山種美術館  江戸絵画への視線

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江戸時代は公家や武家だけではなく、町民、庶民に至るまで文化・芸術を享受する層が拡大した時代である。このような社会になると個性豊かな芸術家たちが次々と登場して、豊かな文化が生み出され、厚みを増してきた。本展は山種美術館のコレクションの中から江戸絵画の歴史を概観する催しである。実は、私は山種美術館へは、今回が初めての拝観である。現代の日本画を含めて、数々の名品が揃っていることは承知していたが、JR駅からも地下鉄駅からも、徒歩10分の距離が気になり、中々出かけ辛かったというのが本音である。ネットで調べてみたら、恵比寿駅西口からバスで二つ目と知り、初めて拝観した次第である。一度、行ってみると、予想以上に近く便利であることが判り、今後は足しげく通う美術館に加えたい。案外小さい美術館で、展示も41点(江戸絵画のみ)で、丁度手頃な規模である。時代順に並べるのが妥当だろうが、琳派を最後にまとめる形にしたい。なお、琳派の中でも酒井抱一の優品が多いのに驚いた。山下裕二氏(明治学院大学教授)による図録の解説では、思いがけない「山種美術館コレクション収集」のこぼれ話が冒頭に出てくる。山下氏は、図録の冒頭に次のような秘話からスタートする。「もっぱら近代日本画のコレクションが著名な山種美術館。だが設立者である山崎種二(1893~1983)にとって、実は丁稚奉公をしていた頃目にした江戸琳派の画家、酒井抱一(1762~1828)の掛軸との出逢いが、後にコレクターとして邁進していくきっかけとなる原体験だったことはあまり知られていない。」以下「山種証券五十年史話」の聞き書きが引かれている。

重要文化財  官女観菊図  岩佐又兵衛作    江戸時代(17世紀前半)

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岩佐又兵衛が1枚だけ、掛けてあったことに驚いた。「まさか、まさか」である。岩佐又兵衛は「浮世絵又兵衛」として知る人ぞ知る画家である。辻惟雄氏「奇想の系譜」は、この岩佐又兵衛から始まる。図録から岩佐又兵衛の人物史を眺めてみる。「江戸時代前期の画家、名を勝以(かつもつ)という。伝説的な絵師として不明な点が多いが、伊丹城主・荒木村重の末子とされる。父が信長に反旗を翻したために一族郎党皆殺しとなるが、乳飲児だった又兵衛は奇跡的に生き延びて、母方の岩佐姓を名乗った。京都で狩野派、土佐派の画法を学び、両派融合した画風を確立した。50歳の頃福井に移り住み、福井藩主松平忠昌の御用絵師となった。その後、徳川家光の招きにより江戸に出て、三十六歌仙奉納画などを手がける。しかし、福井に残した妻子の元には戻れず江戸で没した。没後彼の存在は「浮世絵又兵衛」として伝説化されていく。」私自身は、岩佐又兵衛の絵は、浮世絵元祖と称する怪しげな絵以外見たことがなく、果たして実在の人物かどうかも疑問視していた。この絵を見れば、御所車のすだれをそっと上げて菊を愛でる王朝の貴婦人二人を、繊細な白描やまと絵の手法で描いたものである。ふっくらとした頬と頤(おとがい)の「豊頬長頤」(ほうきょうちょうい)と言われる又兵衛作品に典型的な顔の三人が描かれている。元は「旧金谷屏風」と通称される六曲一双の押絵屏風のなかの一つである。(いずれ岩佐又兵衛についてはMOA美術館の所蔵する「山中常盤」(やまなかときわ)で詳細に説明したい)

伏見人形図  伊藤若冲作  紙本着色   江戸時代(18世紀)

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全国の稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社界隈では、現在でも本作に見られるような独特の土産物「伏見人形」が販売されている。この地域から豊富に産出される粘土を用いて様々な形を作り、焼き上げて粗末な泥絵具で着彩したこの素朴な玩具の持つ、ほのぼのとした情趣を若冲は愛したのか、縦・横の作品を多数残している。先の伊藤若冲展でも、ジョー・プライス・コレクション(縦)と国立歴史民俗博物館(横)の2種が出展されていた。最近は、江戸絵画展と言えば、必ず若冲作品が展示されるようになった。いささか鼻に付く。

指頭山水図(しとうさんすいず)池 大雅作紙本墨色淡彩 延慶3年(1745)

