ムンク展ー共鳴する魂の叫び(1)

待望のムンク展が東京都美術館で開催された。私に取っては、待ちに待ったムンク展であった。1997年(平成9年)に世田谷美術館でムンク展を観て以来であり、大変懐かしく、待望の「ムンク展」であった。ムンクを招介する前に、「ムンク」について、どれほど日本の美術界で知られているかを調べてみたら、驚くほどムンクは招介されていない。例えば、高橋秀爾監修「西洋美術史」(美術出版社)には、後期印象主義としてゴッホの次に「ノルウェーのエドヴァルド・ムンク」として「叫び」の写真が載っているのみである。次に、福島繁太郎「近代絵画」(岩波新書)では、やはりゴッホの付けたしのように「主観主義的傾向」の中の「エクスプレショニズム」の項で、「この流れはフォーヴに伝わり、更にノルウエーのムンクに至った」と記しているのみである。ムンクはこんなに日本では知られて居なかったのかと不審に思い、やや丁寧に調べてみたら、驚くべき事に、日本で一番最初にムンクを招介したのは、白樺派であった。「白樺派と近代美術」という本の中で、「文芸雑誌というよりも、むしろ美術雑誌と言ったほうがよいほど徹底して」西洋美術を招介した「白樺」が最初にムンクを取り上げたのは、早くも創刊後2年の6月号(1911/明治44)である。そこでは「近代のえらい画家」として「シャバンヌ、ゴッホ、ホフマン、エリック、ムンク」と並んで招介されていた。武者小路がすでにムンクにお作品には「彼の心の底にうつるものが描かれ」、「彼の自然は幽霊のように生きている。そうして人間の心をおびやかす、彼の描く人間は、孤独と、恐怖と、不安におののいている」とムンクの本質をぴったりと捉えているには注目に値しよう。                         主催者の「ごあいさつ」の言葉を借りた方が早い。「ノルウエーの由緒ある家系に生まれたムンク(1863~1944)は、病弱だった幼少期に家族の死を体験し、やがて画家になることを目指します。ヨーロッパ各地で活動しながら世紀末の思想や文学、芸術で出合う中で、人間の内面に迫る象徴主義の影響を強く受けながら、個人的な体験に根差した独自の画風を確立し、ノルウエーの国民的画家としての地位を築きました。愛、絶望、嫉妬、孤独など人間の感情を強烈なまでに描き出した絵画は、国際的にも広く影響を及ぼし、20世紀における表現主義の潮流の先駆けにもなりました。」

自画像 油彩・紙(厚紙に張付)             1882年

ノルウエーの画家・ムンク(1863~1944)は、今や世界中に知られた画家である。家族の死を体験した病弱な幼少期を経て、ノルウエーの都市クリスチャニア(現オスロ)で画家として歩み始めた1880年代。そして第二次世界大戦の前年に孤独な死を遂げるまで、その画業は60年の長きに及んだ。画家になる以前、ムンクはクリスチャニアの工業専門学校でエンジニアになるため勉強していたが、1年で考えを変えた。芸術への情熱に捧げる決心をしたのである。1880年、彼はクリスチャニアの画学校(後の王立美術工芸学校)に入学した。父のクリスチャニアは必ずしも賛成ではなかったようである。ムンクは多くの自画像を描いているが、これが一番最初の自画像であり、端正な顔立ちと魅力をそなえた人物として知られていた。

臨終の床  リトグラフ                 1896年

ムンクは早い時期に母と姉を失い、「死せる母とその子」というリトグラフを残している。本作もリトグラフであるが、母か姉かの臨終の床を表したリトグラフである。一見、木版画のようであるが、リトグラフである。この作品において、棺を取り囲む幾筋もの木目調の水平線は、死と悲しみの雰囲気を強調している。さらに、線の間に現れるいくつもの顔は、魂の存在をほのめかしているのかも知れない。

