宋滋  神秘のやきもの

出光美術館において「宋滋  神秘のやきもの」展が開催されている。長い歴史を有する中国陶磁の中で、宋代(960~1279)にはその美しさが頂点に達したとも言われる。その宋滋の特徴は、青磁・白磁・黒釉滋などの単色の釉薬をまとい、非常にシンプルかつ研ぎ澄まされた造形性が美しい格調高い雰囲気を放っていることにある。その圧倒的な美と存在感に多くの人々が神秘性を感じ、魅了されてきたのである。宋滋の格調高い清雅な雰囲気は、士太夫層の頂点には皇帝と宮廷、朝廷が君臨していた。宮廷では大量に陶磁器が必要とされ、また消費された。それらの需要を満たすために、宋代以前には各地方の名産品として陶磁器を献上・献納した「貢滋」、あるいは宮廷で使用する陶磁器を民間へ委託・注文して生産し納品させる仕組みが存在していた。宋代になると官窯が存在したことが文献の記載にあり、南宋官窯に関しては、実際に窯跡の比定もされている。唐時代(618~907)の陶磁生産は「何青北白」と称され、南方地域では青磁、北方地域では白磁が主に焼造されていたと言われる。宋時代(960~1279)には、中国全域で様々な陶磁器が盛んに作られ、皇帝・宮廷用のうつわを焼造する官窯を頂点に、北方地域では定窯(ていよう)、滋州窯(じしゅうよう)、鈞窯(きんよう)、南方地域では景徳鎮窯(けいとくちんよう)、越州窯(えつしゅうよう)、龍泉窯(りゅうせんよう)等に代表されるような、青磁、白磁、黒釉のうつわなど、それぞれの窯で独特の様式が展開された。また中国の中原地域の宋王朝と対峙した北方の遼王朝は、中原の陶磁器文化の影響を受けながらも、独自の陶器文化を生み出している。

白磁刻花牡丹文甁(へい) 北宋時代  定窯 高32.0cm 東洋陶器美術館

定窯は、宋代五名窯の一つに数えられ、晩唐時代から白磁を生産している。最盛期の定窯の製品は、碗、皿、深鉢などが多い。この甁は最盛期にかかる以前、北宋初期と考えられる珍しい作例で、強い調子で彫られた胴下部の連弁文などにもそれがうかがえる。口は欠失しているが、おそらく盤口甁の形であったと想像される。格調高い名品である。

重要文化財 白磁銹花(しゅうか)牡丹唐草文甁 定窯北宋時代 東洋陶磁美術館

口が小さく、肩が張り、そのまま胴裾に向かってすぼまる梅甁を、途中で胴切りにしたような形で、俗に吐嚕瓶(とろびん)、あるいは泰白尊(たいはくそん)と呼ぶ。この甁は表面に鉄絵具を塗りつめ、文様の部分を浮出すように掻落(かきおとし)している。滋州窯で良く見かける手法であるが、滋州窯のように白化粧されておらず、白く見える部分は、白磁の素地である。定窯の技法としては珍しく、また文様、器形ともに北宋時代の格調の高さを示すものである。

白磁刻花牡丹唐草文鉢 北宋時代 定窯 口径 26.5cm 出光美術館

北宋時代の定窯で造られた深鉢である。底部から腰にかけてゆっくり湾曲し、口縁部がやや端反り状を呈し、金属製の覆輪を嵌める。薄い器壁は叩くと金属的な響きがするが、光を通すほど薄く作られている。内面にはゆったりと流れる様に連花文が片切彫りで表され、外面は無文である。定窯の特有の色調として知られるアイボリーホワイトを呈する。

白地黒掻落牡丹文甁 北宋時代 滋州窯 高31.7cm 京都国立博物館

細長い胴部に小さな盤形の口がつく甁で、いわゆる梅瓶と称される。粗い灰色の素地に白化粧を行い、その上に鉄釉をかけ、鉄釉部分に刃物を用いて文様を彫っている。文様でない部分は掻き落し、牡丹唐草文、さらに肩と胴下部には簡略化した連弁を流れるように一周めぐらし、最後に透明釉をかけ、焼き上げている。温和な乳白色の地に漆黒の牡丹唐草文が浮かびあがる。大胆な構図とリズミカルな文様の動きが白と黒の対比によって生み出される滋州窯の典型的な作例である。

緑釉白地描落牡丹唐草文甁 北宋時代 滋州窯 高54.5cm 出光美術館

緑色の世界の下に透けて見える牡丹唐草の文様と地の部分が浮出している錯覚を覚える。北宋時代の滋州窯の甁である。滋州窯では白と黒のコントラストを生かした意匠のみならず、本作品のように色釉を用いた装飾技法も発達した。緑釉は胴を呈色剤とした500度前後の低火力の鉛釉であるが、中国では漢時代にまでその歴史を遡る。伝統的な技法を継承しながら新しい作品を生み出されていることを知ることが出来る作例とも言える。宋・金時代の磁州窯製品は、日本では出土例は少ない。

