ボッティチェリ展

サンドロ・ボッティチェリがフィレンツェに誕生したのは、1445年であった。イタリアで1400年代の都市国家フィレンツェの経済的興隆と、それとともに展開していった文化、なんずく美術、工芸作品、絵画が、最も美しく開花した時代であった。産業活動の面で、1400年代に典型的な成功例がメディチ家であった。「祖国の父」と称されたコジモ・メジチ(1389~1464)の時代には、「大アルテ」と呼ばれていた同業組合の力が、土地貴族階級の力を凌駕するに至った。つまり農村に対し都市が優位を誇り、商工業を経営する都市のブルジョアが政治を動かす力を担うかたちになってきた。その中心人物がコジモ・メディチであった。フィレンツエは共和国であったが、彼は政治の中心的地位に立とうとはしなかった。政治を動かす組織はメデェチ家一統に占められていた。ボッティチェリが誕生した頃、コジモ・メディチは55歳となっており、彼の権勢がまさに安定期にあたっていた。ボッティチェリの父は皮なめしの職人であり、15歳になった息子のサンドロが当時活躍の最盛期を迎えていたメディチ家の信頼も篤いフラ・フィリップ・リッピ(1406~1469)に弟子入りしたのは、当然のなりゆきであった。師の寵愛を受け,師の没後には、その息子フィリッピーノ・リッピ(1457~1504)を弟子として一流の画家に育て上げた。フィレンツェを中心とするトスカーナ地方は、新たな遠近法の発明とヴェネチェアにおける複式簿記の発明(ルカ・パツィオロ)との関係は強調されるべきであろう。ボッティチェリと言えば、私は中学時代に親しんだ世界美術全集の彼の「ヴィーナスの誕生」や「春」を思い浮かべる。(今回は2作品とも出展されていない)ヴィーナスは、海の底から生まれ、貝に乗り、春風の息吹に送られて、いまにも岸辺に着こうととしている。さざ波の模様化された美しさ、いまにも消えそうなヴィーナスの身体と風に吹き流される金髪。長い中世の暗い絵画に比較して、何と明るい絵画だろうと思い、これこそルネサンスの象徴だろうと思ったものである。この展覧会は、東京都美術館で16年4月3日まで開催されている。

ラーマ家の東方三博士の礼拝 サンドロ・ボッティチェリ作 1475~76年頃

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この作品はボッティチェリの手になる「東方三博士の礼拝」図としては、最も名高い作品である。この作品では、地面が奥に向かって傾斜することにより、図面上半分に厩(うまや)が設定されている。この結果聖母子が一段高いところに描かれることになり、ピラミッド型構図になっている。小振りな板絵ながら、堂々たるモニュメンタリティを獲得している。ここに登場する人物は、メディチ家の人々であり、画面左端の黄色いガウンをまとった男はボッティチェリの自画像である。

聖母子(書物の聖母) サンドロ・ボッティチェリ作 1482~83年頃

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聖母が幼児イエスを膝に抱いている。聖母の伏し目がちな顔は思いにふける表情を湛えており人類救済のためにわが子に運命づけられた来たるべき受難を予知しているようだ。幼児の右手は、書物の上に置かれた聖母の右手に重ねられ、母子の親密さをうかがわせる。この書物は祈祷書とみられるが、完全には判読できない。キリストは左手に金鍍金された3本の釘を持ち,茨の冠を腕に通し、将来の受難を予知している。本作は極度に緻密に仕上げ、金箔やラビスラズリなど高価な材質の多用から、当時人気の量産された個人の礼拝用絵画に属するが、極めて重要な注文による制作だったことが推測される。

聖母と4人の天使(バラの聖母) サンドロ・ボッチィチェリ作 1490年代

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本作品はトレンドと飛ばれる円形のフォーマットに聖母とキリストや天使たちを描いたもので、周りに極めて豪華な額縁が用いられている。本作の画面には、いくつかの花が咲き、まだ蕾のままのバラの高い茂みの前に設定されている。通称「バラの聖母」は、これらのバラに由来する。画面の中央には跪く聖母マリアが位置し、彼女は手を合わせて小さなイエスの方を向く。イエスは母の方に手を伸ばす様子で、二人の天使広げる布で支えられている。マリアの後ろにも二人の天使がいる。個人的な礼拝に用いられていたものであるが、1631年にトスカーナ大公フェルデイナンド2世の時に、古物商から購入されたものである。

