出雲と大和ー日本書記成立1300年特別展(1)

令和2年(2010年)は、わが国最古の正史「日本書記」が編集された養老4年(720)から1300年となる記念すべき年である。これに先立ち和銅5年(712)に撰上された「古事記」は8年前の平成24年(2012年)に1300年を迎えている。この古い歴史書(略して記紀と呼ぶ)は、律令国家が自らのアイデンティティを主張した史書であった。私は、昭和27年に飛鳥地方をK君と、共に歩き、日本書記を読む必要に迫れれ、当時岩波文庫に納められていた「日本書記」の岩波文庫に納められていた「日本書記」の3巻を古本屋で求めて、熱心に読んだ。その編者は黒板勝美氏(元東大教授、右翼学者として、戦後は東大を離れ、自営隊などで日本歴史を教えていたと言われる)であり、上巻は神話、中巻は神武天皇より宣化天皇まで、下巻は欽明天皇より持統天皇までの日本の古代史を綴っている。どこまでが神話で、どこから歴史なのか、論者によって、様々な意見がある。私は都が飛鳥の地に移った飛鳥時代、藤原京に移った藤原時代(古美術の上では白鳳時代と呼ばれる時代である)を熱心に読みこみ、飛鳥、藤原京を歩き回った記憶が残る。日本書記には「国譲り神話」が出てくる。まとめれば、出雲の大国主神は、皇祖神の天津神に芦原中国の支配権を穣る代わりに、自らを出雲の高い神殿に祭ってもらうことになった。そして「日本書記」神代上、第八段では出雲の簸(ひ)の川上に振ってきた天照大御神の弟スサノウのミコトの末裔として位置づけられたいる。出雲神話と呼ばれる説話・伝承のなかでは「出雲風土記」の「国引き神話」が豊かな想像力で在地社会の国造りの息吹を伝えている。在地の國土創成神として「八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと)は、「古事記」「日本書記」には登場しない。しかし「出雲風土記」では、出雲の国土を創成した八束水臣津野命が国引きを行って今の島根半島の土地を引き寄せて出雲の国土を拡張した姿が描かれている。

国宝  日本書記 神代巻(幹玄本) 鎌倉時代 奈良・天理大学

「日本書記」の写本は,古本系統と卜部系統に分類される。乾玄本は、巻末の奥書に乾玄2年卜部兼夏書写とある。ト部家本系統として、また神代巻写本として年紀が確認できるものとしては、弘安9年(1286)の裏書の弘安本に次いで古い。神代巻の第九段一書第二には、出雲と大和を象徴する「顕露之事」(あらわのこと)と「幽事」(かくれたること)(神事)の分任について記されている。

金輪御造営指図(かなわごぞうえいさしず) 一巻 紙本着色 島根・千家家

往古の出雲大社の平面図とされるもの。本殿は長さ一町、(約109メートル)の引橋(階段)を有し、巨木3本を束ねて一組とする一丈(約3メートル)柱9本で支えられ、壮大な威容を誇った姿で描かれる。従来は図面として信憑性に疑いがもたれていたが、平成12年(2000)、出雲大社境内遺跡より、図面同様に木材3本を1組として柱が発見されたことを契機に再評価されることとなった。

重文 宇豆柱(うづはしら) 3本1組 島根・出雲大社境内遺跡出土 木製 鎌倉時代

平成12年(2000年)に発掘調査により出土した。出雲大社大型本殿遺構の柱材。スギの大木3本をあわせて一つの柱とする。大社造を構成する9ケ所の柱のうち、正面中央の棟持材にあたる宇豆柱と呼ばれる。柱材、柱穴の規模が比類ない大きさにあるだけでなく、3本の材を束ねる柱の構造が古代出雲大社本殿の平面図として出雲大社宮司千家国造家に伝わる平面図の「金倫御造営指図」としての表現と一致することが注目された。鎌倉時代の法治2年(1248)に遷宮された本殿の柱材である可能性が高い。樹齢200年以下の成長の早いスギ材であった。改築のたびに大材をを用いて造営され続けた出雲大社の高層性を端的に示す主材である。今回の展覧会では、一番最初に、この宇津柱が出てくるため、非常に来場者を驚かす。私は、出雲大社で拝観したことがある。

重分 心御柱(しんみはしら)出雲大社境内出土 鎌倉時代 宝治2年(1248)

3本の内の1本。平成12年(2000)に出雲大社の地下1.3メートルから出土した、大型本殿遺構の柱材である。杉の木材3本を束ねて、一つの柱とする。大型本殿遺構の柱材である。杉の木材3本を束ねて一つの柱とする。大社造りを構成する9ケ所の橋のうち3ケ所が発掘確認されており、本殿中心に位置するのが心柱である。金輪御造営指図と一致することでも注目される。私は、この心御柱を見るのは初めてである。今回の展覧会では宇津柱、次に新御柱が並び、度肝を抜かれる。

模型 出雲大社本殿 一基 木製 全長1325.0cm  出雲市

株式会社大林組の古代出雲大社復元図をもとに、松江工業高校の生徒14人が製作した十分の一スケールの本殿模型である。復元図は、心御柱の宇津柱が発掘調査で発見された平成12年より以前に、京都大学名誉教授の福山敏男氏(故人)の考えをもとに、同氏の監修により作成された。金輪御造営指図をもとに、天禄元年(970)に編纂された口遊(くちづさみ)の記述に見られる大きな建屋の順位「雲太・京二・京三」(出雲大社、東大寺大仏殿、平安京大極殿)の記述と社伝などから、標高を16条(約48メートル)、引橋を長さ一町(約109メートル)としている。想定している時代は十世紀(平安時代)で、展示してある鎌倉時代の心御柱、宇豆柱の出土遺構から想定される本殿規模とは異なっている。しかし、現状では古(いにしえ)の出雲大社本殿の姿は不明なままであり、その巨大性を議論するに相応しい模型である。

重文 銅戈(どうか)、勾玉(まがたま)、出雲市 眞名井遺跡出土 弥生時代(前2~前1世紀) 出雲大社

出雲大社に伝わる銅戈と勾玉・中細形銅矛b類に分類される銅戈は、樋内に綾杉文を配し、頸部(なごぶ)にかすかな鉤形文を配し、頸部にかすかに鉤形文が中出される。勾玉は新潟県糸魚川産と考えられる硬玉性の優品で、頭部の孔は片面穿孔である。これは寛文年度造営に際し、眞名井神神舎で出土したものである可能性が高い。

重文 手斧(ちょうな)

出雲大社の法治度本殿遺構に伴って出土した鉄製の手斧。宇津柱の材底付近から、柄を抜いて出土した。立柱時の儀礼的に使用し、意図的に埋葬されたものと考えられる。

重文 鎹(かすがい) 三個 鉄製 最長 25.5cm

重文 帯状金具 一個 鉄製  長さ 22.0cm

重文 釘  五個 鉄製 最長 36.2cm

出雲大社の法治年度本殿に使用されたと見られる建築金具の一部である。本殿遺構の発掘調査で出土した。

出雲大社に関わる、器物、道具類であり、出雲大社の成立、立て直しに係る道具類を多く採用した。次回も出雲大社に関わる記事が多くなると思う。」

(本稿は、図録「日本書記成立1300年特別展 出雲と大和  2020年」、図録「聖地の至宝  出雲   2012年」、岩波文庫「日本書記3冊」を参照した)