、人工的な優美さと洗練された官能性を持つ独特の作風を発展させ、ルドルフ2世を魅了した。1580年代には、皇帝のために、古代神話の恋人たちを描いた一連の作品を手掛けており、英雄オデュッセウスと魔女キルケを描いた本作品もその一例である。真珠のような肌をあらわにし、蠱惑的に言い寄るキルケに対して、オデュッセウスは嫌悪と同時に抗い難い魅力を感じているようだ。このキルケの奸計に打ち勝ち、部下たちを救ったオデュッセウスは臣民の庇護者としての皇帝に重んじられ、皇帝称揚の文脈で好んで描かれた。

ユピテルとカリスト ヨーゼフ・ハインツ(父) 1603年頃 油彩・鋼板

神聖ローマ帝国ルドルフ2世の宮廷画家であったハインツは、皇帝の趣味に応えて、古代神話の物語を感応的かつ優美に描いた小型絵画を数多く制作した。本作品もおそらくはその一例であろう。茂みのそばで抱き合う男女は、かって美と愛の女神ヴィーナスとその恋人アドニスと考えられていたが、むしろ最高神ユピテルとニンフのカリストと見做すべきであろう。ユピテルとカリストの情事の物語は、古代ローマ詩人オウィディウスの「変身物語」に記されている。複雑に絡み合う二人の身体の表現には、ハインツがかって滞在したローマで学習した古代彫刻への参照が指摘される。

対トルコ戦争の寓意 ヨーゼフ・ハインツ(父) 1603年頃 油彩・鋼板 ハンス・フォン・アーヘン作

ハンス・フォン・アーヘンも神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の最も重要な宮廷画家のひとりである。本作品は、神聖ローマ帝国とオスマン帝国のいわゆる「長いトルコ戦争」(1593=1606年)に取材した連作の一点である。この連作は、菅亜節的な手法で皇帝のプロパガンダに大いに貢献したと指摘される。神聖ローマ帝国側の人物グループの中には、オーストリア大公国の紋章を携えた人々も見られ、そのうちの数名は囚人として描かれている。彼らはオスマン帝国に迫害される神聖ローマ帝国民を表すのだろう。

アダムとエヴァ アルヴレヒト・デューラー作 銅版画 1504年

1505年から1507年にかけて2度目のイタリア滞在を行い、ルネサンス芸術の成果を本格的に母国ドイツへ持ち帰ることになるデューラーが、決定的な旅に先立って示していた一つの到達点ともいうべき仕事が、この1504年の銅版画「アダムとエヴァ」である。この作品は同時代のイタリア・ルネサンスの芸術の遠い記憶を、あらたにドイツの地で再生しようとしたデューラーの仕事の最初における原点である。アダムとエヴァは、キリスト教における人類の祖である。アダムとエヴァは、蛇が差し出す禁断の果実をいまだ口にしていない。それを口にしたために愛欲に目覚めてエデンの園から追放され、現生の人間を生み育ててゆくふたりは、まだそこにはいないのだ。したがって彼らの身体は、穢れや欠損のない超越性を構造的に内在化していなかればならない。この「アダムとエヴァ」を含むデューラーの版画のオリジナルの銅板そのものが、やがて神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世のクンストカマーに入り、ハプスブルグ家のコレクションに収まったことが記録されている。

宿屋のふたりの男と少女 ディエゴ・ベラスケス作 1618年頃 油彩・カンヴァス

ベラスケスの生地セビーリャは、16世紀から17世紀にかけてスペインの最も反映した都市の一つであった。当時のスペイン芸術家たちは、イタリアの画家の作品にみられる光と影の劇的なコントラスト等、外国からの影響を大いに受けており、また北方の版画からも着想を得ていた。この刺激に満ちた雰囲気の中で、ベラスケス絵画の技術を学んだ。1623年ニマドリードに赴き、フェリペ4世の宮廷画家となって、以降の生涯を主に肖像画に捧げたのである。本作品の茶褐色と黄土色の色調は、ベラスケスの初期作品であることを示唆し、食宅を囲んで座る3人に人物は、スペイン黄金時代に流行したピカレスクの小説の登場人物を連想させる。質素な食事と、女中が持つヴェネツィアン・グラスや鋼製の塩入れは著しい対照をなし、描かれた人物たちが没落した貴族であることを示唆している。

