勝川春章と肉筆美人画

出光美術館で「勝川春章と肉筆美人画」が2016年3月27日まで開催されている。勝川春章(1726~92、享保11~寛政4)は、江戸中期の浮世絵師であり、50歳頃から肉筆の美人画家として著名な人である。浮世絵は、美しい女性画と、華やかな歌舞伎の舞台で演技する男性役者絵とを、2本の主要な柱として展開した。中でも美人画は浮世絵の華と言ってよく、菱川師宣に始まり宮川豊信に至る初期(1670年代~1764)、鈴木晴信、鳥居清長、喜多川歌麿、勝川春章らが黄金時代を築いた中期(1675~1806)、葛飾北斎、歌川國貞、歌川国芳らの後期(1807~58)、そして葛飾応為、月岡放念らの幕末明治の終期(1859~1900)と,全期に亘って各時代の中心的な絵師が多彩に活動した。勝川春章は、当初役者絵版画、相撲絵版画などで一躍時代の寵児となったが、50歳以降没年まで肉筆美人画の制作に没頭し、数々の名品を残している。

勝川春章が活躍した時代は18世紀後期・和暦では明和・安永・天明・寛政期にあたる。その頃、欧米ではアメリカの独立宣言、イギリスの産業革命の本格化、フランス革命などが次々と起こった激動の時代であった。鎖国下の日本では,京の都で応挙が写生画を立上げ、それが近代日本画に繋がる動きとなった時代である。(出所が記載していない図は出光美術館所蔵)

雪中傘持美人図  勝川春章作  天明7,8年(1787,88年)頃

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水分を含んだ雪を、女性が傘から振り落とそうとして、傘の先を下に向けている。春章の描く女性像は、彼の創意にあふれている。長袖の黒い地色は、白銀の中に強いコントラストを運び込むことでいっそう映え、袖と裾にほどこされた模様は鮮やかな色彩を伝えている。画業の全盛期を迎えた春章画の美質が伝わる作品である。

桜下三美人図  勝川春章作  天明7,8年(1787,88年)頃

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満開の桜の側を蛇行しながら小川が流れ、その下に三人の女性の姿をとらえている。女性たちの背後に群生する土筆やたんぽぽの描写は微細を極めている。この絵の圧倒的な植物の描写は、春の訪れをことほぐ「若菜摘み」を風俗画の中に写したものである。

桜下遊女図  勝川春章作  天明3-7年(1783~88年)頃 千葉市美術館

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吉原中之街の桜が霞のなかに満開の花をあらわす。その下では、一人で歩く遊女の姿が捉えられる。左足はつま先だけを地面に接し、右足をぐっと踏み出した様子を伝える。鏑木清方(かぶらぎきよかた)の旧蔵品で、みずから箱書をしたためている。

婦人風俗十二か月 端午  勝川春章作  寛政元~4年(1789~92)千葉市美術館

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十二か月の風俗をひと月ずつ、十二枚の画面に描きわけた一連の作品である。この形式の絵は「月次絵」(つきなみえ)と呼ばれ、その歴史は古く、11世紀頃にはやまと絵の基本的な型の一つとして普及していた。浮世絵にも例は多い。これは端午の節句の様子を描いたものである。朱鍾馗と宝尽くしの幟が立っており、粗放な筆触を強調した鍾馗図の表現は、その異形を強調するのみならず、春章の画技のバラエティを示すものである。

美人鑑賞図 勝川春章作 寛政2~4年(1790~92)頃64.9×123.2cm

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美人画としては破格に大きな画絹の上に、おもいおもいに時を過ごす十一人の女性の群像が描かれている。屋外の庭園風景は、輪郭を目立たせず、絹地が透けて見えるほどに淡薄な彩色によって、みずみずしく澄んだ自然景観が描かれている。この絵画は、かねてより春章の作品を愛好したことで知られる大和郡山藩主・柳沢信穐(やまぎさわのぶとき)の古稀をことほぐためと考えられる。庭園は信穐(のぶとき)が隠居後に過ごした駒込・六義園(りくぎえん)に似ている。また屋舎の釘隠しの意匠が柳沢家の花菱紋であることからも推察できる。華やかさと伝統的な大和絵を思わせる古典的な文化の息吹を感じさせる名品である。勝川春章の最後の傑作であろう。

娘と童子図  喜多川歌麿作  江戸時代(19世紀前期)

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寛政4年(1792)、春章がこの世を去ったまさに直後に、浮世絵界に華々しく登場してくるのが、喜多川歌麿(1756~1829)や鳥文斎栄之(1756~1829)など、浮世絵史上にその名をとどろかせる絵師たちである。春章スタイルの美人画が、どのように後世の浮世絵へ受け継がれたのかが窺える。この絵は、桜の模様を散らした振袖をまとい、いまだに十歳代とも思える女性がてまりをもてあそんでいるのを、童子が右手を伸ばしてそれを欲しがっている様子を映したものである。二人の関係は姉と弟と推測される。

重要文化財  更衣美人図  喜多川歌麿作  江戸時代(19世紀前期)

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寛政4年に春章が世を去ったのち、まさにそれと入れ替わるようにして浮世絵美人画界に登場したのが喜多川歌麿だった。寛政4,5年頃、いわゆる大首絵の形式を美人画にはじめて導入したことに象徴されるように、歌麿の功績は、描かれた人物の生々しいばかりの実在感を、鮮烈に訴えかけることである。この作品は歌麿の美人画の中で、最も成功した事例であろう。

月下歩行美人図  葛飾北斎作  江戸時代(19世紀前期)

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葛飾北斎(1760~1849)が、絵を学ぶべくはじめて門を叩いたのが、勝川春章であり、当時春朗と称していた。入門以降、名所絵や役者絵を手がけたのち、春章没後の寛政6年(1794)に勝川派を去った。北斎について語る必要は無いであろう。

 

 

肉筆浮世絵はこれで2回目となるが、いずれも保管状態が良く、かつ70点に及ぶ収集が主として出光美術館で行われていた。今回は「勝川春章生誕190年記念」として、春章を中心に取り上げたが、多数の肉筆画の画家の絵が出品されていた。シカゴ ウエストンコレクションと比較しても劣らない優品であり、日本にもこれだけ多数の肉筆浮世絵があることを知り安心した。

 

(本稿は図録「勝川春章と肉筆浮世絵 2016年」、図録「肉筆浮世絵ー美の饗宴  2016年」、図録「大浮世絵展  2014年」、田中英道「日本美術全史」を参照した)