出光美術館開館50周年記念  美の祝典  Ⅰ

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出光美術館は、今年で開館50周年を迎える。その記念企画として「美の祝典」と題して、出光美術館所蔵の絵画作品から、選び出した屈指の名品を一挙公開する。展覧会は3部構成として、第一部は日本絵画の伝統美を象徴する「やまと絵」と仏画の世界を展示する。第二部ではこれと対照的に、東洋ならではの自然美に着目し、「水墨画」や「文人画」を中心に展示する。第三部は江戸絵画を代表する狩野派、琳派、浮世絵などの多彩な美を展開する。なお、同館が所蔵する国宝「伴大納言絵巻」三巻は、各会ごとに1巻ずつ公開する。この絵巻の公開は10年ぶりであり、貴重な展示会となる。「黒川孝雄の美」では、この「美の祝典」を四回に分けて書くことにした。国宝「伴大納言絵巻」は、3回に分けずに、最後の第四回にまとめて掲載した方が、ストーリーの理解に役に立つと思う。なお、「美の祝典」は連続して掲載することは、困難なので、他のブログを中に挟みながら連載することになる事をご了解願いたい。さて、やまと絵とは、日本で生まれ発展した伝統絵画である。中国の模倣に始まったわが国の絵画が、身近な自然や風俗を積極的の取り込むことによって、やまと絵を誕生させたのは、平安時代の前期、9世紀のことであった。それ以来、われわれの祖先は、つねに中国絵画の影響を受けながらも、日本の風土やみずからの感覚に合った絵画様式を創り上げてきたのである。其の様相は時代によって多様に変化するが、一貫して日本人の自然に対する深い愛着と、物語への強い関心などが画面に反映されている。王朝時代の優美な装飾絵画、物語や説話を描いた各種の絵巻、風俗画、四季の自然を描く山水、花鳥の屏風など、日本人の感性が生み出した美しい造形の歴史が展望できる。

重要文化財 扇面法華経冊子断簡(せんめんほっけきょうさっしだんかん)平安時代(12世紀)

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「法華経」八巻と「無量壽経」「観普賢経」の解結(かいけち)二巻の計十巻扇面に写したもので、大阪・四天王寺に伝来した。各巻をそれぞれ一帖にあて、計十帖からなっていたものと考えられる。現在は四天王寺に五帖、一帖が東京国立博物館(いずれも国宝)に所蔵されるほか、断簡が諸家に分蔵されている。この断簡はその一つである。絵は貴族や女房たちの営みや市井の庶民の生活、草花や花鳥、どこかの名所風景など、多様なやまと絵に主題を描くもので、「法華経」の経意を表したものはない。こうした扇面に経文を記す作例は他に見当たらず、世俗的な画題に経文を重ねるという趣向そのものがきわめて個性的である。

重要文化財西行物語絵巻 第一集(部分)三巻の内俵谷宗達作 寛永7年(1630)

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本作品は、放浪の歌人として知られる西行(1118~90)が、発心して僧となり、諸国行脚の修行の末に往生するまでの行状を描き出したものである。この絵巻は俵谷宗達(生没年不詳)によって描かれたもので、巻四末尾の烏丸光弘が記した奥書により、その制作背景が判明した。それによると、寛永7年(1630)、光弘は越前松平家の家老・本田富正の依頼によって、禁裏が所蔵する「西行法師行状之絵詞四巻」を借り出し、その摸本の制作を「宗達法橋」に命じたという。本絵巻は本田富正より主君・松平忠昌へと移り、その後毛利家に伝来したため「毛利家本」とも呼ばれる。この絵巻が日本美術史において重要な意味を持つのは、殆ど人生が謎に包まれている俵谷宗達の画作中、制作年が明示される唯一の作品のためである。

重要文化財 日月四季花鳥屏風(左隻) 六曲二双   室町時代(15世紀)

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一画面中に四季の移ろいを描く花鳥図屏風は、平安時代よりやまと絵の好画題として数多く制作されており、本作もその伝統に則ったものである。左隻は、緑の葉を茂らす松と紅葉を中央に配し、その左には白菊、右には水辺に生える秋草の茂みの中にたたずむつがいの鹿が描かれる。左右上方には金属板によって日月が配され、特に左隻の三日月のシャープな形状が印象的である。稚拙な表現であるが、このダイナミミックな構成には迫力を感じる。こうした伝統モチーフの組合せによる作品の完成された姿を、次の「四季花木図屏風」に見ることができる。私は、日本絵画の中どぇ、やまと絵が一番好きである。

重要文化財 四季花木図屏風 六曲二双  室町時代(15世紀)       右隻

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右隻には紅梅と松、左隻には紅葉と秋草と竹を大きく配し、夏は毛鞠花、姫百合、冬は遠山の松林の雪を指標に描く。古来馴染のある四季の自然景物が画の主題である。池か流れか水景が大きく描き出され、当初はその流水の澱みない描線の美しさに見所の一つがあったと考えられる。画面全体には雲母(きら)が引かれ、金箔が明るく輝き、濃彩の花木が引き締まった美しさを見せる。画中には狩野探幽(1602~74)による紙中極が認められ、それにより探幽は本作品を、室町中期の繪所預として活躍した土佐光信の手によるものだと見なしていたことがわかる。実際は、筆者が誰であるかはいまだ特定できていない。

