京都・醍醐寺ー真言密教の宇宙(3)

16世紀に入り第八十代座主となった義演(1558~1626)は、豊臣秀吉からの保護を受け、戦乱に荒廃した伽藍の復興整備を進めた。秀吉最晩年の慶長3年(1598)春に催された「醍醐の花見」は、安土桃山時代の華麗な文化を象徴的に表す出来事として、広く知られる。慶長年間に造営された三法院表書院障壁画の金銀に彩られた襖絵や俵谷宗達をはじめとする諸流派の絵師が描いた屏風は、当時の醍醐寺の繁栄をよく伝えている。宗教というより一大文化運動とも呼ぶべき「醍醐の花見」を、まとめてみたい。

重文 醍醐花見短冊  安土桃山時代(慶長3年ー1598)

慶長3年(1598)3月15日、豊臣秀吉、秀頼、北野政所、淀君をはじめとする近臣数百名による絢爛豪華たる花見が醍醐寺で開催された。その際に詠まれた歌を、上に藍、下に紫の雲形を漉き込んだ内曇(うちぐもり)の料紙に金銀泥で下絵を描いた短冊に認め、後に醍醐寺に奉納したもので、131葉からなる短冊帖である。秀吉の最晩年を飾るに相応しい花見であり、この年の8月に秀吉は63歳で没した。

金天目・金天目台口径12.6cm、高台径2.5cm天目高5.9cm桃山時代

慶長3年(1598)の醍醐の花見のあと、豊臣秀吉は病に伏した。これは秀吉の平癒を祈祷した座主儀演に、褒美として遺されたと伝える秀吉愛用の金天目と金天目台である。木製の碗に薄く延ばした金板を被せたもので、当時流行を見せた中国の盃被天目(はいかぶりてんもく)を祖形としたものとされる。なお、醍醐寺にはこれと同形・同寸の金天目1口が別に伝わる。いかにも秀吉愛好の天目である。

松桜幔幕図屏風 生駒等寿作  六曲一双   江戸時代(17世紀)

松と桜の間に張られた幔幕を、六曲一双全体に描いた屏風である。右隻には大きな松を幔幕の手前に描くが、右隻には桜の幹を幔幕の向うに描き、左端の上方から画面中央に向けて満開の花をつけた桜が枝を伸ばす形で描かれている。幔幕は赤い地の上に白く染め抜いた五七桐紋を、白の平塗りによって表している。調度品としての屏風の機能内には、室内や桟敷席の間仕切りとして使用される他に、野外の宴の場に広げられる場合があるが、この屏風も用途に合わせてさまざまに活用される可能性もある。作者は生駒籐寿(1626~1702)である。如何にも、秀吉好みの派手な屏風である。

国宝秀吉不例北杜法次第 醍醐寺文書聖教 紙本墨書安土桃山時代(慶長3年)

北杜法は天変、疫病、夭死(ようし)などの除災のために北杜七星を供養する密教の修法(ずほう)である。本品は、慶長3年7月、病床に伏せる豊臣秀吉の平癒を祈願して、儀演を道士に、醍醐寺金剛輪院において修された北杜法の次第を書き記したものである。本題の末尾には長文の奥書があり、このたびの病状悪化に伴って、7月7日に北政所から祈祷料として黄金50両の下賜があり、翌8日から14日まで金剛輪院小御所において北杜法が修されることをはじめ、伴僧を勤めた僧十口の名と装束、道場や護摩壇の荘厳や供物の内容、声明、伴僧や関係の人々への施物の分配などが記されている。その時代の、細部に亘る内容が記された貴重な資料である。

重文 三法院障壁画 表書院上段之間 柳草花図 安土桃山~江時代(16~17世紀)

醍醐寺三法院障壁画には、長谷川等伯派の筆と推定される画面が、この表書院上段之間の柳草花図である。現状では、何れの画面も剥落が激しく退色も進み、さらに補筆がかなり施されており、描かれた当初の状態を復元する作業は極めて難しい。少なくともこの画面は永徳様式の紺碧障壁画とは異なり、中世のやまと絵系障壁画にむしろさかのぼるような情趣深い様式を備えている。四室に残る障壁画の中でも、最も優れた画面として評価が高いのは、この「柳草花図」である。

重文 三法院障壁画 東側四面 秋草図 安土桃山~江戸時代(16~17世紀)

秋草図は、水墨の雪山を配置し、遠景に大きく瀧を描く。さらには秋の野の紅白の菊花や、遠景に大きな滝を描く。さらには秋の野の紅白の菊花や、著色の萩を近景に描く傍らに、前後にしなやかな枝葉を伸ばす竹と柴垣とを墨の濃淡を変えながら描き添え。「秋草花図」に通じる性格を見出せよう。この「秋草図」は等伯の作品と認定する学者もいる。

重文 扇面散図屏風 俵谷宗達作 紙本金地着色 江戸時代(17世紀)

俵谷宗達(生没年不詳)が手掛けた扇面画を、二曲一双の屏風に貼り付けた作品である。仮名草子「竹斉」によれば、宗達は京都の絵屋「俵屋」を営み、扇面画で評判をよんだらしい。そのため工房作も少なくないが、本屏風の扇面の各所にには、宗達その人の悠然とした息遣いが感じられる。この扇面画の制作背景としての他の宗達作品と醍醐寺の深い関係があったと推測される。おおらかでくつろいだその色彩と意匠性は多くの人を楽しませるに違いない。同寺には宗達の重文・「舞楽図屏風」もあるが、今回は出展されなかったのが残念である。

 

密教美術の宝庫である醍醐寺は、近世の豊臣秀吉の「花見の宴」を除いて語ることは出来ない。秀吉関係の美術品・古文書も多数あるが、今回は花見の宴に関わる美術品を中心に、三法院障壁画を加えて解説した。いずれ京都古寺巡礼の旅で、醍醐寺の三法院と、その庭園を報告する機会を作るので、今回は、この3回で終わりたい。

 

(本稿は、図録「京都醍醐寺 真言密教の宇宙  2018年」、古寺巡礼京都「6醍醐寺」、探訪日本の古寺「第七巻 京都洛中・洛南」、日本経済新聞2018年9月18日特集「真言密教の歩み 追走」を参照した)