フェルメール展(2)

フェルメールは1632年、オランダの商都デルフトで宿屋を営む夫婦のもとに生まれた。宿屋「メーヘレン亭」は居酒屋も併設しており、父が画商としても活動していたから、街の画家たちが多く出入りしていたようである。フェルメールは10代でデルフトを離れ画業修行をしたとされるが、どこで誰を師匠としたかは不明のままである。1652年、フェルメールの父は亡くなった。この知らせを受けたフェルメールはデルフトn戻り、宿屋と画商業を継ぐことになった。この時フェルメールは20歳であった。以後殆どデルフトを離れることなく、この地で画家としてのキャリアを積んだ。その翌年の1653年、20歳のフェルメールは裕福なカトリックの娘カタリーナ・ボルネスと結婚した。カタリーナの両親は、一介の画家であり、プロテスタントの教徒であるフェルメールとの結婚に反対したが、彼がカトリックに改宗することで同意を得た。同年の年末にはデルフトの聖ルカ組合(画家の同業者組合)に登録した。これにより一人前の親方画家として工房を構え、作品に署名し販売したり、弟子を取ったりすることが出来るようになった。フェルメールは、はじめ神話やキリスト教の主題を描いた歴史画に力を入れたが、市民階級の需要の高まりから、市井の人物を描く風俗画を描くようになった。オランダの市民階層は、一家に一枚の絵画を飾るだけの余裕が出来たのである。「今日の日本で、一人前の画家の絵画を飾っている家庭がどれほそあるだろうか?)代表作の一つである「牛乳を注ぐ女」は20歳代後半に描かれた作品ながら、フェルメール作品の特徴である、光に満ちた室内の情景や、鮮やかな青と黄色の対比を、すでに見ることができる。順調に画家としての評価を挙げたフェルメールは、29歳の時に史上最年少で聖ルカ組合の理事に選任された。この頃には、風俗画家の画風を確立し、後世に残る名作を、次々に生み出した。1667年には「デルフト市誌」に「ファブリティスを継ぐ画家」として紹介され、デルフト随一の画家として評価された。その一方で生活は苦しく、義母の支援や友人からの借金に頼ることを余儀なくされていた。その理由として多くの子供を養うことや、フェルメールが多用した非常に高い顔料、ウルトラマリンブルーへのこだわりも、家計を圧迫していたと伝えられる。デルフト一の画家となったフェルメールは、40歳の頃には、絵画の鑑定家としても活動した。しかし、この頃からオランダ経済の衰退が始まった。第三次英蘭戦争が勃発し、フランスにも宣戦布告されたオランダは、大不況に陥り、絵の注文も激減した。そして1675年、フェルメールは43歳でこの世を去った。未亡人となったカタリーナは翌年4月、裁判所に破産を申請し、夫が残したわずかな作品も、パン代のかたに渡してしまう程に困窮した状態であった。

マルタとマリアの家のキリスト 1654~55年頃 ヨハネス・フェルメール作油彩・カンヴァス スコットランド・ナシォナル・ギャラリー

この絵はイエス・キリストが二人の姉妹の家に招待された際のワンシーンを描いた宗教画である。食事の支度をする活動的なマルタと、キリストの足元に座り込んで話し込む瞑想的なマリアを描く。教会での祈りを重んじるカトリックと、聖書のの教えを重んじるプロテスタントの教えを象徴しているという説もある。この絵を描く2年ほど前、21歳のフェルメールは、一つ年上のカタリーナと結婚するため、プロテスタントからカトリックに改宗している。信仰の違いからカタリーナの母親マーリアが、結婚に強く反対していたことからである。どちらかを選ばせるキリスト教的教訓が問われるこのテーマをフェルメールが描いているのは、自身の「選択」の影響ではないととも言われている。

執り持ち女 ヨハネス・フェルメール作 1656年 油彩・カンヴァス ドレスデン国立古典絵画館

フェルメールの作品のうち制作年が記されているのは3点のみである。1656年の年紀のある本作は、他の作品の制作時期を推定する際の基準となっている。描かれているのは売春宿の情景である。黄色い服を着た女性が、赤い服の男性からコインを受け取ろうとしている。女性の左胸に向かって背後から伸びる男性の左手が描かれている。その隣では、男性に娼婦を斡旋した「取り持ち女」が不気味な笑みを浮かべ、左端ではフェルメールの自画像とも言われる男性が、こちらに視線を投げかけている。一方で、この絵の設定は、新約聖書にある「放蕩息子」の一場面を連想させるという意見もある。宗教画や歴史画などを手掛けていた若きフェルメールが、風俗画家への転向を模索していた頃の作品である。

