ボストン美術館の至宝展  東洋編

1870年に設立されたボストン美術館は、アメリカ合衆国において最も古く、また最も良く知られた美術館の一つである。ボストン美術館の大きな特徴は、公的財源から作品収集のための資金援助を受けていないことである。この美術館の卓越したコレクションを構築できたのは、何世代にもわたる寄贈者とコレクターたち個々人による、類い稀な慈善活動によるものであった。特に、東洋・日本の美術蒐集に当たった著名人には、次の人たちを上げることができる。エドワードシルベスター・モース、アーネスト・フランシスコ・フェノロサ、チャールズ・ゴダート・ウエルド、ウイリアム・スタージュ・ピゲロー等々である。日本史、もしくは国語で習った名前である筈だ。現在22,000点以上の作品を擁するボストン美術館から、今回は80点に厳選した美術品が来日した。その美術品を大区分すれば、古代エジプト美術、中国美術、日本美術、フランス絵画、アメリカ絵画、現代美術の6区分になるだろう。今回、取り上げたのは、第1回は中国美術・日本美術、第2回はフランス絵画の2区分にした。毎年のようにボストン美術館展は開催され、ある時は日本美術のみ、ある時は中国美術のみ、ある時はミレーのみ、ある時は北斎の浮世絵のみと実に多彩である。今回のように各国の多彩な美術品を展示するのは、むしろ珍しい程である。

五色鸚鵡図巻 徽宗作 絹本着色  北宋時代 1110年頃

徽宗(在位1101~1125)は北宋第8代の皇帝である。徽宗(きそう)は、美術品を蒐集した皇帝として著名であるが、自分自身でも花鳥画等の名画を残している。徽宗の現存する伝統的作品のうち、花鳥画については歴史、文学において徽宗が花鳥画を得意とすることが知られており、山水画、人物画に比較して、より広く承認されている。この「五色鸚鵡図」は、徽宗の伝承作品の中でも最も信頼しうる作品の一つである。この画巻の徽宗自身の題詩によれば、本図は嶺表(五例の南の地)より宮廷に貢物として珍奇な鸚鵡が献上されたのを記念して制作されたという。徽宗は春に宮廷内の庭園で満開の杏木の真ん中に飛んでいくこの鸚鵡を見て、この出来事を記録するために自ら描いたものである。満開の白花や蕾など様々に花開いた杏木に満足げに止まっているように見える鳥は、横向きの姿で写実的に描かれている。この画は自然をあるがままに写生したような印象を視る者に強く与え、その表現を誇張しようという意向は見られない。徽宗は、女真族の国・金の侵攻によって、捕虜となり連行された先で没したという不幸な皇帝でもある。

九龍図巻(部分) 陳容作  紙本墨画淡彩  南宋時代 淳裕4(1244)年

中国の諸芸術家が表現した多くの道教的主題の中で、龍は中国において諸神の中でも最も宗教的精神と哲学を象徴する存在であった。龍は神秘的な生物であり西洋においてはドラゴンの名で一般的に知られている。前漢の開祖である劉邦(在位、前206~前195)が、自らを神である龍の子として宣言して以来、龍は中国の皇帝の象徴としての役割を果たしてきたのである。本図は、今日、現存する中国の龍の絵画作品の中でも最も古く最も優れた作品である。画巻の終わりに書かれた画家の詩と跋文によると、この「九龍図」は8世紀の画家槽覇の「九馬図」と北宋末の恵崇(956頃~1017)の伝承を持つ「九鹿図」に画因を得たものという。陳容は、これらの名画に匹敵するような優れた質の絵画のみならず、その自らの制作の過程についても跋文にも書き記したのであった。彼の詩は、いかに陳容が精神の高揚した状態で絵を描くことができたかが詳しく述べている。その作画の過程は跋文と作品そのものの双方に示されているが、それは道教の超自然的な実践と深く結びついた一種の精神の変容の体験と事物に対する洞察力を反映したものと言える。自ら描いた九龍図の高い芸術性に満足した陳容は、詩の最後の部分で次のように述べている。「私は九龍図を描いた。筆端から発した微妙な芸術は世界中の他のどこにもないものである。この絵を離れて見れば、浪と雲が飛動するようにみえるであろうし、また近づいて見れば、神人のみがこのような龍の絵を描くことができると思うであろう」と。

涅槃図  英一蝶作  紙本墨色 一幅 江戸時代・正徳3(1713)年

英一蝶は、反骨心のある文化人の象徴だった。絵師でありながら、俳諧を嗜んでいた。そして遊興に通じた粋人、幇間(ほうかん)でもあったが、その経歴の頂点にあったときに、江戸から10年以上にわたり三宅島に島流しにされている。何の罪を犯したかは知られていないが、噂話や憶測は数多くあった。赦免されて江戸に戻ったのちは、正徳3年(1713)に一蝶は自身にとって象徴的な「涅槃図」を描いた。この感覚的で、なおかつ宗教的な傑作は、蝙蝠から菩薩まで、感情をもつ生きとし生けるものが釈迦の横たわる宝台のまわりで嘆き悲しむ様子をとても緻密に、また色彩豊かに描くのを特色とする。彼の「涅槃図」は、極めて独創的な情景の表現ゆえに、注目に値するものとなっている。日本の寺院では、釈迦の命日(旧暦2月15日)に執り行う涅槃会で、このような涅槃図を1年に1回開帳することが多い。芝愛宕町の青松寺塔頭吟窓院に寄進された。(この作品は、ボストン美術館で、最近修復された)

