ファンタスチック  江戸絵画の夢と空想  前期

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「ファンタスチック」と言う言葉は、「「素晴らしい」というような意味に用いられる。府中市美術館では、あえて、この単語を用いて、江戸絵画の展覧会を開催している。(5月8日まで)同美術館では、図録の冒頭に「本展の目的は、この現代の日本において、あえてこの片仮名の言葉を通して江戸絵画の魅力を再発見することにある」と述べている。この「再発見とは,一旦見失ってしまったということであり、いつ、どうして見失ったのだろうか」と問いかけている。その理由として、近代以降の人々が、江戸時代の絵画は「芸術以前のもと考えるようになったことが挙げられるのではないだろうか」とし、明治時代に日本に入ってきた西洋の美術こそ芸術であり、それ以外のものは「芸術ではない」と、思い込んだ結果であると考えた。この考えには、私は疑問を感ずる。江戸時代の260年の間に、浮世絵は別格としても、琳派と呼ばれる俵谷宗達、尾形光琳,酒井抱一、鈴木其一、文人画と呼ばれる大雅と蕪村、同時代の円山応挙や伊藤若冲、やや下って浦上玉堂、青木木米、田能村竹田など多士済々であり、むしろ江戸時代こそ日本画が最も輝いた時代ではないかと思っている。しかし、府中市美術館が提起した問題点は、確かに言い当てて妙を得ている。上記以外の作家で、「ファンタスチック」と呼べる画家がどれほどいるだろうか?実は知識がないだけで、江戸絵画には「夢と空想」が一杯つまっていることを、明らかにしたい。なお、「黒田清輝展」の後に、この江戸絵画を書いたのは、みんなに近代絵画を考えてもらいたいからである。

元旦図 丸山応挙(1733~1795)作     江戸時代(18世紀)

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裃で正装した男性が太陽に向かって立っている図である。箱書きには「元旦」と記されており、応挙自身の個人的な心境を描いたのか、誰かの注文なのかは分からない。ここに表現されているものは、正装で太陽を正面に拝しているところで、初日の出のういういしさが表現されている。光や陰を描写することへの意識があったからこそ、こんなに斬新な感情表現ができたのであろう。

四条河原夕涼図屏風  山口素侚(1759~1818) 江戸時代(18世紀)

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京都の画家で円山応挙に学んだ。四条河原の夕涼みの様子を描いた図である。露店ではスイカや白酒などさまざまな物が売られている。見世物も多い。中でも目を引くのが人魚の見世物である。そんな賑わいとは別に、遠くの建物の中の宴の様子や行き交う人々のシルエットが見える。まるで夢の世界のようである。楽しげな人々の描写には、思わず引き込まれてしまう。良い絵である。私は京都に2年半暮らしたけれども、夏は暑く、眠れない夜が続いた。この四条河原の夕涼みができたら、どれほど楽しかったであろう。

観桜・紅葉に鹿図屏風  作者不明     江戸時代前期(17世紀?)

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二曲一双の屏風である。江戸時代前期、作者は不明であるが17世紀の作と思われる。一方には花見の図で、武士たちの宴。被毛氈や華美な敷物の上で,舞を楽しんでいる。金箔で雲の形があしらわれ、銀箔を細かく切った砂子も蒔かれ、華やかな屏風である。下図は紅葉と鹿の情景である。この鹿図には、人は現れず、山中の秋である。日本では,秋に聞こえる鹿の声にことのほか風情を感じる。どちらの図も力強く、堂々とした描写である。

気球図 原鵬雲(ほううん)作 (1835~1879年)作 江戸・明治時代(19世紀)

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鵬雲(ほううん)は嘉永3年(1850)に描いた徳島藩の御鉄砲組、喜根井善種の肖像画が初期の作例として知られている。徳島藩の銃率として、安政元年(1854)、藩が大森・羽田の警備についた時に出陣。文久2年(1862)、幕府の遣欧使節団に随行した。約1年間西欧を旅して、各地の風物を写生した。だから本当に気球を目撃した日本人の絵画である。どこで目撃したかは分からない。恐らく帰国後に描いたものであろう。広々とした画面を使っておおらかに仕上げている。まるで童話の絵本を見ているかのようである。

飛竜図(ひりゅうず)原在中(1750~1837)作江戸時代後期(19世紀)