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池大雅(1721~1776)は江戸時代中期の画家である。京都に生まれ、独学した南宋画に日本の伝統的絵画や西洋絵画の手法を加え、個性的で新鮮な画風を確立し、蕪村と共に「日本南画の祖」と言われる。「指墨」「指画」とも称され、筆を使わず手の指先や爪、掌(てのひら)などを使う描法で描かれている。本作は大雅22歳の初期の作例である。画面左上に東皐壽(とうこうじゅ)による七言節句の賛が描き込まれている。柳の曲線や指の腹で押したような樹木群の描写は、筆線にはない大雅独自の自由闊達なのびやかさが感じられる。

槇楓図(まきかえでず)屏風  俵谷宗達作 紙本金地彩色 六曲一双 江戸時代

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無背景の金地画面に、老木から若木までさまざまな形の六株の槇と、一株の楓が密生する。構図の要は、幹が大きく湾曲する右端の槇である。それに呼応するのは、右から3扇目、株の全体を画面に納めつつ、より大きく身をくねらせる槇の木であり、さらにその動きを槇の樹林の背後に紅葉する楓が継承し、画面左斜め上に解き放っている。途中に挟み込まれる立木は曲面にリズムを与えると同時に、空間に厚みを加える効果をもつ。鬱蒼と重なり合う槇の枝や葉、重々しい筆致がやや渋滞した印象を画面に与えている。その重厚な画面に、桔梗や女郎花、刈茅(かりかや)といった秋草が可憐な趣を添える。琳派を代表する力作である。似た意匠の尾形光琳作「槇楓図屏風」(東京芸術大学蔵)は、重要文化財に指定されている。

新古今和歌集鹿下絵和歌巻断簡 俵谷宗達絵 本阿弥光悦書 紙本金泥彩色江戸時代初期

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金銀泥で鹿の群れが描かれた、全長20メートルの及ぶ巻物の断簡である。三井財閥を支えた増田鈍翁が所蔵していた巻物が、増田家を離れ、断簡として諸家のもとに散らばったうちの一つである。宗達が下絵を描き、その周囲に光琳が書をバランス良く配している。巻物は、この鹿から始まっていたと伝えられている。西行法師の和歌が添えられている。

四季草花和歌短冊帖 俵谷宗達絵 本阿弥光悦書 紙本金銀泥短冊画帳 江戸時代初期

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宗達・光琳画による共同制作をした和歌巻、色紙帖などが多数残っているが、短冊で、しかも18面も残っているものは希少である。本作品は短冊という小さな画面からはみ出しそうな宗達の図柄と、のびのびと墨書された光悦の書から、彼らの自由な発想と情熱が窺われる。歌は「新古今和歌集」から選ばれている。短冊は右から躑躅(女御微小女王)、月に松山(西行法師)、薄に桔梗(藤原定家長臣)の3枚である。琳派の代表作である。

重要美術品 秋草鶉図 酒井抱一作 紙本金地彩色屏風二曲江戸時代(19世記)

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二曲一双の屏風には穂の出た薄の原と銀の半月(現在は黒く変色)、五羽の鶉の群れ、そこに女郎花、露草、そして紅葉した楓葉を散らして描き、深まり行く秋の武蔵野をイメージしている。大変緻密な描写で、光琳の華やかな雅趣を思い起こさせる。優品である。

宇津の山図 酒井抱一作  紙本金地彩   軸一幅   江戸時代(19世紀)

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「伊勢物語」の第九段「東下り」に取材した作品である。在原業平が宇津の山で京に残してきた女への思いにふけり、歌を詠んで、出会った知り合いの修行僧に手紙を託したという内容である。「伊勢物語」は宗達以来、琳派の作品の主題として頻繁に取り上げられている。

四季花鳥図 鈴木其一作 紙本金地彩色、屏風二曲一双 江戸時代(19世紀)

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二曲一双の金屏風に四季の草花と鳥を描いている。右隻には春と夏ー菜の花、スミレ、タンポポ、向日葵、朝顔などと雄鶏、雌鶏。左隻には秋と冬ー菊、吾亦紅、薄、女郎花、水仙などと鴛鴦が描かれている。一つの画面に二つの季節が混在しているが、違和感はなく、見事に調和している。如何にも琳派らしい派手な意匠である。

 

山種美術館のイメージは現代絵画(日本画、洋画)のコレクションとして広く知られているが、これだけの琳派の名品を有していることは全く知らなかった。過去の図録を丁寧に調べてみると、確かに「大琳派展」や、根津美術館の「燕子花と紅白梅」に山種美術館の蔵品が出展されていた。改めて、琳派の名品の素晴らしさに酔った「江戸絵画への視線」であった。創業者が、酒井抱一の柿の朱色を見て、コレクションを思い至ったという話題からして当然のことかも知れない。

 

(本稿は、図録「山種コレクション 浮世絵 江戸絵画」、図録「大琳派展 2008年」、図録 根津美術館「燕子花と紅白梅 2015年」を参照した)