出光美術館開館50周年記念  美の祝典 Ⅳ  伴大納言絵巻

平安時代末期は、日本絵画史上では”絵巻の時代”と呼ばれている。後白河法皇院政期当時には数多くの絵巻が制作されているが、この国宝「伴大納言絵巻」も、その一つである。国宝の「鳥獣戯画」、「源氏物語絵巻」、「信貴山縁起」と共に四大絵巻と称され、現存する絵巻の中では第一級の優品である。史実によれば、貞観8年(866)3月10日の夜、応天門が炎上した。原因は放火とされたが、放火の真犯人は不明のままであった。大宅鷹取(おおやたかとり)という者の告発をきっかけに、事件は時の大納言(だいなごん)・伴善男(とものよしお)らの放火事件という驚くべき決末で一応の落着をみた。しかし、伴大納言の犯行動機が不明であることなど、この事件はいまだに謎に包まれている。当時の資料から、天皇を取り巻く太政大臣、右大臣、左大臣、大納言の政治的対立の構図が事件の背後にあったことが浮かび上がり、今にいたるまで様々に解釈されている。「伴大納言絵巻」は、この事件から約300年経った平安時代末期に制作された絵巻物である。現在「伴大納言絵巻」には、上巻だけ詞書(ことばがき)がなく、何らかの事情で消失してしまったと思われる。しかし、中巻、下巻の詞書とほぼ同じ文章が、説話集「宇治拾遺物語」巻十の最初にある「伴大納言焼応天門事」にあるので、それに従って復元することができる。それによると、絵巻物のストーリーは史実通りではなく、むしろ、人々に語り継がれてきた説話をもとに、面白い脚色が加えられていることが判る。研究者によって、絵巻の筆者は12世紀の宮廷絵師の常盤光永(ときわみつなが)、詞書の筆者は能筆家・藤原教長(のりなが)(1109~1180)とする考えが一部に定着している。

国宝 伴大納言絵巻 上巻 「事の川下でパニック状態の人々」 平安時代

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検非違使の一行が太刀を手にして劇的に始まる。騒ぎを聞きつけた野次馬たちが疾走している。直衣姿で脇目もふらずに馬を走らせる公卿、草履を手に疾走する僧侶。僧侶の前には火の粉が見える。どうやら前方が火事らしいと逆走する男もいる。

国宝 伴大納言絵巻 上巻  「応天門炎上」       平安時代

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今まさに焼け落ちる寸前の応天門であり、日本の絵画における三大火焔表現と呼ばれる。朱、丹、橙を巧みに使い分けて、炎の温度の違いまで見事に表している。

国宝 伴大納言絵巻 上巻 「風上の会昌門に集まる人々」  平安時代

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壮絶な火事場を挟んで、こちら側は川上側である。大内裏の内側に集まるのは、官人(貴族)たちである。応天門から離れた会昌門では、火事場の緊張感はそれほどはない。笑いながら手をかざす者や、火事場に完全に背を向けて談義にふける高位の官人。いずれも会昌門に立っている。波打つ風下の群集との対立的な表現に、絵師の優れた構成力が感じられる。

国宝  伴大納言絵巻  中巻  「無罪を訴える源信」    平安時代

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木立の間に荒筵を敷いて座り、天道に自らの無実を一心不乱に訴える源信。突然に降りかかった冤罪に、怒り、恐怖、むなしさのすべてが一緒くたになって、ただ祈ることしかできないでいる。その姿には左大臣としての自信はない。わなないているようなその両肩には切実な気持ちが滲み出ている。

国宝  伴大納言絵巻  中巻  「家人たち」      平安時代

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駆けこんできた家人たちを見て、いよいよ逮捕の時が来たと騒ぐ源信家の女房たち。手を摺り合わせて嗚咽をこらえる者。しかし、使者は放免を知らせに来たことが伝わると、一転喜びに包まれる。画面の左方に視点が移るに従って、女房たちの表情が嬉し泣きに変わってゆく。奥の部屋にいるのは奥方とこどもであろう。年端もいかない子を抱き寄せながら安堵の涙に暮れている。

