東京富士美術館  東山魁夷展

東山魁夷(11903~1999)展が、東京富士美術館で開催され、大勢の観客を集めている。今年は、東山魁夷生誕110年に当たり、東京国立近代美術館でも、今秋に大掛かりな「東山魁夷展」の開催を予定している。今年は、東山魁夷の主要作品が、東京で観覧できる好機である。今回の展覧会は、長野県信濃美術館の東山魁夷観が改修されるため、その間を利用して、その主要作品を中心にして、若干の個人蔵作品も含めて78点を展示する、かなり大がかりな展覧会であった。東山魁夷は明治41年(1908)に横浜に生まれ、1911年(明治44)に一家をあげて神戸に転居し、そこで幼少年期を送った。1926年(大正15)、東京美術学校に入学し、同級生には橋本明治らがいた。在学中を通じて特待生に選ばれた。夏、友人と天幕を背負って信州を旅し、木曽川を遡り御嶽山に登る。初めて接する山国の雄大な自然に深い感銘を受けた。1931年(昭和8)同校を卒業し、引き続き研究科に進み結城素明に師事し、自ら考えた「魁夷」を雅号とする。第12回帝展に卒業制作「焼岳初冬」を出品し入選した。1933(昭和8)同校研究科を修了し、8月、西洋美術研究のためドイツに留学した。第1回日独交換奨学生に選ばれて、以後2年間の留学費をドイツから支給された。1947(昭和22)第3回日展に出品した「残照」が特選・政府買い上げとなり、風景画家として立つことを決意した。その後、日本画壇の重鎮として、風景画を中心に描き、1973(昭和48)、唐招提寺御影堂の障壁画を描くことになり、日本各地の海岸、山地を取材した。これが完成し、1982年(昭和57)に日本橋・高島屋で「東山魁夷 唐招提寺全障壁画展」を開催した。1990年(平成2)長野県信濃美術館に併設して「東山魁夷館」が開館。1999(平成11)91歳で没した。従三位、勲一等瑞宝章を贈られる。7月、東山開館を望む長野市の善光寺大本願寺花岡霊園に葬られた。日本画の風景画の第一人者であった。なお、今回は、東山魁夷美術館の作品のみを取り上げた。

花明り東山魁夷作1964~66(昭和39~41)56~58歳京都市円山公園

昭和30年代半ば、「京都は今描いていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いてください」という作家・川端康成の言葉が魁夷の心を動かし、「京洛四季」(けいらくしき)連作へと導いた。この「花明り」は、京洛四季の一作品であり、京都円山公園の「枝垂桜」を描いたものである。正に、この頃の円山公園の桜が一番美しい時代であった。京都の桜と言えば、まず円山公園の「枝垂桜」である。

北山初雪 東山魁夷作 1964~66(昭和39~41)56~58歳京都府周山街道

この作品も「京洛四季」(けいらくしき)連作の一点である。周山街道に沿う北山杉が初冠雪した様子を描く優品である。この展覧会では、「京洛四季」から6点が選ばれていた。魁夷の代表作の一つである。風景画のみでなく「祇園祭」などの行事を描いたものもある。

水辺の湖 東山魁夷作 1972(昭和47) ドイツ北部・オイティン

この作品は、(白馬の見える風景」シリーズの1点である。東山魁夷がドイツ・オーストリアを旅行した際に訪れたドイツ北部の町オイティンに取材した。「魔弾の射手」で知られる作曲家ウェーバーの生地であるオイティンには幾つかの湖がある。その岸辺の草はまだ枯れたままであるが、春の近いことを感じさせる頃だったという。早朝の湖面を這う朝霧が晴れてゆくその静かな湖のなかに、東山は、草を食んでいるかのような白い馬を描き入れている。1960年代の北欧に取材したシリーズは晩年まで、「青の世界」が圧倒する。しかし、私には、日本の風景を彩る「東山ブルー」と、北欧を彩る「東山の青」とは、異なるように感じる。

夕静寂 東山魁夷作 1974年(昭和49)66歳 長野県~岐阜県・奥保高

前年から唐招提寺御影堂第一期障壁画の画材を捜すために、冬の日本海岸から出発して、初夏の頃には黒部や飛騨に歩を進めた。高山から平湯峠を超えて、穂高岳と笠が岳に挟まれた奥穂高の、渓谷に進むと、東山が期待していたような、谷間から山肌に縫いつくように霧が立ち昇ってゆく様子を眺めることができた。ただ、この作品では霧は入れず、青一色で描いたものである。画面の上部にわずかに空を覗かせた構図は、山岳の高さと険しさを表している。そして濃紺一色を配した山容において、わずかな色美の差を使いながら山の深さを表現しようとしているのはまさに絶妙である。最終的な画面で最大のポイントとなっているくの字に曲がった滝は、想像で描かれたものだろう。静寂を表現するために、無音ではなく、あえて描かれた滝の水音によって緊張感がもたらされている。

黄山雨過 東山魁夷作 1978年(昭和52)70歳 中国安徽省・黄山

黄山は、中国の名山の一つとしてその美しさを讃えられ、多くの文人墨客が水墨画、漢詩などの題材とした。浸食によって作られた断崖絶壁の峰が林立し、峰と霧や雲が織りなすさまは黄山三奇(奇岩、奇松、雲海)と言われ、まさに仙境の名にふさわしい地である。東山魁夷にとって、唐招提寺障壁画第二期の題材として、揚州、桂林とともに描きたかった場所でもあった。中国側の規制もあってなかなか取材の希望が叶わず、やっと登れた時は70歳になっていた。東山魁夷の執念が見て取れる一図である。