病める子   エッチング・ドライポイント        1894年

「病める子」は、ムンクにとってはさまざまな意味で突破口を意味していた。死にゆく少女の顔に焦点を当てられている。ムンクは生涯を通じて、さまざまな技法を用いて、これと同じテーマの作品を生み出した。ムンクの姉のソフィェは15歳の時に結核で亡くなった。この作品はその姉を失った経験と結びついている。「病める子」の最初の版画が1886年にクリスチャニアに展示されたとき、作品は厳しい拒絶反応と熱狂的な称賛の声の両方を引き起こした。

メランコリー  油彩・カンヴァス       1894~96年

ムンクによる「メランコリー」のイメージは、孤独や悲しみに陥り、意気消沈する人間を表現する古き伝統の系譜にある、ムンクである美術評論家ヤッペ・ニルセン(1870~1931)の恋わずらいに着想を得て、昔からあるこのモチーフに新しい生命を与えた。ニルセンが情事をもったオーダー・クローグ(1860~1935)は、彼より10歳年長で、ノルウエーの画家クリスチャン・クローグとすでに結婚していた。クローグはムンクの初期の師の一人である。ここでの風景は、互いに溶け合うフォルムと色彩によって構成されている。本作品は、男の憂鬱な内面を表す精神的なイメージと捉えることができるだろう。

渚の青年たち(リンデ・フリーズ) 油彩・カンヴァス  1899~1900年

ある時、リンデ・フリーズの制作依頼を受けたムンクは、「メランコリー」のモチーフを本作品に再利用しつつ、それに変更を加えた。窓辺の風景と、孤立し、物憂げな人物からなるこの作品は、「リンデ・フリーズ」と呼ばれるシリーズの1点である。注文主であるドイツの眼科医マックス・リンデンの名にちなむこの連作は、8点の絵画からなるもので、ドイツの町リューベックにあるリンデ家の邸宅の子供部屋のために制作された。しかし、この絵の出来栄えに満足しなかった。このシリーズには愛し合い接吻を交わす恋人たちが描かれていて、リンデ夫妻はこうしたイメージが子供たちにふさわしくないと考えた。この「りんで・フリーズ」に関しては意見が合わなかったムンクとリンデだが、二人の友情はその後も永年にわたって続いた。

赤と白  油彩・カンヴァス          1899~1900年

前景に描かれた二人の女性が画面を支配している。白い服を着た金髪の女性は海の方を向いており、身体を柱のように直立させている。赤い服を着た濃い髪色の女性は、身体の曲線がかなり強調されている。木々の幹の間に暗い色のドレスをまとった女性の痕跡が見える。この女性は、本作品と同じモチーフを表す初期の油彩のスケッチに描かれていたが、ここではムンクの手によって塗りつぶされている。二人の姿は、女性の生涯の異なる段階、あるいは性格の異なる側面を象徴しているのかも知れない。白い服を着た女性の無垢と純真さは、赤い服の女性の成熟と情熱的なエロチシズムと対照的である。こうした象徴的な対比はありふれているが、この絵画の魅力はむしろ、象徴の「解釈」を超えて、赤、白、青、黒といった色彩が生み出す、緊張感に満ちた相互作用にある。

星空の下で  油彩・カンヴァス          1900~05年

二人の人物が抱き合っている。場面は星明りに照らされている。この星空は、私にはゴッホを思い出させる。家が象徴する社会の存在は、絵画の背景に押しやられている。女性の顔はぼんやりとして、ううつろに描かれている。赤い唇がなければ、頭蓋骨のように見えるだろう。ムンクはここで、二者の間の愛と欲望という不変の現象を表した。それは本質的に隔絶され、非社交的な世界であり、都市生活の喧騒とは無縁の世界である。青と緑は、この情景に神秘的で厳かな雰囲気をもたらしている。

叫び  テンペラ・油彩・厚紙             1910年?