スペイン国王フェリペ4世の肖像 1631年頃 油彩・カンヴァス ディエゴ・ベラスケス作

スペイン・ハプスブルグ家の国王フェリペ4世(1605~65)と、その妻イサベル・デ・ボルボン(1602~1665)を表した一対の肖像画は、おそらく全身像に対応策として意図されたものである。この2点は、「ドイツへ送るための国王陛下夫妻」と見做されている。ハプスブルグ家は、カール5世の退位後領土を分割相続されたことで、オーストリアとスペインに分かれたが、両王家はその後も婚姻を通じて密接な関係を保ち続けた。フェリペ4世は、スペイン国王フェリペ3世を父に、そしてオーストリア大公カール2世の娘にして神聖ローマコウテイフェルデイナンド1世の孫であったマルガレーテを母に生まれた。フェリペ4世は黒衣に身を包み、簡素な平たい襟(ゴリーリャと呼ばれる)をつけ、胸には羊をあしらった金羊毛勲章を下げて立っている。左手は剣の柄頭に乗せ、右手には何も書いていない紙片を携えている。

スペイン国王妃イサベラ(1602~1644)の肖像 ディエゴ・ベラスケス作(1631年頃)

スペイン国王フェリペ4世は、最初の妃イサヴェル・デ・ボルボンが没した2年後の1646年、マリアナ・デ・アウストリア(1634~96)と再婚した。イサベルとの間に生まれた8人の子供は、一番下の王女を除き全員が成人前に死没したため、再婚から5年後にマリアナが生んだマルガリータ・テレサは世継ぎ問題に悩まされていた宮廷に希望の星として輝いた。ベラスケスは彼女をおよそ3歳、5歳。そして本作品の8歳の頃(1659)と3度単独で全身像を描いており、それは全て現在美術史美術館に保存されてている。中でも最晩年に描かれた本作品は、自由な筆致と色彩の斑点が、もののかたちや質感を見事に伝える、ベラスケス油彩技法の頂点を示す傑作である。この作品は、父親が買っていた美術全集の中で、最高傑作と見た中学1年生の審美力は正確なものであったと自負している。

緑のドレスの王女マルガリータ・テレサ(1651~73)ファン・バウティスタ・デル・マーソ作 油彩・カンヴァス

本肖像画に描かれた愛らしく純真な幼い王女は、マルガリータ・テレサである。王女は、スペイン王フェリペ4世と、2度目の妻にして姪のマリアナ・デ・アウストリアとの間に生まれ、1666年15歳で母方の叔父である神聖ローマ皇帝レオポルト1世に嫁いだ。この結婚はスペイン、オーストリアの両ハプスブルグ家の繋がりを強固にするためのものであったが、おそらく繰り返される近親婚のために王女は体が弱く、4人目の子を産んで間もなく、合併症により21歳で亡くなった。本作品は、ベラスケスの作品に似ているが、工房による模写とみられてきた。現在では、ベラスケスの娘婿である、工房のファン・バウティスタ・マルティネス・デル・マーソの作品であるとみなされている。ベラスケスの作品に似ているが、やはり工房作であろう。本作品は、マーソの肖像画家、そして模写制作者としての技量を示す重要な作例となっている。

 

ハプスブルグ展の第1回の説明である。ベラスケスの「青の王女マルガリータ・テレサ」を是非じっくりと見て頂きたい。ベラスケスの力が遺憾なく発揮されている。よくぞ、中学1年生の田舎者が、この素晴らしい美術品を見抜いたものだと感心している。

 

(本稿は、図録「ハプスブルク展ー帝国コレクションの歴史(1)を参照した)