中国王朝の至宝(3)特別展 日中國交正常化40周年記念 

殷の次に中原を支配した周の威光が薄れると、各地に諸侯が並び立つ春秋戦国の時代になった。黄河の下流域では、周の流れをくむ斉や魯が栄え、なお周の伝統を維持しつつ、諸氏百家といわれるような様々な思想・文化が花開いた。斉は、周建国の功臣であった太公望(呂尚)の封地として始り、臨淄(りんし)を拠点として発展し、第15代の桓公(かんこう)が覇者になるなど、春秋戦国時代を通じて大きな勢力を維持し続けた。魯(ろ)は、周王朝の隆盛に貢献した周公旦の長男・伯禽(はくきん)を祖とし、曲阜を都としながら、孔子などの名士を輩出し、文化的に大きな影響力を保った。ちなみに春秋という時代名は、孔子が著した魯の年代記と伝える「春秋」に由来する。長江の中流域では、黄河流域の諸国とは風俗習慣を異にした勢力、すなわち楚が隆盛を誇った。楚は強大な国を築いた。荘王の時に一時覇者となり、また戦国七雄の一つに数えられるほどである。中原諸国からは蛮族とみなされたが、土着的な信仰を色濃く残し、神秘的な姿をした神や獣を崇め、古来の神話体系を維持するなど、独自の高度な文化を展開したことが明らかとなってきた。いまに残る青銅器など、この時代の代表的な文物を選りすぐり、南方の雄であった楚と、中源の伝統に連なる斉・魯の文化を比較しながら、豊穣な古代中国文化の諸相を浮き彫りにする。

甲冑  1具 革・漆・絹 戦国 前4-前3世紀

漆塗の革を綴って作ったかち甲冑である。生の革を型で圧して定型化し、褐色の漆を塗るなどの工程を経て、絹の紐で綴って仕立てる。鎧は、上半身、裾、袖の紐の3つの部分から成る。袖の鎧は馬蹄形の革を綴ったもので、肩から肘までの外側の鎧は馬蹄形の革で綴ったもので、肩から肘までの外側を護る。発見された時、革はほとんど腐っており、漆の皮膜だけが残っていた。湖北省隋州市の曽侯乙墓でも、これとほぼ同じ形状の革製漆塗りの甲冑が出土している。曽侯乙墓の年代は前433年頃であり、これより100年以上古い。戦国時代の弧北省一帯では、こうした革製漆塗りの甲冑が長く飾られたことがわかる。

鎮墓獣  1基 木・漆・鹿角  戦国 前4世紀

戦国時代の楚の地域の墓からは、方形の台座の上に立つ怪獣の木彫像がしばしば発見される。その多くは頭に鹿角を挿し、舌を長く伸ばすという不思議な姿を見せる。これらは悪霊を退け、墓を守る目的で作られたと考えられ、鎮墓獣と呼ばれている。戦国時代の楚の領域以外では類例は見られないもので、楚の文化を代表する遺物と言っても過言ではない。

羽人(うじん) 1具 木・革・漆 戦国  前4世紀

獣形の台座と、鳥の頭に立つ羽人を一体で作った物からなる。両者の形状から見て、本来は、台座の上に何かが差し込まれ、その上に鳥と羽人が差し込まれたと想像されるが、中間に何があったのかわからない。現在、台座とその上部をつなぐ木製の柱は、修復の際に補われたものである。羽人とは、中国で古くからその存在が信じられた仙人である。その像はまだわからないことが多い。楚の独自の文化は国の滅亡と共に失われてしまった。この像は、失われた楚の文化を研究する上で貴重な資料となる。

虎座鳳凰架鼓(とらざほうおうかこ) 1具 木・漆・ 戦国 前4世紀

背を向け合った2頭の獣の上に、やはり背を向け合った首の長い鳥が立ち、2羽の鳥の間に太鼓を吊り下げる。台座は木の板で黒漆を塗る。四隅に、移動したり固定したりする時に用いる青銅製の把手を備えている。台座の上には、背を合った虎が一対配される。虎は黒漆を塗り、身には赤色で斑点を表す。虎は黒漆を塗り、身には赤色で斑点を表す。虎の背の上に鳥が立つ。2羽の鳥の胴は一本で連続して作られており、これに足と首を差し込むように作られている。鳥は首が長く、上を向く。とさかの後ろに太鼓を下げるための銅製の鉤(かぎ)がある。黒漆を塗って地とし、その上に赤黄・灰色の文様を描く。翼の部分には、細長いとさかを付け、足が細長く、尾が上を向いて翼を広げているさまを描く。虎の上に立つた鳥に太鼓を掛ける同様の楽器は、戦国時代の楚の墓から多数発見されているが、保存状態が良くないものが多い。本品も復元による部分が少なくないが、保存状態の良さは他を圧している。作りが複雑で豪奢であることから、実用の楽器というよりは宗教的儀式に用いた祭器と考えられる。楚の文化を考える上で貴重な資料である。

人物俑(じんぶつよう) 3躯 木・彩色 前漢・前2世紀

一木造りの人物像に白で下地を施し、黒と赤で着色している。いずれも右前合わせの長袍をまとい、袖の中で拱手して立っている。長袖の裾は左側から巻き上げて腰で留めている。襟元には長袍の下に着ているが赤い服がのぞいている。3体とも衣服、姿勢、髪を結った髪型にほとんど違いはない。頭頂部には小穴が穿たれており、出土時にはここに棒状の飾りが差し込まれていたという。馬王堆1号墓は前漢時代前期に長沙国の丞相(じょうしょう)を務め、対候(たいこう)に封ぜられた利蒼(りそう)の妻の墓である。約1000件もの副葬品の中には162体の木俑が含まれていた。ここに示した木俑はそのうちの3体である。被葬者が死後も生前と変わらぬ暮らしを過ごせるように、侍従として副葬されたものであろう。

