印象派からその先へー世界に誇る吉野石膏コレクション(2)

本章では、20世紀前半の西洋絵画を取り上げる。20世紀前半の西洋美術は、しばしば「モダーン・アート」という言葉で総称される。ここでは取り合えず、19世紀後半から20世紀前半にかけて、西洋の伝統的な表現を脱却して、絵画の自立を目指す革新的な表現を追求した画家や作品を取り上げる。写実主義こそが西洋絵画の中心を貫いていた原理であった。印象派は光や大気のような形のないものまで表現しようとした。その点では究極の写実主義と言えるが、結果として生まれた作品からは、遠近法も明暗法も消え、色彩と筆触の存在感が前面に押し出される平面的な画面となり、絵画は世界からの自立の第一歩を踏み出したのである。印象派が切り開いた新しい絵画の歴史は、20世紀を迎えると一気に奔流のようにその変化の速度を上げていった。この第2章に含まれる作家は、いずれも20世紀前半のモダーン・アートの展開に関わった作家ばかりである。

占い師 ジョルジュ・ルオー作  1937~39年 油絵・厚紙

ルオーと言えば、必ず宗教画と思い込みがちであるが、本作は「占い師」である。周囲を太く縁取る構図はルオーが好んで採用したもので、しばしばそこに文字が描き込まれることで壁龕(へきがん)のような役割や、晩年作にみられた装飾性を強調する役割を担っている。人物は希釈された黒い絵具で輪郭をかたどられ、右手をあげる身振り、枠にそって曲げられた腕はロマネスク美術の造形性を連想させる。特徴的な三角帽の衣装はルオーが描く道化師に共通しており、目を伏せる表情はこの時期に集中して描いたキリストの顔に連なるものがある。

バラの髪飾りの女 ジョルジュ・ルオー作 1939年 油彩・紙(カンヴァスで裏打ち)

1930年代以降、ルオーの作品は暗く沈んだものから、透明で輝くようなマティエールへの変貌を遂げた。この作品も明るいエメラルドグリーンを多用し、カドミュムイエロー、カドミュウムレッドディープで彩っている。「バラの髪飾りの女」の支自体はより興味深い。紙に描かれた後、目の粗い布と麻布によって裏打ちされ、その後も制作が続けられている。一度塗った油絵具を削り取り、また何層にも塗り重ねられた額が構成されている。一度塗った油絵具を削り取り、また何層にも塗り重ねる手法がルオー独自のものであることは広く知られている。

靴下をはく若い女 ピエール・ボナール作 1908~10年 油彩・カンヴァス

ボナールは身近な生活を主題とし、そこに差し込む光の効果と色彩を描いた。1893年に生涯の伴侶となるマルト・ド・メリーニと出会う。間もなく彼女は、モデルとしてカンヴァスにたびたび登場することとなる。病弱で神経の病を患っていたマルトは、異常なほどの潔癖症だったこともあり、しばしば入浴をくりかえしていたことから、ボバールは浴室での彼女の姿をはじめ、室内で身づくろいするしどけない女性をモチーフとした作品を数多く手掛けた。ボナールの描く裸婦は、エロチックな欲望の対象から造形的な要素へと変貌していく。本作では、マルトと考えられる女性の身体が大きく描かれ、室内には親密な空気が充満する。彼女の腰掛ける赤色のソフアと対照的な色調の青い背景の壁は、ナビ派の特徴である装飾的な点描で描かれている。

緑と白のストライプのブラウスを着た読書する若い女 アンリ・マティス作1924年 油彩・カンヴァス

マティスが初めて南仏ニースを訪れたのは1917年12月のことである。以後、画家は秋から春にかけては南仏で過ごし、春のおわりから夏にかけて、パリ近郊のイッシー=レ=ムリーノで過ごすという生活パターンを繰り返すようになる。作家たちは様々な思惑が渦巻く刺激的なパリを離れたことは、自ら芸術についてじっくり再考する機会をマティスに与えた。こうしてフォーヴの誕生以降、絵画のあらゆる可能性の探求に捧げられた緊張に満ちた日々は一旦終わりを告げ、光と色の戯れに優しく身を任せる、快楽主義とも言えるニース時代が1920年代に始まる。読書に没頭する女性を描いたこの作品でも、画面左手から射し込む光が作り出す明暗が、女性の身体の豊かなヴォリューム感を生み出している。マチスの色彩は、私が好むものである。

