光琳とその後継者たち  尾形光琳没後300年記念

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畠山記念館で「光琳とその後継者たち」が開催されている。(6月12日まで)。元和元年(1615)に徳川家康から京都・洛北鷹峯(らくほくたかがみね)の地を拝領し、芸術村を開いた本阿弥光悦。昨年はその琳派発生から400年となる節目の年に当たり、京都国立博物館では、初めてとなる大規模な展覧会「琳派 京(みやこ)を彩る」が開催された。今年は、琳派の大成者であり、後世の芸術家に多大な影響を与えた尾形光琳(1658~1716)の没後300年に当たる。これを記念して畠山記念館の館蔵の光琳作品を一挙公開し、併せて光琳周辺で活躍した弟乾山と渡辺始興をはじめ、19世紀初頭に江戸文化圏で光琳顕彰活動を行った酒井抱一の絵画や工芸品を展示する催しである。光琳芸術の独創性に迫る企画である。

蓮池水禽図(れんちすいきんず) 俵谷宗達作     江戸時代(17世紀)

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俵谷宗達(生没年不詳)は、江戸時代の前期(17世紀)に、伝統の中心地、京都を舞台に公家や富裕な町衆を相手に新しい絵画様式を確立し、画壇に新風を吹き込んだ画人である。彼は当時の富豪の織物屋の一族で、その着色画の様式は、今までの絵画史に類を見ない着想と構図と技法によって装飾的な新様式を創造し、その水墨画も”唐様的水墨画とは性質の異なる大和絵的な技法と内容を持つ”と言われる。私は宗達の本質は大和絵を新時代に新解釈した古典の復興と再生(ルネサンス)とであると解している。宗達の水墨画は、輪郭線を描かずに、墨色の濃淡を面で構成しており、作品を眺めると次第に景物がぼんやりと浮かび上がってみえる。柔らかい筆致で光や空気まで表現した「たらしこみ」がもたらした印象を見せる。本作は、蓮の三態を描き分け、その下を遊ぶカイツブリを象徴的に配した力作である。微妙な墨の濃淡により、上から差し込む光が感じられ、自在な筆使いと気分の大きさが画面全体に明るさを満たしている。

布袋図  尾形光琳作            江戸時代(18世紀)

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尾形光琳は万治元年~享保元年(1658~1716)京都の高級呉服商雁金屋(かりがねや)の次男として生まれた。狩野派の山本素見に私淑して、宗達の新興市民精神に元禄時代の町人的精神感情をもって宗達様式の進展開を行った。元禄14年(1701)に法橋になったが、京都における豪奢な生活で破産して江戸に移り、宝永4,5年頃にも再び江戸に住し、酒井家の保護を受け、同6年に帰京しているが、晩年の家庭は不遇であった。その画風は弟乾山を始め多くの追随者を出し、酒井抱一が現れるので、この流派を光琳派または琳派という。布袋図は歴史的に実在した禅僧の布袋が、世上では弥勒菩薩の化身として信仰され、遊戯三昧の姿がすべて禅味にあふれることから好画題となり、中国では宋時代から日本では室町初期から禅僧によって、さらに各派の画家にも競って描かれた。晩年の作として知られる本図は、宗達風ののびやかな描線、衣に施された「たらし込み」の手法に加え、布嚢の口の早い筆致など軽妙洒脱な味わいは光琳の真骨頂である。

賎が屋(しずがや)の夕顔図  尾形光琳作    江戸時代(18~19世紀)

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夕顔の白と葉の緑が絹地に鮮やかに映え、茅葺(かやぶき)の軒先で蚊を追い払う蚊遣(かやり)の煙がゆっくりとたちのぼっている。その先には、自賛の一句を書き添えている。「賎屋の ゆうがほ しろき 蚊遣かな」

重要文化財 躑躅(つつじ)図  尾形光琳作  江戸時代(18世紀)

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渓流に臨む辺に紅白の花を咲かせる可憐な躑躅の木が、まず観る者の目を引きつける。「たらし込み」による墨の微妙な変化で土埕を表現し、躑躅の花と枝は速筆で描いている。対称を思い切った右に寄せ、前後の紅白の花々、左右の土埕の対比などが画面に奥行を与え、左上の余白が大空へ広がりをみせている。

禊図(みそぎず) 尾形光琳作       江戸時代(18世紀)

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「伊勢物語」第六十五段、主人公の男在原業平は、帝の寵愛していた女性への愛を断ち切るために御手洗川(みたらいがわ)で禊を受ける場面を描いたものである。この一段は俵谷宗達やその周辺の画家たちにも好んだ画題である。画面下に意匠化された水流の一部をあらわし、その流れに対し禊の帛と土器、三人の登場人物を巧みに配置する。網目には長尾鳥丸紋の狩衣や浮線陵紋の指貫(さしぬき)の文様も丁寧に描き込み、樹木には江戸狩野派の画風や習得も観取される。縦長の画面には種々の要素を盛り込んでいるが、奥行のある卓越した構成力を示している。酒井抱一の「光琳百景」にも収録されている。

八橋図。秋草団扇(うちわ) 尾形光琳作  江戸時代(18世紀)

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宗達の扇面に対して光琳団扇(うちわ)と言われるように、円形画面を好んだ光琳は団扇図を多く手掛けている。本作は八橋と秋草(裏面・写真は出ていない)の図で表裏となり、柄付で原型を留めた稀な、数少ない一作である。「八橋図」は伊勢物語第九段を出典としている。中央に墨で大きく表された橋と、左右に分けて描かれた群青と白の燕小花(かきつばた)が没骨彩色され、白文長方形印の朱印など金地を背景に絶妙の構図である。

