春日大社   国宝殿の神宝

春日大社には、かねて宝物殿があったが、この度、第60回造替式を紀念して、新しく「春日大社 国宝殿」が新設され、多くの観光客が参拝に集まっていた。私も昨年(2016年)11月に新しく生まれ変わった「国宝殿」を訪ねた。この項では、「春日大社 千年の至宝」で伝えなかった武器、兜類を解説することにした。

春日大社   国宝殿の写真                                                   展示場の外観                入口

新しい国宝殿は写真に見る通り、入口と展示場が廊下で繋がっている。入口で入場券を渡すと、次の部屋は”真っ暗”な部屋であり、恐ろしくて歩けない。壁伝いに、少しずつ歩くと、やがて次の部屋へ移る。此の部屋には春日灯籠が数個懸っており、多少明るくなる。この部屋を過ぎると、鼉太鼓(だだいこ)(複製)が2個並ぶ部屋へ移る。

鼉太鼓(だだいこ)の外観

だ太鼓の概容を、外部から撮影したものである。だ太鼓は舞楽に用いる楽器であり、左右で一対となる。宮廷芸能である雅楽は平安中期に左右区別が生じ、左方を唐楽系、右方を高句麗系に分類して用いる。春日大社には源頼朝による寄進という伝承のあるだ太鼓が一対あり、この写真は昭和51年(1976)の複製である。

国宝  本宮御料古神宝類  黒漆平文装剣     平安時代(12世紀)

飾剣は高位の公家が佩用する刀装で、朝廷の儀式に参列する際、正装姿で見に着けた最も格式の高い太刀である。原型は奈良時代に舶載された唐太刀(からたち)に求められ、平安時代になると、刀剣が焼刃のない鉄身となるなどして早くから儀仗化した。この太刀は、柄(つか)を白鮫皮包として黒漆塗りの鞘に宝相華とおぼしき文様を平文で表した痕跡が残る。

国宝  菱作打刀                南北朝時代(14世紀)

付属の箱に「奉納 春日御社剣一腰(菱作打刀)右為財奉納如件 至徳2年5月22日(花押)」とある。至徳2年(1385)に藤原北家勧修寺(かしゅうじ)流の支流である葉室長宗が、この太刀を奉納したことがわかる。こうした奉納経緯がわかる刀剣は極めて珍しい。更に当時の刀装名称が確実に把握できる点も稀有である。

国宝 赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)(梅鶯飾)鎌倉時代(13世紀)

大鎧は、馬に跨って矢を射ることを目的に生まれた甲兜であり、胴の右脇で引き合わせ、広く開いた隙間を脇盾でふさぎ、大腿部を防御するため前後左右に草摺をつける。さらに、頭に星兜、胸上に栴檀の板と鳩尾の板、両肩に袖を加えるのが基本である。この大鎧は、本殿に隣接する宝蔵にあったことが知られ、同社のなかでも特に大切にされていたことが知られる。

国宝赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)(竹虎雀飾)鎌倉時代(13~14世紀)

この大鎧は、わが国の甲兜のなかでも、その華やかさにおいては屈指の作例として著名である。前作等と共に宝蔵に収められていたことが知られている。全体を緋色と呼ばれる茜(あかね)で染めた鮮烈な赤糸で威し、随所に繊細な彫金を施した金銅の金物をつけ、その色彩的なコントラストは目にもまばゆい。

国宝  籠手(こて)           鎌倉時代(13世紀)

籠手(こて)は、鎌倉時代においては弓を射るのに適した「片籠手」と呼ばれる左手と腕を守るものが一般的で、両側を守る「緒籠手」(もろこて)は討物合戦が普及した南北朝時代にから主流となった。この籠手は、諸籠手の最初期の作例とされ、かっては興福寺勧修坊に伝来し、源義経が兄・頼朝に追われた際、この籠手を同坊に残していった伝承から「義経籠手」とも呼ばれた。

 

ここで紹介した武器・武具は、単なる武器。武具ではなく、本質的には制作当時の最高の技術と高度な造形感覚を結集させて誂えられた「特別な宝」であり、決して武具ではない。ここに示した刀剣や甲兜は、見事な装飾に飾られ、これらの刀剣や甲兜が、単なる武器・武具ではなく、神へ奉納する最高の品であることを物語るのである。

 

(本稿は、図録「春日大社 神々の秘宝」、図録「春日大社 千年の至宝 2017年」を参照した)