風仙図屏風 曽我蕭白作 六曲一双 江戸時代宝暦14~明和元年(1764)頃

曽我蕭白はいわゆる「奇想の画家」として、辻惟雄氏によって最近発掘された奇人と思っていたが、明治10年代に、日本で発掘し、アメリカに持ち帰っていた大作である。ボストン美術館展というと必ず出品されると言っても良いほど、良く見るようになった屏風である。曽我蕭白(1730~1781)は、文政7年編の「近世奇人画師」の記事以来、伊勢の生まれと信じられてきたが、辻氏は、京都興聖寺の墓地に墓石を発見したとされている。辻氏によれば、蕭白は、丹波屋、あるいは丹後屋を屋号とする京都の商家の出身と思われると推定している。興聖寺に異様な大作「寒山拾得図」双幅(重文指定)ほか数点の蕭白画を有している。また最近、ボストン美術館で異様な「雲龍図」が発見されて話題になっている。この「風仙図屏風」は、中国の伝説上の仙人である呂洞賓(ろどうひん)を描いたものと言われてきた。この屏風では、霊力を持つ男が剣を振るって、渦巻く旋風で表された龍と戦っている。この人物を南宋の伝説的な道士で、龍を退治した嵐とともに恵みの雨をもたらした陳南(ちんなん)であると考える説もある。この屏風は、フェノロサが日本に滞在していた1878年から86年の間に入手したものであろう。

絵看板  鳥居派 一面 紙本着色 江戸時代 宝暦8年(1758)

絵看板は町行く人々を歌舞伎の芝居へと引き込む役割を果たしていた。こうした額装の絵看板は、芝居小屋の軒下に斜め下向きに飾られ、下の狭い通りからも見えるようになっていた。絵看板は、主役の役者たちが演じる、選り抜きの劇的場面を描いたもので、その衣装には役者が誰であるかがわかる定紋が目立つかたちで入れられている。美術品よいうよりはむしろ、その時だけの短命な宣伝物だったと考えられるこうした絵のほとんどは破棄されてしまった。本作品は知られる中では最も古い現存例で、宝暦8年(1758)8月に江戸の中村座で上演された芝居のものである。

花魁図 酒井抱一作 一幅 絹本着色  江戸時代(18世紀)

大名家の次男であった酒井抱一は、江戸時代の主要な芸術家たちの誰よりもきわめて高い社会的地位を享受していた。裕福な家系に生まれたいかげで余暇と資力があった抱一は、自身の絵画に対する興味を追求することが出来た。とりわけ出家を果たした寛政9年(1735~1814)以後はその傾向が高まった。まず狩野派に学ぶことから始め、20代の間は歌川豊春(1735~1814)のもとで浮世絵を学び、次に琳派の様式によって江戸琳派の開祖として知られる。この掛軸は、浮世絵の肉筆画や版画に良く見られる典型的な主題を扱ったもので、新年の正装で吉原を練り歩く花魁の姿を描いている。豪華な衣装が素晴らしい。明治時代に活躍した絵師・河鍋暁斎(1831~89)が所蔵していたが、誤って抱一の師・豊春の作とする極めを画中に描きいれている。この絵の素晴らしい出来映えからすれば、無理もない間違いである。

三味線を弾く美人図 喜多川歌麿作 一幅 絹本着色 文化元年~3年(1804~06)頃

三味線の音締(ねじめ)をする若い女性。右手の撥(ばち)で三味線をかきならし、左手で糸巻きを調節している。手の込んだ髪飾りは、彼女が芸者か、あるいは娘浄瑠璃師であることを示唆している。娘浄瑠璃は、あまりにも人気が高くなりすぎ、文化2年(1805)には禁止されてしまった芸能様式だった。高く結い上げた髪型、深みのある色彩、そしてトリミングされた構図は、歌麿の画業のなかでも後期の制作であることを示しており、娘浄瑠璃の良く似た絵柄は彼の後年の版画のいくつかにも描かれている。

 

 

ボストン美術館は、今まで「日本絵画名品展」、「「中国宋・元名品展」、「ミレー展」等的を絞った展覧会が多かったが、今回は「オールスター展」とも呼ぶべき、各国の絵画、彫刻類が展示された。総数も80点と、拝観するには誠に都合の良い点数であった。反面、これが特徴だと言える名品・珍品もなかった。中国、日本、フランスの有名な名画を見たという印象は残るが、「この1点」と言うべきものは無かった。最近、東京では世界中の名品が見られ、何時でも、何処の美術館でも、満足できる展覧会を楽しむことが出来る。極めて恵まれた環境にある。これが名古屋、仙台になると途端に不便になる。文化の一極集中は如何なものかと思う。わざわざ、千葉へ行ったり、仙台へ行ったりする機会があってもいいような気がする。あまりにも恵まれた環境の下にいるせいだろう。

 

(本稿は、図録「ボストン美術館の至宝展   2017年」、図録「ボストン美術館・日本美術の至宝  2012年」、図録「ボストン美術館  ミレー展 2014年」、図録「ボストン美術館の至宝 中国宋元名品展  1996年」、図録「ボストン美術館所蔵 日本絵画名品展 1983年」を参照した)