国宝  伴大納言絵巻 中巻  「子供のけんか」     平安時代

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七条通りで始まった子供同士のとっくみあいの喧嘩。その左側から片方の子供の父親が血相を変えて走り寄っている。同じ画面の手前では、相手の子どもを殺さんばかりに蹴飛ばす父親と、父親を楯ににしながら喧嘩でむしり取った髪の毛を掲げて勝ち誇る子ども。その斜め上は子どもをたしなめながら家に連れて帰る出納の妻。異時同図法を用いて円環状に時間をすすめながら、その周囲に喧嘩に足を止めた貴顕さまざまな人々の感情をリアルに描く。

国宝  伴大納言絵巻  中巻 「喧嘩の内容」       平安時代

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この隣に住む子ども同士のありふれた喧嘩が、まさかの事態を引き起こす。蹴飛ばした父親は伴大納言に仕える出納(しゅつのう)。蹴飛ばされた子どもの親は、放火事件の目撃者の舎人(とねり)だったのだ。あまりの悔しさに、舎人は目撃したことを暴露してしまう。大声で叫ぶ舎人夫婦の周囲には霞がたなびき、その先には両手を組みながら自慢げに話す男。またたく間にうわさは広がってゆく様子が視覚的に工夫されている。

国宝  伴大納言絵巻  下巻 「逮捕に向かう検非違使」   平安時代

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この噂が広がり、ついに伴大納言に逮捕状が下された。この逮捕のため、伴邸に向かう検非違使の一行。この一行の物々しさは、事件の重大さを物語っている。

国宝  伴大納言絵巻  下巻 「悲しみに暮れる伴邸の女房たち」 平安時代

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主人のいなくなった伴邸。二つの枕だけが残された夫妻の寝所では、衾を引き被る夫人の黒髪が覗く。ひっくり返って天に手を差し伸べる者、涙をぬぐうことも忘れて号泣する者。用意された朝食にも箸をつけようとする者はいない。御簾にすがって泣くまだ幼そうな女房。その横では年配の女房が茫然と座り込む。残された彼女たちの究極の悲しみと絶望感の描写に、鑑賞者は伴大納言が逮捕されたことを知るのである。

国宝  伴大納言絵巻  下巻 「見送る家人たち」    平安時代

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主人が連れ去られてゆくのを門のところで見送る家人たち。門の扉に手をかけて体を支える者、力なく座り込む者など、家人たちの悲しみは想像を絶する。重い現場とは対極的にただひたすら美しい木立の描写は、伴大納言への同情を誘っているかのようである。

国宝  伴唾納言絵巻  下巻 「伴大納言を連行する検非違使」  平安時代

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伴大納言を連行する検非違使の一行。逮捕された伴大納言は、八葉車に後ろ向きに座らされている。肩から下の左半身だけ覗き、その表情はうかがい知ることは出来ない。楕円形に描かれた車輪は、車輪が回転し、車が確実に前進していることを表している。事件は一気に収束し、伴大納言の野望はここについえてしまったのである。

 

国宝「伴大納言絵巻」が公開されたのは10年前であった。随分混雑した記憶があるが、今回は3回に分けて公開したため、さほど混雑はしなかった。国宝絵巻を3回に分けて公開する事例は少ない。お蔭で、この物語を3回読むことになり、伴大納言絵巻が、1千年前の物語ではなく、ごく最近の出来事のように感じるようになった。この絵巻の伝承は、次のような経緯である。絵巻は後崇光院(1372~1456)の「看聞御記」(かんもんぎょき)という日記にもっとも早く登場する。そこには、嘉吉元年(1441)4月26日の条に、当時絵巻は若狭国松永荘(まつながのしょう)の新八幡神社に「彦火々出見尊絵巻(ひこははでのみことえまき)」二巻と「吉備大臣入唐絵巻(きびのおとどにっとうえまき)(ボストン美術館)一巻と共にあり、なかなか見事な出来であることから、これら四巻を後花園天皇にご覧に入れたと記されている。これ以来の伝来は、小浜藩主酒井忠勝に関する記事の中に、松永荘から忠勝に献上したのち、酒井家の家臣の所蔵となり場外持出を禁じたことが出てくる。その後、寛政の内裏造営にあたって設計の参考として提出して以来、再び酒井家の所有となり、「吉備大臣入唐絵巻」とともに伝来してきた。昭和56年(1981)に出光美術館の所蔵となってからは、度々の公開と研究が進められてきた。

 

(本稿は、図録「出光美術館開館50周年記念 美の祝典」、図録「国宝 伴大納言絵巻」を参照した)