フェルメール展(1)

ヨハネス・フェルメール(1632~1675)は、オランダ共和国の黄金時代を代表する画家である。作品数は45店程度(異論はある)と寡作であるが、17世紀オランダを代表する画家であることは、間違いない。しかし、現存する作品は35点程度(異論あり)であり、長い無名の時代に行方不明となり、フェルメールの名誉が回復されてから、作品が発見された画家である。オランダとは、ほぼ現在のオランダとベルギーに当たる地域で、17世紀までは「ネーデルランド」(低地地方)と呼ばれた地で、海面より低い土地が多いため穀物の自給は、当時は困難であり、輸入に頼らざるを得なかった。その為この地域では、商人が活躍をして、仲立ち貿易により生きて行かなければならない事情があった。このネーザーランドの繁栄は、17世紀のイギリスを遙かに超えるものである。当時のオランダはヨーロッパ隋一の繁栄を誇る国であった。イギリスの作家ダニエル・デフォーは、イギリスの貿易は「輸出貿易」であり、オランダは「中継貿易」に過ぎないと酷評している。オランダのこの時代の歴史は、戦争の100年であった。歴史を振り返ると、まず1568年から1648年まで、スペインからの独立戦争を興し、オランダが決定的に勝利し、ヨーロッパで初めて市民階級が成立した。チューリップ・バブルの頂点の時代(1632年)にフェルメールは生まれているが、間もなく1637年にはチュリップ・バブルははじけている。17世紀世界を制覇したオランダの豊かさを土台に、文化が成熟していった肥やしのようなものを、この時代の絵から感じるが、一方でオランダの凋落の兆しも感ずる。事実第一時英蘭戦争が1662年に発生し、1654年に終結している。その後英蘭戦争は、第三次まで続き(1674年)、決極オランダは海上覇権をイギリスに奪われてしまった。フェルメールの生きた時代は、オランダが近代市民社会を生み出し、生き生きとした社会を生み出し、その絶頂期に生まれた作品群である。ヨーロッパ絵画には、19世紀頃までは、厳格なヒエラルキーがあった。それは歴史画、肖像画、風俗画、風景画、静物画の序列で、16世紀には、この序列は厳格に存在したが、今回の「フェルメール展」では、概して風俗画が多い。第1回は、フェルメール以外の著名作家の作品を取り上げる。

ルカス・デ・クレルク(1593~1652年)の肖像            フィンテェ・ファン・ステーンキステ(1603~1640)の肖像画     フランス・ハルス筆1635年頃 油彩・カンヴァスアムステルサアム国立美術館

 

この2作品は対をなす作品である。等身大の男の肖像は、画家の卓越した描写方法が素晴らしい。17世紀おいては、結婚した夫婦が自分たちの肖像の対作品を所有するのは普通のことだった。ここに描かれているのはハーレムの商人とその妻である。二人は1626年に結婚した。どちらも白いひだ襟のついた黒い服を着ている。極めて質疎な服装である。その理由は彼らの宗教的信条にあった。この二人は厳格な服装規定に従うプロテスタントの一派メノ一派の信者だったのである。妻のステーテンキステは、両手を腹の前で組み、妊婦のような姿勢を取っている。右手の関節や指のハイライトは立体感をありありと表現している。

ハールレムの聖ルカ組合の理事たち 1675年頃 ヤンデ・ブライ作 油彩・カンヴァス アムステルダム国立美術館

7人の男性が一つの部屋に集まっている。壁には金色の額縁に収められた風景画がかけられている。机はオリエント風の敷物に覆われている。この人物たちは、ハールレムの聖ルカ「画家」組合の理事たちである。聖ルカ組合は主として、若手芸術家の監督や、外部との競争から会員を保護などを行う芸術家の職業組合であった。オランダ共和国ではおもな芸術の中心地にはすべて聖ルカ組合が存在した。画家組合の一員だったヤン・デ・ブライはこの絵の中にも登場し、画板を手にした左から2番目の人物が彼その人である。彼は歴史画を描いたが、フランス・ハルス亡き後のハルレムで最も重要な肖像画家であった。