牛乳を注ぐ女 ヨハネス・フェルメール作 1658~60年頃 油彩・カンヴァス アムステルダム国立美術館

フェルメールの代表作の一つである。会場では最後に飾られていたが、一番人気の高い作品で、なかなか一番前に出る事のできない作品であり、人気は一番であった。しかし、台所で牛乳を注ぐことに没頭する女性、というごくありふれた日常の所作を描いた作品である。20代の頃に描いたものだが、フェルメールの特徴的な色使い、青と黄色、赤の三原色対比の鮮やかさに目を奪われた。青は勿論、ラビラスズリのフェルメール・ブルーである。「やわらかな光に照らされ室内に佇む単身の女性」というのもフェルメールが好んで描いた構図である。細かい粒子で構成された光の描写も見られる。透視図法、光の処理、個々の描写、対称の配列、これらはすべて慎重に考え抜かれている。女性像と机と右側の床にある木製足温器は古典的な三角構図を形成している。フェルメールは、透視図法の焼失線を女性の右手の真上にある消失点に向かって集中させることによって、絵を見る人の視線をさりげなく絵の中心要素に導いている。カンヴァスのその箇所にある小さな穴は、フェルメールが17世紀のアトリエでよく行われていた方法を用いたことを物語っている。画家は消失点となる場所にピンを刺し、透視図法の消失線をさだめるためにそこから絵の末端まで糸を張ったのである。

ワイングラス ヨハネス・フェルメール作 1661~62年頃 油彩・カンヴァス ベルリン国立美術館

「ワイングラス」は、フェルメールの制作活動の中期に属する絵画である。この時期、彼は「遠近法によって絵の中につくりだされる」空間を拡張する方向に向かっていた。人物や品々ははっきりと私たち鑑賞者から遠ざけて配置されている。この作品で初めて、フェルメールの対象をクローズアップして描くことを放棄した。人の座っていない椅子をテーブルの手間に置くことで「二人の人物による」出来事から私たち鑑賞者を隔てて、私たちを後ろに下がらせたのである。この革新的な方法は、フェルメールより3歳年長であったデルフトの同僚画家、ピーテル・デ・ホーホの初期の傑作からの影響を示唆している。画面左から、とりわけ2枚ある窓ガラスのうちの手前の1枚から差し込む冷たい光の反射の中で、若い婦人がテーブルの前に座ってワインを飲んでいるのが見える。この女性は、グラスを完全に傾けていて、ワインの最後の一滴を飲もうとしているようだ。落ち着きのある洗練されたしぐさでグラスの脚を手にする女性の動作は礼、この儀作法にかなうもので、また上流階級の人々によりふさわしいものである。この女性の隣には、ワインのポットを手にした優雅な身なりの紳士が立ち、ワインをつぎ足そうと待っているが、自らは飲んでいない。この若い婦人を見るとその自信に満ちた、まさに高慢といってよい表情は、この怪しげな人物の艶っぽい関係がこれから始まろうとしていることを示している。無垢な若い女性への誘惑、すなわち経験豊かな男性に言い寄られるという主題を取り上げた。その際、彼はオランダ風俗画家たちの間で流行していたこの主題に変化をつけている。同僚画家のヘラルド・テル・ボルフがフェルメールに着想を与えたのであろう。彼は、酒を飲む若い女性を紳士が誘惑するという場面をモチーフに何点もの作品を描いている。しかしながら、フェルメールの場合、この出来事に猥雑さも皮相的な官能性も加えない。彼は二人の関係の本当のところをはっきりと伝えるようなものは何も描いていないのだ。画面左側の窓には、片手でねじられた帯状のものを持つ女性像が描かれた色鮮やかな紋章が描かれている。この帯状のもののなかでは手綱が重要である。というのも、手綱は「節制」を意味する小道具だからである。ここに描かれた二人の関係とは、この二人が自制することに失敗するだろうという予測をも示唆していると考えたよいだろう。この絵は、まさに「節度を知る」ことへの警告である。

