日本書記成立1300年 特別展 出雲と大和(3)

大和の地に出現した前方後円墳は政治や権力の象徴で、王権の儀礼が繰り広げられた舞台でもある。メスリ山古墳の巨大埴輪や黒塚古墳に埋葬された大量の三角神獣鏡などは、大和を中心とした一つの国へとまとまっていく様子を示している。ヤマト王権は大陸との交流を中心とした一つの国へまとまっていく様子を示している。ヤマト王権は大陸との交流を通してさまざまな文物や技術を獲得し、そこで得られた舶載品やその模倣品を各豪豪族に与えることで、王権の基礎を堅固なものにしていった。このような流れから東アジア世界に組み込まれ、国家としてもまとまりを整えていったのである。本章(3)では、埴輪や副葬品にみる古墳時代の多彩な造形が豊かに展開するありさまをたどりながら、ヤマト王権の成立の背景に迫るものである。

重文 三角縁神獣鏡 島根県雲南市上原神社出土 青銅製 面径23.0文化庁

雲南市加茂町にあった神原神社古墳は29×26メートルの方墳である。河川改修に伴って発掘調査され、長大な割竹形木簡を納めた竪穴式石槨が調査された。神原神社古墳からは器台などの土器類のほか、武器類や農工具など多彩な金属製品が出土している。特に三角縁神獣鏡が良く知られている。紐の周囲に神仙と霊獣を配し、その外側には「景初三年」の年号が見える。景初三年(239)はいわゆる「魏志倭人伝」に見える耶摩台国の女王卑弥呼が魏に使いを送ったとされる年である。「景初三年」の銘が入る銅鏡は、国内ではほかに和泉黄金塚古墳(和泉市)の画文帯神獣鏡が知られている。この鏡は、三角神獣鏡のなかでも最古級の舶載鏡である。

重文 玉杖(ぎょくじょう) 奈良県メスリ古墳出土 古墳時代(4世紀)

メスリ山古墳は、奈良県桜井市高田に所在する墳丘長224メートルの前方後円墳である。古墳時代前期前半(4世紀前半)に大和古墳群南端で築造された。未盗掘の内部にはおびただしい数の副葬品が収められていた。副葬品には玉杖、鉄弓、鉄矢、農工具などがある。                          玉杖とは前期古墳出土の杖状の碧玉製品に便宜的につけられた呼称である。本品はメスリ山古墳の副室から出土した四本の内の二本で、杖頭部が翼状飾り、十字型飾りの二タイプがある。メスリ山古墳の玉杖は、杖頭、受部、杖部,石突の各部分からなり縦方向の孔をあけて鉄製や木製の軸心でつなぐ。

重文 銅製弣(ゆづか)一個 青銅製 長さ26.8cm  古墳時代

短冊状の銅製品であり、長さ26.8センチ、両端の幅3.2センチと中央から両端に向かって開く形状となる。側面から見ると両端が反り上がる形状となっており、弣として鉄弓に装着して用いられたと考えられる。中央部は蒲鉾型を呈し、六無文となる範囲が長さ8.4センチあり、その両端に長さ1.1センチの突帯(とつたい)が取り付き、一段高い形状となる。

重文 鉄弓(1張、1812cm)鉄矢 (鉄製、182cm)   古墳時代

後円部の副室内から出土した鉄弓は、全長182センチ、太さ2.2×2.4センチ、弓身の段面形は背が半円状になる蒲鉾型の鉄でつくられた細い針金状の弦が出土しており、本作品は身と弦の全体が鉄製である。弦をかけた痕跡が道められるものの、弓身と弦とのS津続方法は不明である。弓の下端から65センチから90センチの間に弣(ゆづか)の部分があり、周囲より太い突起が二か所ある。その長さと幅が銅製弦と一致するすることと出土状況から、銅製弣は本来弓身に取り付けられたいたものと想定される。弦まで鉄で作られた本作品が実用品でないことは明らかであるが、銅製弣の存在などから儀礼用の威儀具として制作されたものと考えられる。矢は、先端の鏃(やじり)だけでなく、矢柄や矢羽までの全体が鉄で作られている。後円部の副室内から同じ形状のものが計五本出土した。