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この場面は,鯉が竜に変わるところである。中国では,鯉は竜文の滝を登ると竜に変わると言われ、鯉の滝登りの図は立身出世を表す画題として、江戸時代に大変多く描かれた。飛竜とは、この絵の箱書きにあったので、この命名となったそうである。この絵はまだ登り切っていない。その途中の変身中である。頭だけが竜、それより下はまだ鯉という姿で、非常に珍しい絵姿である。墨と金泥だけで描かれ、モノクロームの落ち着きと深さがある。

地獄図 河鍋暁斎(かわなべきょうさい)・薫玉作(1831~1889)江戸・明治時代(19世紀)

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閻魔王が女性を抱いて鏡を見ている。署名の入れ方からみて、後姿を暁斎、鏡に写る姿を薫玉が描いたのであろう。閻魔が見ているのは「浄玻璃の鏡」である。地獄で亡者が裁かれる時に、生前の行いが映し出される鏡である。ところが映っているのは女性を抱く閻魔自身である。この閻魔の顔をどのように見ますか?

八尾狐図 狩野探幽(1602~1674)作  江戸時代前期(17世紀)

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江戸時代初期を代表する有名な御用絵師である。徳川家康が、江戸に幕府を設けると、幕府の奥絵師の地位を得て活躍した。この図は三代将軍家光が見た夢の光景である。寛永14年(1637)のこと、この頃家光は病気がちであったが、不思議な霊夢を見た。八本の尻尾のある狐が、御宮の方から家光の所へやって来て、家光に向かって奉り、御患いは、回復されるでしょうと告げて去っていった。夢から覚めて本当に元気になった家光は、八尾の狐を、夢に見た通り描くよう仰せになった、というのである。いかにも夢らしいファンタスチックな世界である。

蛙の大名行列 河鍋暁斎作   明治時代(19世紀)

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彼は擬人化した蛙の絵の名手であった。まるで平安時代の鳥獣戯画のようである。この「蛙の大名行列」も「鳥獣戯画」の後編と言っても良いほどの作品である。構図が巧みである。大名行列を大きくカーブを描き、蛙たちも、同じ方向から説明的に図示されることなく、色々な角度から捉えられている。お殿様はかなり幼いようだが、藩の事情だろうか。こんな絵が江戸時代には好まれたのであろう。面白さと描写の妙技が、現代の我々を魅了する。

円窓唐美人図 司馬江漢(1747~1818)作 江戸時代後期(19世紀)

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西洋の技法を使って中国の女性を描いたもので、江漢の油彩画としては早い頃の作品であろう。遠くの山の立体感の表し方や女性の着衣の襞など、念入りである。画面全体としても力強い。当時の人は、この絵を見て、異国を目の当たりにする思いだったであろう。

虎図(部分)与謝蕪村(よさぶそん)(1716~1783)江戸時代(19世紀)

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俳画で有名な与謝蕪村の46歳の時の作品である。うねりながら近づいてきたような虎動き、頭を斜めにしてこちらに向ける視線、そして交叉させた前足や、画面の最上部まで伸びた尻尾まで、まさに「生きている」という感じである。江戸時代、虎の絵は人気があったそうである。しかし、本物の虎を見る機会が無かった。そこで海外からもたらされた絵が、参考とされたのであろう。

 

さて、どの絵が一番ファンタスチックだったでしょうか。私の好みから言えば①四条河原夕涼み図です。京都の夏は蒸し暑い。とても満足に眠れるものではない。そんな夏の夕暮れに、四条河原で夕涼みが出来たら、どんに京都の夏が過ごしやすかったでしょうか。因みに、向こう側に描かれた建物は、料亭の床と呼ばれる、川原に出された屋根の無い座敷である。ここの夕涼みは、京の贅沢の極みであり、私も何度も楽しんだ。この絵にあるように床の反対側は、現在は鴨川が流れており、立ち入ることは出来ない。②は気球図です。これを見た江戸時代の人はさぞかし驚いたことでしょう。③は蛙の大名行列です。なんともユーモラスで、まさに鳥獣戯画の延長線上です。しかし河鍋暁斎の絵は上手ですね。改めて感心しました。是非、一人一人が、「私のファンタスチックな絵」を選んで楽しんで下さい。

 

 

(本稿は、図録「ファンタスチック 江戸絵画の夢と空想」、府中市美術館「かわいい江戸絵画」、府中市美術館「江戸絵画の19世紀」、安村敏信「江戸絵画の非常識」を参照した)