宿屋デ・クローンの外 1630年頃 ヤン・ミーンセ・モレナール作 油彩・カンヴァス フランス・ハルス美術館

宿屋の前で陽気な仲間たちが楽しんでいる。農民が酒やカード遊び、音楽等に興じる生活風景を表す。このような絵画は、時として享楽的生活への戒めという道徳的な意味を含む。しかし、モレナールは喜劇的な風俗画を得意としたことから、本作も単純に鑑賞者を楽しませる目的で描かれたものであろう。17世紀オランダ共和国では、このような風俗画が楽しまれた。

港町近くの武装商船と船舶 1620~25年頃 コルネリス・ファン・ウィヘン作 油彩・板 ロッテリアム海洋博物館

画面中央をすべての帆を張った武装商船が左に進んでいる。大砲を撃ったあとで、大きな砲煙が上がっている。この3本マストの武装商船はオランダの旗を掲げている。画面右奥からこちらにやって来る別の3本マストの帆船には3本のユリの鑑旗が掲げられているのでフランス籍であることがわかる。武装商船は、遥かアジア、アメリカ等に輸出貨物を積んで商売をするのであろう。当時のオランダの富をかせぐ手段であったろう。前景の浜辺では、漁師たちが忙しそうに釣り上げた魚を運んでいる。漁船やボートを引き上げられている前景の狭苦しい砂浜では、人々が様々な作業をしている。この作品は、実景を描写したかのような印象を与えられるが、ファン・ウィーリーヘンは、船や海、漁師に対する広範な知識を活用して、こうした情景をアトリエで描いてていた。しかし、オランダが海洋国家としてヨーロッパに覇を遂げた時代の風景である。

捕鯨をするオランダ船 アブラハム・ストルク作 1670年 油彩・カンヴァス ロッテルダム海洋美術館

17世紀、ネーデルランドでは商業用の捕鯨がはじまり、1614年から1642年まで、「北方会社」と呼ばれる組織が専売権を有していた。「アムステルダム」と呼ばれていたスピッツベルゲン島のスミーレンブルグを拠点として、グリーンランド海の沖に生息する大量のクジラが捕獲された。この産業によって北大西洋のクジラが絶滅しかけた。「北方会社」が30年ほどで解散された理由は、このクジラの絶滅危惧にあったのであろう。狩猟された2頭の北極熊やセイウチの姿も見られる。メルクは、このような主題の絵を少なくとも3点以上描いており、作品が確認されており、成功したようである。海洋国家オランダを象徴するような絵として受け入れられたのであろう。

海辺の見える魚の静物 ヤン・で・ボント作 1643年 油彩・カンヴァス ユトレヒト中央美術館

前景の海辺には様々な種類の魚介類がどっさりと置かれている。様々な種類の魚が実物大で描写されている。前景の左には、ひっくり返ったカニとその後ろに大きなロブスターが見える。これらの生き物の間に、ムール貝が砂地の上にある。中程には大きなヒラメがひっくり返っていて、その右側には巨大なエイがいて、その下にもまたヒラメが見える。これらの魚は、大きな籠の上やかたわらに置かれていて、その向こうには木の塀があり、そこには水指しとかロープがかかっている。塀の向こうにも釣竿がもう1本見える。画面左、砂地の先では、帽子を被り、棒を担いだ少年が、こちらを見ながら歩き去ろうとしている。背景では、砂丘の上に何人かの人物が立っていて、海を眺めている。はるかなかなたの海辺には、帆を張った漁船が何艘か見える。この魚介類は、背後の漁船で獲れたもので、これから海辺で売られるのであろう。様々な魚介類が取れた豊漁の様子が、深い知識に基づいて丹念に描かれている。署名された作品は少ないが、それらがはすべて魚の静物画である。「海辺の見える静物」というこの野心的な作品は、極めて品質も良く、画面も大きいもので、この画家の豊かな才能を示している。