静唱 東山魁夷作 1981年(昭和56) 73歳 フランス・パリ郊外・ソース公園

ソース公園は、フランスのパリ郊外にあり、200ヘクタールの広さを持った市民の憩いの場である。もともとは国王ルイ14世の宰相のコルベール(かの重商主義者のコルベールである)の邸宅と庭園であったが、近代になって公園として整備された。彫刻や噴水などが点在し、運河、湖沼などもあり自然保護区にも指定されている美しい公園である。全体を淡い灰青色で統一して、早朝の気配を感じさせるとともに、構図を一層引き立たせている。

春兆 東山魁夷作 1982年(昭和57)74歳 デンマーク・コペンハーゲン

コペンハーゲン近郊のフレーデンスポー宮殿の庭園には広大な自然林がある。暗く高い針葉樹の森は冬を象徴し、その近景に垂れかかるような対照的な小枝には、さながらレースカーテンのように、樹々の新芽が無数に萌えている。北の国の長い冬から春の予兆が見える森の新しい息吹に、命の強さを感じたのであろう。

緑響く 東山魁夷作 1982年(昭和57) 74歳 長野県茅野市の御射鹿池

八ケ岳山麓の蓼科高原には、湖沼や渓谷が織り成す深山の景観が見られる。その奥蓼科にひっそりと佇むこの御射鹿池(みしゃがいけ)の名は、神に捧げるための鹿を射るという、諏訪大社に伝わる神事に由来している。初夏の鮮明な緑の原生林に囲まれた清らかな雰囲気と、それを水面に映す神秘性によって、東山作品のなかでも自然の、奥深さを追求した代表的な作品である。連作「白い馬の見える風景」の最初の記念品的な作品である。「緑響く」はシリーズのなかでも最も人気の高い1点である。この展覧会のポスターにも、この作品が使用されている。

静映 東山魁夷作  1982(昭和57) 75歳 長野県・斑尾高原の希望湖

長野県民文化会館の緞帳を依頼された東山魁夷は、長野の人々に親しみのある風景を考えた。緞帳の極端に横長のプロポーションに合せるために、清澄な山の湖である希望湖を選んだ。季節は初夏、早朝の静かな情景を想起した。希望湖は長野県の北西部、斑尾山のさらに奥にある。周囲がおよそ2.5kmの小さな湖であり、白樺や橅(ぶな)の原生林に囲まれた静かで美しいところである。私は「東山ブルーの最高傑作である」と考えている。東山魁夷の74,5歳頃の作品には優れたものは多いと思う。

緑の窓 東山魁夷作 1983年(昭和58) 75歳 ドイツ・ラムサウ

ラムサウは、ドイツとオーストリアの国境に近い山岳地帯にあって、背後にはドイツ有数の高山ヴァッツマン山がそびえている。大と森と湖を望む風光明媚な観光地・保養地としても有名である。本作品は、そこで体験した一瞬を捉えたものである。画家は、空に浮かぶ白い雲に、心を洗われた思いがし、詩人ならば一遍の詩が生まれたであろうが、自分は画家だからスケッチブックを開いてスケッチし、自宅に戻ってアトリエで制作したと述べている。

夕星 東山魁夷作 1999年(平成11)90歳 長野県長野市善光寺花岡霊園

91歳で没した東山魁夷の絶筆である。東山魁夷が葬られた善光寺後方の花岡霊園を想起させる風景である。木立や水面に映る影を中ほどに集め、夕空にひとつ輝く星は、あまりにも抒情的な光景である。

 

東山魁夷の作品78点を集めた展覧会であったが、結局74,5歳頃の作品を集中的に取り上げた結果になつた。画家の好きな「青色」の作品ばかりになったが、実は「行く秋」などドイツで描いた黄色の絵も含まれていたが、あえて私の好きな「東山ブルー」の作品が中心になりたのは止むを得ないことだと思う。東山魁夷の15歳の自画像が油絵で描かれ、最初に陳列されていたが、本来、画家は洋画家を目指していたらしい。しかし、日本美術学校に入学した時は、日本画科であり、私としては日本画家でよかったと思う。彼の「道」の習作が7点も並んでいたが、完制作は東京国立近代美術館にあり、この「美」でも紹介したことがある。しかし、1作のための7件も習作を作るものかと驚いた。更に「道タペストリー」が1995年(平成7)に西陣織で織布として陳列してあったが、「道」が、かくも作家にとって大事な作品であつたのかと、驚きを新たにした。画家の執念のようなものを感じた。参考までに、信濃美術館の東山開館について述べておきたい。作品を見てもお分かりの通り、日頃、東山魁夷は長野県を風物を愛し、長野県の風景を題材ににして、いくつかの秀作を発表している。生地でもなく、自宅でも無い長野市に東山魁夷が作品と図書を、寄贈し、県は1990年(平成2)4月に、信濃美術館の東山魁夷館として開館した。収蔵品は、現在、960余点に及び、展示室では約70点を常時展示し、年6回程度の展示替えを行っている。善光寺の境内に近い場所にあり、私は度々、この美術館に足を運んでいた。しかし、見ただけで記録を書かなかったため、記憶に残るのは2,3点であった。「美」を書くことによって、この大半は記憶に残るだろう。

(本稿は、東山魁夷館「東山魁夷・永遠の風景」、東京国立近代美術館「名品選  2016年、東山魁夷「唐招提寺全障壁画」を参照した)