美しきシモネッタの肖像 サンドロ・ボッティチェリ作 1480~85年

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シモネッタ・ウエスブッチは、結婚前の名前をシモネッタ・カッターネオといい、1454年にジェノヴァ近郊の港町ポルト・ヴェーネレの富商の娘として生まれた。1468年頃にレンツェのマルコ・ヴェスプッチと結婚したが、1476年に若くして世を去った。本作品は、フィレンツェ一番の美人とされたシモネッタを理想化し、美しい女性の常套表現として描いたものである。このシモネッタの肖像は、彼の描く女性像に、共通する特徴がある。それは面長で目鼻立ちが似ている。もし、彼の近辺にいた特定の女性がモデルならば、正にこの「美しきシモネッタの肖像」の本人ではないだろうか?日本に渡った、唯一のボッティチェリの作品である。(丸紅の保有である)

書斎の聖アウグスティヌス サンドロ・ボッティチェリ作 1490~94年頃

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本作品では丹念で精緻な描写がおこなわれている。聖人は、向って左に書棚がカーテン超しに見える、ヴォールト天上の狭い僧坊に正面向きに座り、鵞鳥ペンを手に本に書き付けている。机の下には書き損じの紙屑と鵞鳥の羽が散らばっている。この場面設定の異例の遠近法的な効果や労を惜しまぬ精緻な細部描写は、ボッティチェリの光学的な妙技と教養ある知性に帰されるという。

磔刑のキリスト サンドロ・ボッティチェリ作  1496~98年頃

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本作品は、十字架上で処刑されるキリストの姿を表したもので、十字架とキリストの体に沿って切り取られた板の側面に描かれている。本作品の描かれた時代のプラートでは、1496年にサン・ドメニコ聖堂でジローラモ・サボナローラが説教を行ったことが知られている。サボナローラはドメニコ会修道士であり、15世紀末のフィレンツェを中心として活躍した。メディチ家時代のフィレンツェの華美な文化を批判し、1949年のメディチ家のフィレンツェ追放以後は政治的にも大きな影響力を持った。この時代のボッチィチェリの作品には、サボナローラの支持者たちのために制作されたと考えられる作品も多い。

オリーブ園の祈り サンドロ・ボッティチェリ作  1495~1500年頃

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この作品は、オリーブ園で祈るキリストを描いている。岩の多い断崖として表されたオリーヴ山の上で、キリストは跪き、ルカ福音書の語る通り、天使から犠牲の聖杯を受け取る。岩の下部には洞窟があり、キリストの死後の復活を暗示する石棺が見える。画家のサボナローラ帰依に結びついた特徴がある。遠近法がまるで使われていない。

 

ルネサンスと言う言葉は、もともとフランス語の「再生」という意味である。この言葉が歴史上の概念として使われ始めたのは、19世紀のことである。つまり中世の「暗黒時代」が去って、人々が人間性を尊重し、現実主義、合理主義にのっとって生きようとし出した時、かってそういう立場で輝かしい文化と社会を築いてきたギリシャ、ローマ時代を再現しようとした運動のことである。14世紀のイタリアに始まって、全ヨーロッパに広がったこの古典復興という運動を「ルネサンス」と名付け、その盛んな時代をルネサンス時代と呼んだのである。単に精神運動だけではなく、ひろくそういう精神を生んだ社会を考察すると、次ように言えるあろう。領主対農民という社会関係が中心で、キリスト教思想がその精神内容である。その中世社会が、農民上層部の上昇と、都市の発展つまり市民階級の興隆という新事態に対応できなくなったとき、ルネサンスという文化運動が起こったことがはっきりしたのである。フィレンツェで花開いたルネサンスは、メディチ家の没落と同時に、中心地はローマに移動し、更にヴェネチャに移動し、約200年間続いて、フランス、ドイツへ移動した。日本にも、非常によく似た時代があったと私は思う。日本の室町時代末期から桃山時代のころと、ヨーロッパのルネサンス時代とである。ここまでとく似た道を歩んできたヨーロッパと日本が、全く運命を分かったのである。ヨーロッパはその後、近代的な社会を急速に発展させていったのに対し、日本が再び封建社会が作られて、世界の発展から大きく取り残されてしまったのである。ルネサンスと言う言葉を聞くと、日本の遅れたことがある意味で意義のあることだったと思う。

 

(本稿は図録「ボッティチェリ展 2016年」、図録「ボッティチェリとルネサンス 2015年」、塩野七生「ルナサンスとは何であったのか」、松田智雄編「世界の歴史第7巻」、「日経大人のOFF2016年1月号」、2016年1月3日日経「美の美」を参照した)