平泉  みちのくの浄土(2)

中尊寺は経典との結びつきが深い。中央から離れた辺境の地にあって、そのハンデを乗り越えようと、由緒正しい仏典うを根気よく追い求めたことによる。さらに金字や金銀字の紺紙一切経、千日一日経、あるいは金字法華経法華経などといった荘厳経典をして現出させた。これは当時の都でも成し遂げられなかった快挙である。中尊寺経蔵次の二代基衡は、清させた。それが中尊寺経と呼ばれる一連の経典群であり、すざまし数字ととなっている。なかでも初代清衡は、金銀交書と呼ばれる最高に手間のかかる方式の一切経を完成させた。これは当時の都でも成し遂げられなかった快挙であある。次の二代基衡は、清衡の菩提のため紺紙金字の法華経を千部つくることをもくろんだ。三代秀衡は、宋版一切経をもとに紺紙金字の一切経を千部つくることをもくろんだ。その間、鎮護国家の経典と言える金光明最勝王経を金字宝塔曼荼羅という個性的なかたちで表してもいる。金銀を豊富に産出する地の利がそれを支えたことも忘れられない。平泉はまさに経典の都と言ってもいいほどの一大集積地だったのである。

国宝 華厳経 巻第十五 和歌山 金剛峰寺  平安時代・永久5年(1117)

 

藤原清衡が発願して完成させた紺紙金銀字一切経で、中尊寺経ともいう。そのほとんどは現在、高野山金剛峰寺にあり、4296巻が国宝に指定されている。この事業が開始されたのは、永久5年(1117)ころと思われ、それから8年くらいかけて完成させたらしい。金銀で経文を記す装飾経は、日本では珍しく、まして一切経をこの方式でやり通したのは中尊寺経だけである。各経巻には、経題と宝相華文様からなる表紙、および見返絵が付随する。

国宝 漆塗経箱 木製漆塗  平安時代後期(12世紀)岩手中尊寺大長寿院

奥州藤原氏三代目の秀衡が発願して整えられたとされれる螺鈿で経題を側面に象嵌したものである。

国宝 紺紙金字一切経 大般若経巻第十四 一巻

奥州藤原氏三代目の秀衡が発願して整えられたとされる一切経。紺紙に金字による一切経という形態は、院政期の都における皇族関連の一切事業を踏襲したことになる。中尊寺には2724巻が現存している。

国宝 金光明王最勝王経金字宝塔曼荼羅図 紺紙金字着色 平安時代後期 中尊寺

「金光明最勝王経」十巻を十綴に分けて、塔寶の形に金泥で書写した作品。それぞれの塔の先端から経文を書き出して、左右には経意を表す絵を金銀泥のほか諸色を用いて描いている。文字塔写経の優品として、また中尊寺に残された数少ない著色の絵画作品として貴重である。

国宝  金字曼荼羅図の拡大図   中尊寺大長寿院  平安時代(12世紀)

文字が経文で書かれていることが分る。

 

平家を滅ぼした最大の功労者でありながら、兄頼朝に追われた義経を秀衡は暖かく迎え入れた。十六歳のとき京都鞍馬寺を脱出した義経を武将として育てのも平泉であった。しかし、平家が消えるや義経は頼朝にとって最大のライバルになり、危険人物に浮上したのである。文治3年(1187)秀衡が没するや、頼朝は四代泰衡に圧力をかけ続けて義経を殺害させ、さらにその遅延を口実に、平泉を攻め滅ぼした。文治5年(1189)のことである。

 

(本稿は、「図録 「特別展 平泉 みちのくの浄土  2008年」、日本の歴史全26巻のうち「第6巻 鎌倉幕府」「第7巻 蒙古襲来」を参照した)