重要美術品 白梅模様小袖張付屏風(はくばいもようこそではりつけびょうぶ)尾形光琳作   江戸時代(18世紀)

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光琳は絵画のみならず蒔絵や染色意匠図案の制作に携わり、その才能領域は広い。本作は、もとは萩地文の白隣小(しろりんす)の着尺地に墨絵を描いて小袖に仕立てられたものを、後世解いて一双の金地屏風に張付け調度として用いたものである。京都の裕福な呉服商雁金屋で育った光琳ならではの意匠感覚が発揮されている。

結鉾香合(ゆいほここうごう) 尾形乾山作   江戸時代(18世紀)

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尾形乾山は寛文3年~寛保3年(1663~1748)で、陶工にして画家である。有名な画家である尾形光琳の弟である。乾山の号は京都乾(いぬい)に当たる鳴滝に住んでいたためである。陶業に長じ仁清風に閑寂な趣きを加えた一種の楽焼風のものをはじめ、以後京都系に大きな影響を与えた。また絵画は兄光悦の画風を受けたが、遺作は少ない。晩年は江戸に出て入谷に住み81歳で没した。この香合は、原三景筆により「春乾山ゆいほこ」の箱書きがあるものだ。「ゆいほこ」とは京都の祇園の鉾に結いつける吊るし飾りのことで、形がよく似ているため名付けられたものと思われる。乾山の香合で遣梅(やりうめ)香合が名高いが、本作は他に類似を見ない独特のものである。球形に近い形を自由な箆使いで面取りして変化をつけている。

色絵藤透鉢(ふじすかしばち) 尾形乾山作   江戸時代(18世紀)

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口縁部を大きく反らし、絵付けの文様に合せて綸花に切り込みを入れ、さらに透彫りを施したこの種の鉢は、乾山意匠の代表的なもので、「乾山の反鉢」と呼ばれる。本作は、ま白化粧と金泥を霞のように掛け、その上に透絵で枝を書き、透明釉を掛けて焼いている。そして、緑で蔓や葉、白と緑で藤の花を描き、さらに紫の花には青で縁取りを施すことで、陶器の中に絵画的意匠の映える作品となっている。

紅葵花蒔絵(こうきはなまきえ)硯箱  尾形乾山作  江戸時代(18世紀)

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二段重ねの身に深い被蓋(おおいぶた)の付く硯箱である。中央には立葵と八重葎が底から生え出し、のびやかに全体を覆う大胆な意匠である。中央には立葵の花を配置するが、開花しているものには錫を用いて線彫りで花弁をあらわしており、蕾には鮑貝が用いられ、葉は葉脈を線彫りして鉛と金の平蒔絵であらわされている。各種の材料の特色を活かし、華やかな装飾効果となっている。

重要美術品 四季花木屏風(右隻) 渡辺始興作   江戸時代(18世紀)  重要美術品 四季花木屏風(左積) 渡辺始興作   江戸時代(18世紀)

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渡辺始興は天和3年~宝暦5年(1683~1756)で、名は求馬である。近衛家の家臣であるが、狩野派を学び、更に尾形光琳についた。四季花木図は琳派の画家が好んで屏風絵とした題材で、四季の花木や草花を右から左に配置し、一双を立て廻らせてことによって、居ながらにして花園を鑑賞することができるものである。始興は琳派をはじめ、狩野派や大和絵と既存の流派においても習熟度の高い作品を遺している。本作は始興の代表作とも言うべきもので、両端に松と岩という大きな対称を置き、中央を空間にして下方に流れるように咲き乱れる数多くの草花を描いている。「たらし込み」の技法や胡粉の盛上げ、その他草花に用いられた意匠化など琳派様式の枠を出るものではないが、四十五種類余りの草木花を具(つぶさ)に見ると、細かい観察に基づいた写生的なものである。これは、始興の仕えた本草学にも造詣の深かった近衛家煕の影響があったことは確かである。

 

「日経おとなのOFF」2015年1月号では、琳派について次のように述べている、「”琳派”とは桃山時代末期の京都に起こり、昭和初期までの長きにわたり続いた芸術様式を指す。ユニークなのは承継のされ方だ。狩野派など同時代の流派では、模写や指導を通じて師から直接画法を学んだのに対し、各々が異なる時代に生きた琳派の絵師たちは、感銘した先人の作風に”子淑”により習い、その様式を後世に伝えた」琳派の始祖は俵谷宗達である。宗達は伝統的な大和絵に、狩野派の太く闊達な線を取り入れ、金銀泥絵の草花図、物語絵、水墨画など次々に新境地を開いた。宗達から約100年後の元禄時代にあらわれた後継者が、尾形光琳である。優れた意匠感覚を武器に、明快で装飾的なデザインを旨とする、絢爛たる琳派様式を大成させた。美術史家の辻惟雄氏は「琳派は19世紀の西洋の印象派画家にインスピレーションを与えたほか、今も現代美術やデザインに多大な影響を及ぼす存在です」と述べている。琳派については、更に語りたい点が多々あるが、次回に回したい。

 

(本稿は、図録「予衆愛玩  琳派」、図録「大琳派展 2008年」、図録 根津美術館「korinn 2012年」、図録 根津美術館「燕子花と紅梅梅 2015年」、「日経おとなのOFF」2015年1月号、田中英道「日本美術史全史」、野間静六他「日本美術辞典」、日経新聞「2015年1月11日号」を参照した)