東京国立近代美術館 2016年度第1回館蔵名品展  (昭和)

2016年第1期館蔵名品(MOMATコレクション)展の昭和時代の名品を紹介する。

ガス燈と広告  佐伯祐三作  油彩・キャンパス   昭和2年(1927)

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壁に貼られたポスター、しかもそこに書かれた文字が、絵の重要な要素になっている。はねるような文字の書き方=描き方と、画面左下に見える女性と子供の靴の描き方はほとんど同じ、ガス燈の根元も同じである。全体にみなぎるリズムは、そうしたところかtら生まれると言ってよいだろう。佐伯祐三は、パリの街、裏町風景を描かせれば、一流の画家であった。ヴラマンクやユトリロの影響が大きい。ポスターが一杯貼られている壁の街の、沈鬱な哀愁に翳る画面を描かせれば大一級の画家である。この絵では、暗褐色の家並のうえに淡く青い空がわずかに見え、家並の壁には一杯に白、赤、黄、緑に彩られたポスターが張付けられている。佐伯を継ぐ画家は荻須高徳(たかのり)である。

モランの寺  佐伯祐三作  油彩、麻布      昭和3年(1928)

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彼は1927年に再びパリに留学し、6ケ月で145枚の絵を描いたとされている。この白熱的な制作が、決局その寿命を縮めた。彼の最後の制作の高揚期となったのは、1928年2月の約1ケ月のパリ近郊の村モランへの写生旅行であった。この時に描かれた作品の中で、特に村の教会堂をさまざまな視点から描いた連作がある。この作品は、その連作の中でも、まず第一に挙げられるべき作品である。形は単純化され肉太の強い描線で描かれたこの「モランの寺」は、「ガス燈と広告」とはまた別の魅力を持っている。

金蓉(きんよう)安井曽太郎作 油彩、キャンパス   昭和9年(1934)

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モデルは小田切峰子という女性である。5ケ国語に通じた才人で、普段からチャイナドレスを着ていたため、「金蓉」という中国風の愛称で呼ばれていた。その名を与えた父親は、上海総領事を務めた外交官の小田切寿之助だという。安井は肖像を描く場合、さまざまな角度からモデルをスケッチした。ここではおそらく複数のスケッチを合成し、わざと身体の各部分を不釣り合いにしている。そのことが今にも人物が動き出すかのような印象を生み出している。本作は、発表直後からチャイナドレスの部分の多数のひび割れが入ってしまっている。その状態で長らく知られていたが、2005年の修復により、ひび割れの部分の補填・補彩することで、現状となった。肖像画を得意とした安井曽太郎の代表作である。傑作と思う。

空港  北脇 昇作  油彩、キャンパス   昭和12年(1937)

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1937年頃からシュルレアリスムの影響を示している。シュルレアリスム(超現実主義)とは、人間の夢や無意識を探究するフランス発祥の芸術動向である。北脇は、しばしば身近なものを別の何かに見立てる手法で異世界を描き出した。この作品ではカエデの種は飛行機に、ヒマワリの種のようなものは管制塔風の建物に見える。上空に浮かぶ木片はまるで宇宙ステーsィヨンのようだ。ごく小さなものが巨大なものになり、広大な世界が出現したのである。静かなのにどこか不安を掻きたてる作品である。阪神淡路大震災を機に書かれた村上春樹著「神の子どもたちは踊る」(2008年)の表紙に使われたそうである。

北京秋天  梅原龍三郎作 油絵、岩絵具、紙  昭和17年(1942)

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梅原の絵の中で、私が一番見たかった絵画である。この絵を前に快哉を叫んだ。1日を割いて、近代美術館へ来たかいがあった。1939年に初めて北京を訪れた梅原は、色彩感豊かで量感のある街並みに魅せられた。その夜彼は、戦時にも拘わらず、43年までに合計6回も同地を訪れ、数多くの名品を描いた。本作に描かれているのは紫禁城で、明・清時代の王宮で、現在は「故宮」の名で知られている。定宿のホテルの窓から見える紫禁城を描いた本作について、梅原は「秋の高い空に興味をもった。何だか音楽をきいているような空だった」と述べている。その言葉通り、空がとても印象的である。しかも、どこか透き通って見えはしないだろうか。実は本作は、日本画で使われる岩絵具が、油絵具とともに使用されている。しかも支持母体は紙である。西洋と日本双方の技術を用いつつ紫禁城を描いた時期が戦中であったことから、梅原のなみなみならぬ意欲を推し量れるだろう。しかし、今の北京の空はPM2.5で真っ暗である。梅原がみたら、さぞかし残念に思うだろう。

Y市の橋  松本俊介作  油彩・キャンバス   昭和18年(1943)

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岩手県で幼少期に聴力を失った。1929年に上京し、太平洋画会研究所に学ぶ。35年二科会に初入選。43年靉光(あいみつ)、麻生三郎らと新人画会を結成した。戦後の46年に日本美術協会、47年に自由美術家協会の設立に参加するが、48年に急逝した。Y市とは横浜市のこと。俊介は横浜駅近くを流れる新田間川の風景を、角度を変えて何度も描いている。月見橋とその奥に見える跨線橋、そして右手に見える国鉄の工場が織りなす景色の造形的な面白さを発見したのである。若くして亡くなった松本に対する評価は高い。

道  東山魁夷作  紙本彩色、額     昭和25年(1950)

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東山魁夷は1947年(昭和22)に第3回日展に「残照」を出品して、それまでの低迷を抜け出し以後の自分の方向をつかんだ。1950年第6回日展に出品した「道」は「残照」の延長線上にあり、温雅で平明な自然のとらえ方や単純化された構図などは、魁夷の作風のの特徴をよく示している。これは青森県八戸の種差海岸にある牧場で写生した道だが、画家が初めて八戸を訪れたのは十数年前も前のことだった。その時は灯台や放牧馬も描き込まれていたがスケッチからヒントを得て、道ひとつに構図を絞り、他の説明をすべて省いて画面を構成したものである。画家自身がこの絵について「遍歴の果てでもあり、また新しく始まる道でもあり、絶望と希望をおりまぜてはるかに遠く一筋の道であったーそして遠くの丘の上の空をすこし明るくして、遠くの道がやや右上がりに画面の外に消えていくようにすることによって、これから歩もうとする道という感じが強くなった」と語っている。作者にとっても、忘れえぬ作品である。なお、2016年7月31日に九州国立博物館を訪れた際に、「東山魁夷」展が行われており、そのポスターの写真が、この「道」であった。代表作なのだろう。

雨  福田平八郎作  紙本彩色、額     昭和22年(1953)

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写実から出て装飾的な美の世界を構築することを目指した福田平八郎の芸術の特徴をよく示しており、ほとんど単色に近い色彩と極端に単純化された形で、自然の情景をじつにこまやかにとらえている。素描を重ねながら、次第に説明的な要素を省き、究極的には瓦を主体に凝縮した形に要約するのである。京橋の近代美術館で見た時から、忘れ得ぬ1枚になった。久しぶりの再会が楽しかった。

 

流石に、東京国立近代美術館には、優品が多い。中でも梅原龍三郎の「北京秋天」には感激した。「道」や「雨」は再会ではあるが、懐かしく何十年前の感激を思い出した。古典絵画も良いけれども、現代絵画にも素晴らしい絵画があることを痛感した。

 

(本稿は、図録「「国立近代美術館 名品選」、図録「近代日本の美術  1984年」、図録「日展 100年  2007年」、土方定一「日本の近代美術」、岸田麗子「父 岸田劉生」を参照した)