宇治橋柴舟(うじばししばふね)図屏風六曲一双の内右隻 桃山時代(16世紀)

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右隻には、左右から右上かけて対角線状にゆるい弧を描きながら、金色に輝く橋が架かる。橋の下を流れる川面には、柴を積んだ舟が二艘浮かぶ。画面全景には水車が配され、水流を受けて回っている。水車よりこぼれ落ちる水は経年のため黒くなっている。本来は銀色に輝き、清涼感演出していたことだろう。橋と水車というモチーフより、本作品の主題が宇治の情景であることは明らかである。宇治は古来より文学作品に取り上げられたことにより、多様なイメージがあるが、中でも「源氏物語」の掉尾を飾る「宇治十帖」の印象が特に強い。このような「柳橋水車図」と称されるこうした画題の屏風絵は、桃山時代より長谷川等伯(1539~1610)と、その後を承継する長谷川一派によって数多く描かれた。

月に秋草図屏風(部分) 伝俵谷宗達作 六曲一双  江戸時代(17世紀)

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宵闇に浮かぶ半月の下、可憐に咲く萩や薄、桔梗や撫子などの秋の草花を描き出した屏風である。本作品には俵谷宗達(生没年不詳)の工房で制作されたことを示す「伊年印」印が捺される。「伊年印草花図」と通称さ草花図屏風は多数現存している。(府中美術館の「四季草花図屏風」その一例)しかし、その多くが四季」草花を華麗な色彩をもって描くのに対して、本作はそうした作品群とは異なり、秋草のみを繊細な筆致で描きだした、稀な作品である。本作を宗達自身の作とする説、あるいは宗達在世中に有力な弟子によって描かれたとする説などがある。現在その制作期について確証は得られない。図録では「琳派がその後数多く制作した草花図屏風の中でも最も初発的な作例であり、かつ一群の草花図屏風の中でも群を抜いた傑作である」と述べている。私は、特に月を示す、銀板が見事であると考えている。やまと絵は、この作例でおわりであり、続いて仏画となる。

化財 絵因果経(えいんがきょう)一巻  奈良時代(8世紀)

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「絵因果経」とは、求那跋陀羅(ぐなばつだら)訳「過去現在因果経」を絵画化した絵巻物のこと。この経典は釈迦の前世においてなしえた善行を説くことから始まり、さらに現世における釈迦の生涯から、舎利仏・目連・大迦葉ら弟子たちの出家に到るまでを記す。現存する絵因果経の中でも、制作時期が奈良時代まで遡る伝本を「古因果経」と称し、現在五種が知られている。その中の一種が本作品である。絵因果経は経文を下に書写し、それに相当する挿絵を上段に描くと言う形式をとる。本作品は第五巻にあたる。絵巻に描かれた内容は、釈迦の出家から、苦行を経て、菩提樹下での瞑想、魔王の妨害の場面である。本作品の巻頭には、興福寺伝法院の伝来を示す「興福伝法」印の押印が認められる。

山越阿弥陀図(やまこしあみだず)託磨栄賀(たくまえいが)作 一幅 南北時代

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険しい山をはさんで向こう側には、金色の雲がわきたち、そのさらに向こうには、山よりもさらに巨大な阿弥陀如来が、まるで日の出のように光り輝きながら姿を表している。一方山のこちら側には、雲に乗った二菩薩が描かれる。向かって右の蓮台を持つ観音菩薩、左の合掌するのが勢至菩薩である。本作品のように、山並みの向うから阿弥陀如来が姿を現すタイプの来迎図を山越阿弥陀図という。平安時代以降、浄土信仰の発展とともに阿弥陀来迎図はさかんに描かれたが、この山超阿弥陀の形態を持つ来迎図は、鎌倉時代以降に登場・普及した。仏の姿は金泥と截金でもって皆金色身であらわされ、また画面はほぼ完全な左右対称の構図を取るため、装飾性と象徴性が高められている。

重要文化財 十王地獄図 双幅(一部) 鎌倉時代末期~南北朝時代(14世紀)

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十王とは冥界で死者を裁く十人の王のことである。初七日から七七日(四十九日)までは泰江王、初江王、宗帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王の七人の王が七日ごとに百個日には平等王、一周忌には都市王等の十王信仰が中国で晩唐期に発生し、日本には平安時代末期より普及しはじめ、鎌倉時代以降は、「仏説地蔵菩薩発心因縁十王経」に基づく信仰が盛んになった。

 

 

「やまと絵」は「唐絵(からえ)」に対する言葉である。平安時代には、倭絵・倭画・やまとゑ・大和画などと表記され、近世においては、更に和画・日本絵・日本画などの文字があてられている。最近では、文字違いに付随する時代のイメージを避けるため、「やまと絵」の表記が一般化したそうである。やまと絵を広義に解釈し、それらを「王朝絵画の伝統を受け継ぐもの」という観点からまとめると、正に「雅(みやび)の系譜」ということになり、江戸時代の琳派まで含むことが可能である。「やまと絵」や「琳派」を愛好する私の好みから言えば、一番適した定義である。

(本稿は、図録「開館50周年記念 美の祝典 2016年」、図録「特別展 やまと絵 1993年」、図録「物語絵  2015年」、田中英道「日本美術史全史」を参照した)