リュートを調弦する女 ヨハネス・フェルメール作 1662~63年頃 油彩・カンヴァス  メトロポリタン美術館

若い女性が窓辺に座り、リュートを調弦している。リュートの糸巻きに耳を傾け、楽器をかき鳴らしながら、窓越しにじっと外の通りを眺めている。鉛の窓枠のついた窓ガラス越しに差し込む光は、この女性の耳と首元を飾る真珠をきらめかせているだけでなく、彼女の隣にある椅子の磨き上げられた真鍮の飾り鋲をも輝かせている。彼女の前のテーブルには、楽譜が散らばっている。部屋の背後には飾り気のない白い壁で、そこには手彩色されたヨーロッパの地図が掛かっている。この絵は、建築的な空間の確固とした描写を一歩、椅子とテーブルの遠近法に基づく後退が、鑑賞者の眼を、画面を横断する力強い対角線上の動きに導いている。私たちの眼にはこの女性演奏者に向けられるが、彼女は、椅子と地図の間のまばゆいばかりの支点となっているのである。この作品においても図面左の窓からの光が柔らかく中景を満たすという形式になっているが、前景はそれに比べると暗くなっている。17世紀の画家達には自由に使える人工的な照明があまりなかったので、アトリエに差し込む光を調整するには窓を開けるか、雨戸を閉めるかしかなかった。この女性が見に着けた黄色い服は、フェルメール歿後、財産目録に載ったもののようであり、しばしば描かれた女性が着ている。

真珠の首飾り ヨハネス・フェルメール作 1662~65年頃 油彩・カンヴァス  ベルリン国立美術館

6作品に登場する黄色いマントを羽織った女性が、鏡を見ながら今しも真珠の首飾りをかけようとする様子である。黄色いカーテンがかかった右側の窓から、オランダ特有のやわらかい光が射し込んでいる。左側からの光、真珠に反射する光、黄色いマントの単身女性、人物の存在を際立たせる無地の壁。「光の魔術師」と称されたフェルメールならではの特徴が十分に詰まった中期の名作である。フェルメールは「青の画家」と称されるが、「「黄色の画家」であることがよく判る。

手紙を書く女 ヨハネス・フェルメール作 1665年頃 油彩・カンヴァス  ワシントン・ナショナル・ギャラリー

フェルメールは、オランダのどのような画家達にまして、不動の静謐さと一瞬のうつろいとの間で繊細な均衡を保つことができた。彼は、この作品において、手紙を書くのを中断された女性が、穏やかで思慮深い作法で私たち鑑賞者の方に頭を上げているところを描いている。女性の姿と、この作品には永遠性がゆきわたっている。たとえば、フェルメールは青いテーブルクロスに斜めの折り返しをつくっているが、この折り返しは机に置かれた女性の左腕と平行になっている。また、人物像と静物の関係に対する同様の関心からフェルメールはテーブルの上に黄色いリボンを描いたが、このリボンは女性の伸ばした右手の輪郭線と呼応している。この絵の年紀は記されていないが、この様式から、1660年代半ばから後半にかけて制作されたほかのフェルメールの作品と関連づけられている。さらに、頭の後ろの髪を束ねて編み込み、星形に結んだリボンをつけたこの女性の髪形は、1660年代半ばに流行していた。女性の着る優雅な黄色い上着は、おそらくフェルメールの没後に作成された財産目録に記載されたものであろう。この時期のほかの3点の作品にもこの上着が描かれているが、そのうちの2点「リュートを調弦する女」と「真珠の首飾りの女」が本展に出品されている。

赤い帽子の娘 ヨハネス・フェルメール作 1665~66年頃 油彩・板  ワシントンナショナル・ギャラリー

フェルメールは、1660年代半ばないし後半に本作品を制作した。カンヴァスでは無く、板に描かれた、この注目すべき小品からも見て取れるように、フェルメールはm作品の雰囲気を作り出す際の色彩の役割にきわめて鋭敏であった。この作品では、若い女性が炎のように赤い帽子をかぶっているが、この帽子の外側の緑は、光が帽子の羽毛のなかにまで差し込んでいるので、まるで蛍光色であるかのように見える。この女性は溌剌として、生気に満ちている。目に青緑色のハイライトがあり、半分開いた口にピンクのハイライトがあるので、その表情は生き生きとしていて、まさに今、私達鑑賞者のほうに目を向けたのだという印象を強めている。青い上着の上に黄色いアクセントを置くという異色の大胆な組み合わせが、作品に視覚的な力強さを加えている。フェルメールが描いたほかの多くの人物画とは違って、この女性は、思惟的で抽象的な世界にはいない。彼女は、柄物のタペストリーを背景にして、私たちをじっと見つめ、関心を惹きつけ、私たちと直接やりとりしている。23.2×18.1cmと一番小さな絵である。