緑釉白地鉄絵牡丹文甁 金時代 滋州窯 高26.7cm 出光美術館

胴部は算盤玉のように膨らんでいる。胎は黄灰色を呈し、白化粧をかけて胴の前後に鉄絵具で牡丹折枝文を描き、牡丹の花弁や葉の一部を掻き落して、文様を整えている。その後、透明釉をかけて高火度焼成し、さらに全体に緑釉をかけ低火度焼成している。高台の裾から畳付は釉が掛からず露胎で、高台内に朱書が見られる。牡丹文が美しい。

白地緑釉花文甁 遼時代 乾瓦窯 高37.3cm 出光美術館

遼(りょうー916~1125)は契丹人により中国の東北地域に建国され、その地で生産された陶磁器である遼滋は、遼の美術、文化を良く表すものとして知られる。遼滋は遊牧民族である契丹人の生活習慣から生まれた造形や、独自の色彩感覚や意匠、様式美を展開している。白地を背景に、線刻により飾り気なく表された草花文の上に緑釉が掛けられた遼三彩とも称される鉛釉陶器に属する長首瓶である。地味ながらも力強く伸びていく草花の意匠は宋時代の中原の陶磁器には見られない遼滋の特徴とも言える。日本ではこの草花文を「葱坊主」と呼んで、鑑賞を楽しんだそうである。

白滋皮嚢壺 遼時代 定窯 高23.7cm   出光美術館

皮袋形の壺で短い注ぎ口と、太い把手が付く白磁の壺である。紐を意識したと思われる突帯が付く。白い素地の上から透明釉が施され、やや黄味を帯びた釉色を呈する。遊牧民族らしい作品である。定窯作とされているが、実は明らかではない。遼の領域に接する地域で遼の宮廷向けに注文生産された作品ではないかと思う。

重要文化財 青磁下蕪甁(しもかぶへい) 南宋官窯 南宋時代 高23.1cm出光美術館

いわゆる「下鏑形」を呈する南宋官窯の甁である。青銅器にその祖形があることがわかる。釉は厚く重ね塗りされて、落ち着いた天青色を呈する釉色である。実に美しい。宋代の代表作の一つである。

青磁輪花鉢 南宋時代 南宋官窯 口径26.1cm 東京国立博物館

明るく深い水色が印象的な、口が大きく開いた六輪花形の鉢である。口径に対して高台経はかなり小さく、形に緊張感を与えている。うつわの内外面には縦横さらに重想的に貫入が見られ、その大きさも大小様々であるが、釉薬がやや薄くなっている口縁部付近は内底と比べると小さく細かい。薄作りの胎に釉薬を重ねかけし厚くなったいわゆる「厚釉薄胎」の作例である。口には覆輪を嵌めている。南宋官窯の優品である。見事な出来であると思う。

 

今から35年前の1983年(昭和58年)に、私は東京国立博物館で「新安海底引揚げ文物展」を見た。その後、韓国へ行った時に韓国国立博物館で、その「私安海底引揚げ文物」を視る機会に恵まれた。その時、朝鮮で引き上げられた物は大半が陶磁器であり、南宋様式青磁が大半であった。引揚げ品の中には、日本人の履く下駄や、日本の将棋の駒の桂馬と書かれた駒が1個あり、また「東福寺」という寺名を表した木札もあった。これらのことから、船員に日本人が含まれていたこと、目的地は日本で、青磁の陶器を沢山積んでいたことが明らかになった。新安引揚げ品の総数は18,000点に達すると報告されている。当時の日本の対中国貿易における主要品は陶磁と銅銭であり、輸出品は砂金と銅地金であったことは明らかである。いかに日本人が中国の陶磁器に憧れていたかが分かる。そういう意味で今回の「宋滋 神秘のやきもの」の展覧会は楽しかった。大阪の東洋陶磁美術館が有名であるが、出光美術館の所有する「宋滋」も見事な物が多い。私個人の思い出が強く、この記事を読まれた方には、面白くない内容かも知れないが、是非写真だけでもご覧戴きたい。青磁、白磁の素晴らしさは、先人のみならず現代の我々にも、その素晴らしさを感じることが出来るだろう。

 

(本稿は、図録「宋滋  神秘の焼物  2018年」、図録「東洋陶磁の展開 1990年」、図録「新安海底引揚げ文物展  1983年」を参照した)