大徳寺の塔頭   龍源院・興臨院

京の西北に聳える七堂伽藍とそれを取り巻く二十三の塔頭寺院、これこそ中世以来700年間、日本文化の中枢として禅文化を創造し育成してきた紫野(むらさきの)の大徳寺である。塔頭(たっちゅう)という単語を、日本美術辞典で調べたら、次のように定義している。「祖師の塔の有る所と言う意味で、一寺院の地域内に建てられた本坊に付属した寺院を言う。主に禅宗寺院で用いられ、子院(しいん)とも呼ぶ。支院は本坊即ち本寺と別の地にあって、従属関係にある寺院である。」即ち、禅宗の寺院ならば、どこでも塔頭があるが、特に大徳寺の塔頭が有名である。江戸時代には50ケ寺を超えたそうであるが、御多分にもれず明治の廃仏稀釈令で、減少し、現在は23ケ寺であるそうだ。大徳寺塔頭の中には、拝観を拒絶しているところが多い。そんな中で季節を限って、拝観を許す寺院もある。今回は龍源院と興臨院を訪ねてみた。

重要文化財  龍源院方丈            室町時代(16世紀)

img431

大徳寺の塔頭の中では一番古い寺であるそうだ。今から500年前、文亀2年(1520)大徳寺の開祖・大燈国師より第八代の法孫である東渓宗牧禅師を開祖として、能登(石川県)の領主であった畠山義元公、九州の都総督であった大友義長公により創建された。方丈は、室町時代の禅宗方丈建築としては、その遺構を完全に止める唯一の建物であるそうだ。一重入母屋造,檜皮葺きである。

方丈前石庭  一枝担(いっしたん)     室町時代(16世紀)

img432

方丈前石庭を一枝担(いっしたん)という。これは、開祖の東渓禅師(1454~1518)が、釈尊の粘華微笑(ねんげみしょう)という一則の因縁によって大悟され、その師、実伝和尚より賜った室号の霊山一枝之軒(りょうざんいっしのけん)より銘名されたものである。庭の中央右よりの石組が蓬莱山(ほうらいさん)を表し、仙人の住む不老長寿の吉祥の島である。右隅の石組が鶴島であり、中央の丸い苔に覆われたものが亀島であり、白砂は大海原を現わしている。作庭は室町時代のものであるが、作庭家の名前は伝わっていない。その時代の作庭者は阿弥号を名乗る時衆であろう。

方丈東側庭園  東滴壺(とうてきつぼ)     室町時代(16世紀)

img433

方丈の東にある有名な坪庭で、わが国では最も小さく、底知れぬ深淵に吸い込まれる感じのする,格調高い石庭である。

方丈北側の石庭  竜吟庭(りゅうぎんてい)    室町時代(16世紀)

img434

簡素な中に力強さを秘めた庭である。方丈書院の後庭(北庭)にあたり、東北西の三方は土塀で囲まれ、広さが約80坪である。全面に敷き詰めた苔が美しく、その緑が石組をグンと引き立てている。とりわけ中央部の石組は力強い表現となっている。この、一種の三尊石組は枯滝石組とも、須弥山(しゅみせん)石組とも考えられている。手前の一石は水分石であろうか。全体に比類の無い枯山水である。開祖の東渓和尚は、大仙院の開山古岳和尚の法兄にあたる。この兄弟は共に作庭に熱心であった。

開祖堂                      昭和時代(20世紀)

img435

開祖東渓禅師の塔所で、昭和の唐様式木造建築物の代表作である。一重入母屋造。桧皮葺き。

重要文化財  興臨院   本堂       室町時代(16世紀)

IMG_3115_1_2

この塔頭は、室町時代の大永年中(1520年代)能登の守護畠山左衛門佐義総によって建立され、以後畠山家の菩提寺となっている。畠山氏は足利幕府官領の畠山基国を中興とする後裔で、武門の名門である。義総の法号興臨院殿翁徳胤居士から寺名が付けられた。開祖は大徳寺八十六世の小渓和尚である。ここの本堂は、創建直後に焼失し直ぐ再建されたため、現本堂は天文2年(1533)頃のものである。又、畠山家没落後、天正9年(1581)前田利家公により本堂屋根の修複が行われ、以後前田家の菩提寺となった。

重要文化財  興臨院  唐門        室町時代(16世紀)

IMG_3111_1_2

唐破風、桧皮葺きで室町時代の特徴を良く表し、波型の連子窓、客待ちの花頭窓等は禅宗の建築様式をよく表している。

興臨院  庭園(方丈前)         江戸時代(17世紀)

IMG_3112_1_2

方丈前庭は、方丈の解体修理完了に際して、資料を基に復元されたものである。この庭は中国の寒山・拾得が生活していた天台山の国清寺の石橋を模し、大石、松をあしらって理想的な蓬莱の世界を表現している。

塔頭は数が多く、かつ非公開の寺院が多い。毎度同じことを述べるが、国宝、重要文化財には、われわれ庶民の税金が当てられているのであり、もし、僧門を閉じて一切公開しないならば、国の補助金は断り、檀家からの謝礼のみで、運営すべきである。この子供のような意見をあらゆる場所、機会に述べてきたが、長年拝観謝絶を続けた聚光院(じゅこういん)が、来年3月から概ね1年間開扉するそうである。狩野永徳の国宝3図があり、一度是非拝観したいと思っていたが、念願かない1年間とは言え、開扉するそうなので、是非紅葉の時期に訪れてみたい。馬鹿馬鹿しい子供のような意見でも、言い続ければ、どこかで人の目に触れるものであると感じた。

 

(本稿は古寺巡礼京都「17巻 大徳寺」、原色日本の美術「第17巻障壁画」、探訪日本の古寺「第6巻京都 比叡・洛北」、探訪「日本の庭第六巻 洛中・洛北」、各寺のパンフレットを参照した)