手紙を書く婦人と召使い ヨハネス・フェルメール作 油彩・カンヴァス 1670~71年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー

フェルメール後期作品の最高傑作として広く評価されている。この絵は、堂々たる品格をそなえた名品である。フェルメールの早すぎる死の数年前に描かれたこの作品には、緑のボデイス(胴着)とパフスリーブの白いブラウスを着た女性が敷物が掛けられた机の上で一心に手紙を書いているところが描かれている。手紙の文面はわからないが、女性の後ろに腕組みをしたメイドが立っている。このメイドは左側を向き、装飾が施されたステンドグラスの窓の外を見やっているが、何をみているのか定かではない。フェルメールはこの二人の女性を意図的に対比している。つまり、俯きながら坐っている婦人は内向的に見えるが、一方のまっすぐ立つメイドは外の世界につながっている。社会的身分や手前に位置していることからすれば、婦人が主役だが、メイドは女主人に従う身であり奥の部分に配置されているにもかかわらず、まさに構図の中心に全身像で描かれている。フェルメールは、既成の社会的ヒエラルキーを軽く扱うことによって、メイドがこの絵の場面の本質的要素であることをみなすように私達に望んだのだろう。本題材は、デルフトの画家が特に好んだもののひとつだった。フェルメールの早い時期の3点の作品には、女性が独りで手紙を読む、あるいは書くところが描かれている。そして残りの3点には、手紙を渡すメイド、今まさに渡そうとするところ、また本作品がそうであるように、女主人から手紙を送るように命じられるのを待つメイドが描かれている。フェルメールが手紙という題材を好んだのは決して例外的なことではなかった。彼が生きた時代のオランダ風俗画では男女の手紙のやり取りは最も頻繁に見られる画題の一つだった。

 

フェルメール展と名乗った展覧会は、日本では6回目であるが、その前後にオランダ絵画展とか、「レンプラントとオランダ絵画巨匠展」など19回、日本で開催されている。その中で、今回は10点が日本で見られる。(内1点は大阪会場のみ)従って、東京展では9点が見られる。これは過去最高の点数であり、初来日は3点もある。今回の「フェルメール展」では、日時指定制という初めての方法で入場切符を発売した。それは、絵画展を視るために、数時間も待つケースが多く、たとえば昨年の若冲展では、数時間並んだ人もいた筈である。今回は、入場予定日を前もって決め、かつ時間帯も決めて、指定された電話番号に電話すると、ナンバーを教えられ、セブンーイレブンの店舗を指定すると、その番号を指定した店で伝えれば、入場券が買えるという仕組みである。多分、日本では初めての採用では無いだろうか?入場料は2500円と非常に高い。いまだかって経験したことの無い高い値段であった。実際、私は初日の時間帯、10月5日の午前9時半~10時半を指定し、10時頃に行ったが、すでにかなり人は入っていた。しかし、当日券も販売しており、必ずしも事前購入が絶対条件では無いようであったが、万一満員になれば、当日券は販売しないだろうから、やはり事前予約しておくべくだろう。17世紀はオランダ全盛期であり、フランスより、イギリスより豊かな国であった。このキラキラした国では1637年にチューリップ・バブルがはじけ、ロンドンの「南海泡沫事件」より80年余り古い話である。こんp展覧会の入場券はかって経験したことの無い高いものであったが、結論として十分満足出来る内容であった。今後、少なくとも10年間は、これほどのフェルメール絵画が日本に来る機会は無いだろうから、是非拝観をお勧めする。十分満足出来る筈である。

 

(本稿は、図録「フェルメール展  2018年」、図録「フェルメール展 公式ガイドブック 2018年」、クロワッサン 2018年10月25日号、日経大人のOFF「2018年1月号」を参照した)