敦煌莫高窟の美(2)

敦煌莫高窟には、やや離れた場所に西千仏洞、楡臨窟(ゆりんくつ)を含むのが一般的な見方である。詳しくは東山健吾氏の「敦煌三大石窟」に精しく書かれている。私も、東山先生の事例に倣い、敦煌莫高窟と言いながら、西千仏洞、楡臨窟を含めて敦煌莫高窟と呼ぶ。

西魏篇(535~556)

西魏とは山崎茂久氏の「中国美術年表」によれば、北朝の4代目、北斎(ほくせい)に続く4番目の王朝で535~551の大統皇帝の時代である。五胡十六国に続く時代で、隋王朝の2代前である。

第249窟  窟頂南面 帝釈天妃

帝釈天妃は西王母とも呼ぶ。窟頂南披の中位に西王母が鳳車に乗り出かける絵である。「山海経」の記載によると、西王母は西南の南、流砂の浜、赤水の後ろ、黒水の後ろから黒水の前の崑崙山の上に住んで居た。その形は「やつがしら、虎の歯、豹の尾」で、全く原始社会のトーテムの様相そのものである。図は貴婦人に描かれて,三台の鳳の車に乗り、大袖の上着を身に着け手をこまねいて立っている。両側には騎士の鳳凰が続き、後ろには白虎が開明し、後ろへつづいていて、空が回転しながらも雲も飛び舞う雰囲気の中を隊列が西へと向かう。

第249窟  窟頂北面の下方   野猪群

図は僅か何本かの簡潔流暢な白線描法を用い、一頭の母猪が六頭の子猪を連れて森林の中を獲探しして駆け回っている情景を、生き生きと表している。西魏時期の芸術技芸の高さが見て取れる。

第249窟  窟頂北面東の下方   狩猟図

屈頂北披下方、森林の中に二人の狩人が馬に乗って駆け回り、左方向の狩人は身を振り返り弓を張り虎を射らんとし、右方向の狩人は逃げ回る三頭の黄羊を追跡し、正に槍を投げんとしている。この作者は簡潔で概括な絵筆で虎の凶猛さ、羊のあわてふためく様と狩人の勇敢と機敏さを描いている。古代の西北地区の牧畜西生活の信実を描き出した一福の図景である。

第285窟  窟頂東面

洞窟は中唐、西夏及び元代に修復された。窟頂東披中央に二力士が摩尼宝珠と咲き開いた蓮の花を持ち挙げているのが描かれ、sの両側には中国古代神話や伝説の中の伏羲、女媧、飛天、九面人面龍身と人非をえがいており、南側は鳥獲、飛天が描かれ、下方には森林で、猟する場面が描いてある。南側は鳥獲、飛天が描かれ、下方には森林で、猟する場面が描いてある。その中に、座禅の僧侶が正座して、心を打ちこんで修行しており、禅室外の山林の中には獣が出没していて、誠に変わった趣がある。

第285窟  北壁上層  説法図仁舗 (七仏之四、五、六)

図の北壁上層の東から第四舗は釈迦仏である。この三脅仏の下方は墨書発眼文の両脇は供養人の題名である。

第249窟  窟頂東面  力士棒摩尼宝珠

洞窟の塑像は清朝の時期に改修された。しかし壁面は西魏時代そのままの原作である。摩尼宝珠は即ち如意宝珠をいう。民間の伝えによればもしもこの宝珠を得た者は随意に欲することが可能なり、と言われる。図の中央には二力士の棒蓮華魔尼宝珠が描かれていて腕から翼が生え、強肩で有力である、その両側には飛天と朱雀が描かれ、下には人とチ鳥獲が曲芸を披露し、亀と蛇が相交わる玄武及び虎身人面九頭の開明神獣が等がいる。下方は山林や野獣である。作者の構図は実に趣がある。

第432窟  中心柱東向き龕の南側  脅侍菩薩

此処は、中心塔東方向の外南側の矜恃菩薩一尊で、1.22メートルの高さ。顔は四角で豊満、額は広く整い、眉は広く整い、眉が濃く目が美しい。小さな唇は薄く、イタリングが肩に垂れて、下向きに微笑んでいて、喜びの表情を見せる。体はスリム型で、上半身が裸形で、やや前へ傾いている。スカーフが肩から下へ垂れて腹部で結ばれ、更に肩へと戻っている。長い紅色のスカートで、その肘が対称で、前後ろに揺れ動き青と緑色が相交わって漂っている炎模様の光沢と光景が際立って、殊の外端麗さを呈している。塑像は極めて細かく丁寧に造られ、色彩も淡げで、姿態が痛美。「秀骨清像」と称えられる西魏時期に作られた塑像の代表的な作品である。

北周篇(557~581)

六朝の南北時代で西魏に続く時代で、557年~581年の間である。北周を以て南北時代は終り隋王朝となる。

第428窟   東壁   サッタナ太子本生

五代に改修された洞窟である。図はサッタ太子本生の物語で、北魏時代第254窟と同じ処理だが、テーマが異なる。絵の作者は壁を上、中、下の三層に等分し、長い絵巻の構図を成して、人物の物語のスジを際立たせる手法で、”人間は山より大きい”という表現形式で、それぞれのスジは山、樹木、家屋で間隔を取って、密接に接続する連関面を形成している。上層は北から三王子が深山に入り、飢えた虎を見てサッタ太子は虎の餌食となり、頸を刺されて出血し、、頸を刺され出血し、またが岸壁に投身する。下層は南から二人の兄が遺骸を見て悲痛の絶頂に陥り、馬を馳せて王宮に戻り、サッタの全てを報告すると、国王は遺骸を塔の中へ収めて供養する。

第428窟  南壁   飛天と菩薩

図上の上方は四半身半ば裸の飛天で、その内二身は琵琶と箜篌を奏で、二身は踊っている。下方の四身は供養菩薩で,一身は腋衣を身に纏い、手の浄瓶を下げており、残りの三身は上半身が裸形で、下半身にはペリシャ風のズボンを履き、腰には膝まで覆う物を結んで、スカーフは地に垂れている。身の姿は皆同じだが手と腕の姿態が異なる。

第428窟  東壁北側  スダナ太子本生(局部)

図は東壁の北側中層に位置する。作者は局面の物語のスジを上、中、下の三段に描き、その中には十数カ所のポイントの場面がある。本図には上段と中段だけの場面で、上段はバラモンの労働者が負傷したので白象に乗せてくれと乞い、するとスダバナは快く喜捨する。中段ハバラモンの労度叉が宝像に乗り敵国に帰国した。敵国の大臣は国王に太子の告げ口をすると、国宝は大いに怒り、スダナ太子を国外に追放した。

 

本稿では、西魏篇(535~556)、北周篇(557~581)の10点を紹介した。この先は隋代に入るが、この西魏篇、北周篇は、私の知見も少なく、難しかった。お読みになった方にも不便をお掛けしたと思う。隋代以降は、中国歴史として学んでいるので、もっと分かりやすく解説できるものと思う。

(本稿は、図録「敦煌石窟の珍品」、東山健吾「敦煌三大石窟」、「NHKシルクロード第2巻 敦煌」、山崎茂久「中国美術年表」を参照した)