豆(とう) 2合  青銅・紅銅  戦国 前4~前3世紀

身には細身の脚部と一対の環状把手を、蓋には4個の紐をそれぞれ別作りにしたうえで鋳接いでいる。大きさ、形ともほぼ同じ一対の豆であるが、装飾の細部には違いが見られる。たとえば、向かって左の個体のS字紐には嘴(くちばし)を持つ動物の横顔が表現されているが、もう一方のS字紐には顔の表現がない。両者とも全体の表面に褐色の紅銅を象嵌しており、周囲の青銅の文様帯を際立たせている。向かって右側の蓋は青銅の文様帯の上にも細い線を刻み込み、さらに紅銅を象嵌することで繁縟(はんじょく)な文様を生み出している。楚の貴族墓から出土した青銅製の豆の中でも、当時の金工技術を駆使して作った一対として特筆される。

猿形帯鉤(たいこう) 1個 銀・貼金・ガラス象嵌  戦国 前3世紀

猿が上体をひねって腕を伸ばしながら足を後方に蹴り上げる姿は、枝から枝へと飛び移る一瞬の動きを捉えているかのようである。表面を鎚鑃(ついちょう)や研磨などで整えることで、胴体と四肢では丸みのあるしなやかな筋肉を、顔ではくぼんだ眼窩と突出した周囲の凹凸を巧みに表現している。青ガラスの小珠を象嵌した瞳はつぶらで愛くるしい。銀製の身体のうち左手には金の板を貼り付け、表面の雲気文と背面には鍍金を施している。雲気をまとうこの猿はおそらく現実世界の動物ではなく、仙界に棲む霊獣の一種なのであろう。数ある戦国時代の帯鉤の中でも、本作は、造形、意匠、技巧などのあらゆる面で傑出している。

犠尊(ぎそん)  1個 青銅・金銀緑松石象嵌 戦国 前4~前3世紀

動物をかたどった青銅器の容器で、背中の中央に蓋が備わる。蓋は後ろを振り返る水鳥の姿をかたどっており、鳥の首がつまみになっている。動物の口に孔が開いており、蓋を開けて背中から入れた酒を口から注ぎ出す仕組みになっているものと思われる。しかし、重さ6.5Kgもある本作を持ち上げて酒を注ぐのは不便なため、酒を入れて祭壇などに供えることがおもな用途であったと考えられる。保存状態ももっとも良好である。犠尊の中でも白眉と呼ぶに相応しい本作は山東半島に勢力を誇った斉の都付近で発見されており、この地の高度な青銅文化をよく見て取ることができる。

佩玉(はいぎょく) 1具(11点) 玉  戦国・前4~前3世紀

合計11点の玉器を紐でつづったもので、腰や胸から垂らして身を飾った。もっとも上に配された壁は上部に方形の孔をもち、ここで紐を正面から背面に回す。壁の左右やや下寄りに小さな龍型突起があり、ここで紐を正面から背面に回す。壁の左右やや下寄りに小さな龍型突起があり、そのうち片方は背中の部分が欠失しているが、突き出された背中の部分が背面で分岐させた紐を正面に戻す環となっている。壁の下では、管と珠の同形のものを4対連ねている。その下の扁平な直方体の管が分岐していた紐は収斂され、最下部の弓なりに背中を持ち上げて後ろから振り返る龍形玉器に至る。柔らかい半透明の光沢、淡緑色に濃緑色の染みた色合いなど、玉の質感は11点ともみな一致していることから、すべて同一の玉材から切り出されたものと考えられる。本作は魯国の都城遺跡にともなう貴族墓から出土したものである。良質の玉材と精緻な彫刻による佩玉は、斉魯の玉器の中でも高い完成度を示している。

銀製高脚盒(こうきゃくごう) 1合 銀・青銅  前漢 前2世紀

身と蓋にそれぞれ杏仁形の文様を上下互い違いになるように並べている。杏仁形の文様は型を当てて外側に打ち出す鎚鑃(ついちょう)という技法によって施されている。蓋の頂部には伏せた牛をかたどった紐を3個配し、底部にはラッパ状に開く脚部をもつ。牛型紐と脚部は青銅製であり、銀製の身と蓋に後ろから溶接している。蓋の内部に「木南」の2字が刻まれている。本作は西方から将来された後に中国で青銅製の紐と脚部を追加したものと考えられている。たとえすべて中国で作られたものとしても、その器形や製作技法が西方より伝来したものであることは間違いない。本作は前漢時代前期に山東を領有した斉王の墓の器物坑から出土した。広東省、雲南省、安徽省(あんきしょう)の王墓や高級官僚の墓でも類例が発見されている。

 

戦国時代の前2~4世紀頃の出土物の中でも、特に優れた作品を選んだ。いずれも逸品であり、当時の楚・斉・魯の技術の高さが判る。中国の古代の技術の高さ、最後の将来物などには驚いた。正に5千年の歴史の古さ、深さに驚く器物であった。

(本稿は、図録「中国王朝の至宝 特別展 日中国交正常化40周年記念 2012年」を参照した)