静物・花とコーヒーカップ アンリ・マチス作 1924年 油彩・カンヴァス

ニースの中心部、シャルル・フェリックス広場の海辺のアパートにマチスが滞在するようになるのは、1921年の9月初旬からである。以後28年頃まで、画家はこのアパートの一室をアトリエにして様々な作品を生み出したが、この静物もその中の1点である。この時期のマティスの作品は、排他的なほどに室内に集中しており、アトリエは単なる制作のための場所ではなく、空間そのものが絵画のモチーフと化していた。

セーヌ河の岸辺 モーリス・ド・ヴラマンク作 1906年 油彩・カンヴァス

いわゆる「フォーヴ」の名称が俎上に上げられることとなった1905年の前後、ヴラマンクの画面は最も鮮やかに彩られていた。自然の形態を的確に把握し、モティーフをファン・ゴッホ流の流動的な筆致、あるいはシニャック風の点描法を駆使しながら、色彩自体が自律するような豊穣さをもって表現した一連の作品は、画家のフォーヴ時代を華やかに彩っている。この作品もそうした彼のフォーヴ時代に手掛けられた1点である。

村はずれの橋 モーリス・ド・ヴラマンク作 1911年 油彩・カンヴァス

鮮やかな色彩を用いたフォーヴ時代を経て、ヴラマンクはやがてセザンヌを思い起こさせる画面構成に挑んだ。ピカソやブラックらがセザンヌの事物に対する形態把握と分析、それら事物に対する再構築に端を発したキュヴィズムへと突き進んでゆく西洋美術史の流れに沿うかのように、ヴラマンクもこの後にキュビズムの影響を受けた画風へと変化させていくことからすれば、ある種必然的な道程とも思われる。この作品もそうしたセザンヌの影響下に置かれるもので、画面上部中央に描かれた丘の起伏やその上に建つ古城とおぼしきモチィーフ、画面左の木の葉叢、画面下の水面と思しき表現からは、形態の単純化といったセザンヌ技法が垣間見える。

工場のある町 アンリ・ルソー作 1905年 油彩・カンヴァス

本作品の場所を特定することの出来ない町の光景が描かれているが、タイトルとなっている工場もまた、ルソーにとって、新しい文明の到来を告げるものであった。放射線状に伸びた道は、画面奥で中央に集まっている。工場と思われる建物が描かれているが、奇妙なことにその半分以上は木立に隠れている。

フォンテーヌブローの風景 パブロ・ピカソ作 1921年 パステル・紙

ピカソの「新古典主義」時代を代表する母子像が集中的に描かれた場所が、21年の夏に滞在したパリの南東に位置するフォンテーヌブローである。地中海沿岸の町で過ごしたそれまでの夏とは異なり、家族での静かな生活の中、ピカソは多くの油彩、ドローイング、パステルを描いた。本作はこの滞在中、珍しくフォンテーヌブローの風景を描いたものである。形態の分割や平面化を控え、パステルの柔らかな筆致による対象を大まかな色彩としてとらえた陰影づけー特に画面右のうねるような幹を伸ばす樹木の描写ーには、母子像と共通する様式化が見られる。

 

本稿では、主にピカソ、マチス等フォーヴから抽象画までを扱ったが、私自身にも判りやすい作品を選んだ積りである。読んでいただく皆さんにも、判りやすい絵画を選んだ積りである。「判り難い」「理解できない」とソッポを向きがちな画家たちであるが、判りやすい絵も沢山描いている。好きな絵を選んでみたら良いと思う。