重文 円筒埴輪 一個 土製  高さ 242cm

後円部に二重に立て並べられて方形埴輪列のうち、竪穴式石室の主軸線上に最も大型の円筒埴輪が立てられている。高さ242センチ、底部の直径90センチ、口縁部の直径131センチをはかり、現在知られている円筒埴輪では日本最大のものである。

重文 円筒埴輪 土製 二個 最大長 119.2cm 古墳時代

後円部上に立て並べられた方形埴輪を構成する円筒埴輪である。二重の方形埴輪列には約170個の円筒埴輪が用いられており、それぞれ接するように密に並べられていた。口縁部の直径131センチをはかる。

重文 三角縁神獣鏡 黒塚古墳出土品 33面 青銅製 最大面径 24.7cm

黒塚古墳は天理市柳本町に位置する全長約130メートルの前方後円墳である。櫛山古墳、大和天神古墳、行灯山古墳などと同じ台地上の西下方に立地する。埋葬施設は後円部中央に設けられた竪穴式石室で、割竹型木棺が安置されていた。鎌倉時代の地震による石室崩壊のため盗掘を免れ、多くの副葬品が残された。33面の三角神獣鏡は、断面三角形の高い縁を持ち、鏡背区内の主要文様に中国の神仙思想に基づく神像と獣形を反肉彫りにした、面径22センチ前後の大型青銅鏡である。黒塚古墳出土の三十三面はいずれも「舶載」とされるもので鏡種は二十五種類が認められる。内区主文様は四神四獣が二十四面と主体をしめる。黒塚古墳における同范鏡は七組十五面が認められるが、同一古墳への同范鏡副葬例の中では最多となる。

重文 画文帯神獣鏡 一面 青銅製 面径 13.5cm

木棺内の被葬者頭部に近接した位置に、直刀、剣、槍各1点とともに置かれていた。織物痕跡から、布に包まれたか袋に入れられたと推定される。紐は圏線が巡る円座に載り、紐孔から上方からやや丸みを帯びた方形を呈する。上下の神像は頭部を紐に向け、左右の神像は逆に外縁部に向く。上下の神像は冠表現から黄帝、左右の神像の表現から、それぞれ東王父、西王母とみられる。

重文 首飾  三連  石製 最大径 5.2cm

島の山古墳前方部に営まれた粘土槨の中央部、被葬者の胸付近から出土した。綾杉文を刻んだ八角柱の玉を親玉とし、菅玉、細長形菅玉、ガラス玉による三重で構成された首飾である。一連が碧玉製の菅玉である。その外側二連はほとんど類例のない、細く長い棺玉から構成されている。ガラス玉は菅玉から構成されている。ガラス玉は菅玉と細長形菅玉のそれぞれの連を束ねる位置にあったと推定されるが、時とともに飛び散って残っていない。副葬品の組み合わせから見て女性であった可能性が指摘される。

 

大和の地に出現した前方後円墳の中には、政治や権力の象徴である王権の儀礼を繰り広げた大量の出土品が含まれていた。現在、皇室関係の墳墓は、国の管理下にあり、民間の手では自由にならないが、それ以外の古墳からは様々な宝飾品や、遺品が発掘されている。我が国が、東アジア世界に組み込まれていく過程が見えるようである。古墳の内装品など興味が無いかもしれないが、日本古代史を語る上で欠くことの出来ない宝物である。面倒がらずに、是非丁寧に目を通して頂きたい。

(本稿は、図録「日本書記成立1300年 特別展 出雲と大和 2020」、図録「特別展 出雲ー聖地の至宝   2012年」、井上光貞「神話から歴史へ」を参照した)