この作品のもととなった体験は、「1892年1月22日、ニース」という年紀のついた日記に記されている。「友達二人と道を歩いていてー太陽が沈もうとしていたー物憂い気分のようなものに襲われた。突然、空が血のように赤くなってー僕は立ち止まり、フェンスにもたれた。ひどく疲れていたー血のように、剣のように、燃えさかる雲ー青く沈んだ港湾と街を見たー友達は歩き続けたー僕はそこの立ったまま、不安で身をすくませていたーぞっとするような、果てしない叫びが自然を貫くのを感じていた」(手稿T2760「紫の日記」)この記述によれば、橋の上に立って正面を向いている人物はムンク自身ということになる。彼は自然を貫く叫び声のあまりの大きさに堪えられず、耳をふさいでしまっいている。彼の体は、強い圧力を受けているかのようにお引き伸ばされて変型しており、頭蓋骨の形が現れているのは、彼が死の強大な力にさらされていることを示している。内心の恐怖に耐えられずに、彼自身も口を大きく開けて叫んでいるようだが、その叫びは前を歩く二人の男には聞こえていないようである。画面左端へと鋭い角度で後退してゆく遠近法は、見る者の視線を有無を言わさず引きずり込むかのようである。ムンクがニースでの体験をクリスチャニアの風景の中に置き換えて描いたのは、子供の頃の母と姉の死や、彼自身がさらされてきた死への不安によって増大した恐怖と不安の感情が、この町と分かちがたく結びついていたからであろう。「叫び」は不朽の名画として讃えられたいる。この作品は複数枚ある。世田谷美術館で見た「叫び」は、1893年制作で、年代も大きく異なっている。今回の「叫び」は別作品である。また、リトグラフも複数枚ある。夫々違った表情をしている。

絶望  油彩・カンヴァス                1894年

ムンクは本作品に「叫び」と同じ構図を採用した。「叫び」に描かれた人物を物憂げな男に置き換えた。本作品は、わずかな変更によってまったく異なる視覚的効果を生み出すことができるムンクの才能を証明している。この人物は、ムンクが「メランコリー」のイメージにしばしば用いるのと同じ人物像である。絶望や悲しみ、そして憂鬱といった感情は、ヨーロッパの芸術や文化において長い伝統がある。

不安  木版画・手彩色                   1896年

「叫び」と同じオスロとその周辺の景色を背景にムンクは町の人の群れを描いた。並んで待つ人々は、お互いに無関心で、ただ私達のほうをじっと見つめている。彼らの顔は、黒と白の大まかなシルエットに簡略化されている。彼らに個性を示す特徴は皆無である。この手彩色の木版画は、不安というテーマを特定の人物に対する恐怖としてではなく、近代生活における実在主義的な状態あるいは条件として提示している。不安とは、都市に生きる人々の生活を駆り立てるものであり、彼らをお互いに孤立させるものなのだ。同時に、人物たちの背後に見える夕暮れの燃えるような色彩は、彼らの不安な状態をきわめて劇的に演出している。

 

ムンクの代表作である「叫び」を中心に、比較的初期の作品を(1)としてまとめてみた。ムンクの描くものは、叫び、絶望、不安に代表されるとうに「不安」・「孤独」・「絶望」・「憂鬱」という近代社会の人間が持つ感情を絵にして描いたものが多く、特に「叫び」はムンクの代表作であり、近代市民の持つ負の要素を総合的に、見事に表現したものである。ムンクは80歳以上と長生きした画家であり、長い画家生活を通して多彩な面を見せるので、次回(2)で、この後のムンクの実績を招介したい。尚、ムンクの作品は、印象派のように大量にアメリカへ流れたわけではなく、大半がノルウエーの美術館に保存されている。従って、ムンク作品は10年以上のスパンを採って来日する傾向があるので、是非、今回の「ムンク展」を見学されることをお勧めする。なお、最近、どこの美術館でも図録が大幅に上昇し、博物館関係者の間では、「図録が売れない」という愚痴がおおいそうである。(永青文庫104号「館長のひとりごと」より)しかし、このムンク美術展の図録は、230ページに及ぶ大きさながら、2400円と大変手頃な価格である。是非、拝観された方は、この図録を求められることをお勧めする。

 

(本稿は、図録「ムンク展ー共鳴する叫び  2018年」、図録「ムンク展 1997年」、高橋秀而監修「西洋美術史」、福島繁太郎「近代絵画」、高橋秀爾「近代絵画(下)」を参照した)