手紙を読む女 ハプリエル・メッソー作1664~66年頃 油彩・板 アイルランド・ナショナル・ギャラリー

「手紙を書く男」の対作品で、女性は求婚者からの愛の告白の手紙を読むために、針仕事を中断している。メイドは手紙を渡したところで、彼女の傍に立っている。手紙を読む女性は、明るい方に向けて見ているだけでなく、他人から見られないようにしているのである。しかし、メイドは、手紙の内容について、よくわかっている。彼女は壁に懸けられた波立つ水面を航海する船が描かれた単色の絵画を見せるため、緑色のカーテンを片側に引いている。こうした海洋絵画は、「愛は荒れる海のようだ」、という広く知られた比喩となっている。このメッセージはフェルメールの「恋文」の背景に見られる海洋風景でも示されている。つまり、メイドがこの寓意を露わにすることによって、この女主人は彼女の前に横たわる危険を認識すべきだ、ということを鑑賞者に告げている。本作品は、真っ先にフェルメールの影響を受けている。「手紙を書く男」では、メツーの絵画をデルフトの巨匠フェルメールの特定の作品と関連させることは不可能である。フェルメールの作品に起源を持つような要素、例えば、背景の壁に反射する自然光、大きな対象を幾何学的に配列すること、背景の壁に物体を吊るして強調することは、フェルメールの様々な作品から学得したものである。フェルメールからの模倣で最も際立った点は、女性の上着である。メツーは彼自身の作品において、フェルメールの並外れた絵画技法を模倣した数少ない画家のひとりである。

手紙を書く男 ハブリエル・メツー作 1664~66年頃 油彩・板 アイルランド・ナショナル・ギャラリー

一人の紳士が開かれた窓の前にあるテーブルに座り、手紙を書いている真っ最中である。文通している彼の多情な気質は、欲望を象徴する動物の2つの図像によって示唆されている。かれの背後にあるイタリア風の風景画には山羊の群れが描かかれ、手の込んだ金色に輝く緑の鳩の群れが見える。男性の手紙は、対作品「手紙を読む女」の上品な衣服を着た女性のために書いているものである。その作品では、恋人が書いた情熱的な文面に夢中になって読んでいる女性の情景が描かれている。本作品は背後の壁に当たる暖かな明るい光によって、彼が午後に手紙を書いていることが示唆されている。一方、女性は、翌日のやや冷たい朝の光のなかで手紙を読んでいる。「手紙を書く男」と「手紙を読む女」はメツーが描いた多くの絵画のなかでも、最も成功した作品だと考えられる。彼は、この、対作品を1660年代半ばに描いており、それは彼の画業の絶頂期にあたる。そして38歳で早逝する数年前に相当する。その時、メツーはアムステルダムにおける風俗画の先導者となっており、日常生活の情景を繊細にえがいたことで名声を得た。こうした作品の大半は、音楽を演奏したり、飲食を共にしたり、お互いに手紙を交換したりすることによって、愛を求め合うオランダ上流階級の若く優雅な仲間たちが気晴らしをする様子を描いたものである。メツーの作品群はフェルメールの作品と共鳴するいくつかの特徴が含まれている。メツーがフェルメールから模倣した点は、フェルメールの特定の作品と関連付けることはできない。そのことはメツーが何度かデルフトに滞在した際にフェルメールの最晩年作を何度か研究していることを示唆している。

人の居る庭 ピーテル・デ・ホーホ作 1663~65年頃 油彩・カンヴァス アムステルダム国立美術館

1650年代後半、ピーテル・デ・ホーホは、これまで常に室内に置かれた少人数の集団や、せっせと働く主婦たちを、外の新鮮な空気のなかに配置するという考えを思いついた。彼は屋内のときのように、眺望や屋外の情景のなかに組み込んだ。これによって、彼は興味深い遠近法や照明の効果を探究する機会を得ることができた。デ・ホーホは通常、簡素なレンガ造りの裏庭に人物を配置した。この作品は小振りで手の行き届いた邸宅を背景に、小道が描かれている。視線は小道に沿って、囲いの開かれた扉へと導かれる。そこには群棲する木々を水際に見ることができる。良い天気で、邸宅には溢れるほどの日が差しており、優雅に着飾った若い女性と男性が涼しい日陰に逃れている。男性はわずかに前のめりになり、女性がレモンを絞ってグラスを手にしているが、おそらくこれは男性のために用意されたものである・もう一人の女性は雨水タンクで大きな銅製の容器を洗っているか、もしくは容器を洗っているか、もしくは磨く仕事に従事している。壁のレンガは庭の小道と同様に、ひとつずつ念入りに描かれている。デ・ホーホはしばしばフェルメールと共に語られる。年齢も3歳しか違わず、1650年代、この二人の画家はデルフトに住み、制作をしている。かれらの主題の選択や構図にはきわめて共通性があり、疑いなく、彼らはお互いに作品を知っており、相互に影響されていた。

家庭の情景 ヤン・ステーン作 1665~75年頃 油彩・板 アムステルダム国立美術館

滑稽で陽気な場面を多く描いたステーンの絵には常に教訓が隠されている。ここでは飲み騒ぐ大人たちが、テーブルに立つ幼児の悪い手本であり、左端の老女と若者は「老いが歌えば、若きは笛吹く」「(この親にしてこの子あり)の意味」という諺を表し、子供は大人をまねるので気をつけろという警告となる。「ヤン・ステーンの家族」という表現が、無秩序の支配する家庭を表すオランダの成句となったように、ステーンはこうした活気あり乱雑な室内を数多く描いた。ユーモアと逸話に富んだ細部描写を視る楽しみは、彼の作品のいて最も重要かつ不変的なもので、17世紀の風俗画において独自の地位を確保している。

 

私は1993年(今から24年前)に「たばこと塩の博物館」で開催された「栄光のオランダ絵画と日本」という展覧会を見た。今回「フェルメール展」で憧れのフェルメールを見る前に17世紀オランダ絵画を拝観することになった。24年前の記憶が、はっきりと思い出された。特に展名に「栄光のオランダ絵画」という言葉が含まれており、実に懐かしく「大塚久雄先生」の名著が浮かび上がってきた。それは「富」という題名で、昭和27年に刊行されたアテネ文庫(弘文堂刊)として販売された小さな文庫本である。オランダの17世紀から18世紀の経済紙が語られており、そこには有名な「チューリップ・バブル」や、世界一速く市民社会を生み出したオランダを、如何にイギリスが三度に亘る英蘭戦争デオランダを撃破し、イギリスの産業革命につなげたかが書かれている小冊子である・全部で76ページという小文庫であるが、実に興味深い内容であった。実は、フェルメールが活躍した17世紀は、オランダ共和国の黄金時代であり、世界一豊かな国であり、近代市民社会が成立していたのである。しかし、17世紀を頂点として3度の英蘭戦争の結果、オランダがイギリスに敗北し、資本主義社会の成立に至らなかったのである。24年前の展覧会と同じ画家名を見つけ、懐かしく、古い図録を詠みこんだものである。残念ながらフェルメールの作品は1点も無く、後からフェルメールの名声を知り、今度こそと思い、初日の朝一番に展覧会を見た。大変楽しい、展覧会であった。

 

(本稿は、図録「フェルメール展  2018年」、図録「栄光のオランダ絵画と日本  1993年」、図録「フェルメール公式ガイドブック」、朝日新聞社「フェルメール展解説書」産経新聞刊、クロワッツサン2018年10月25日号、「日経大人のOFF 2018年1月号」を参照した)