東大寺   お堂(1)

東大寺には、今まで上げた南大門、大仏殿、法華堂、二月堂以外に多数のお堂が有り、中には国宝や重要文化財に指定されているお堂、仏像、彫刻も多い。ここでは御堂の名称で、出来る限り数多くの堂宇と、その中に収められた仏像、彫刻等を記録しておきたい。案外、専門書にも書かれない御堂がある。

重要文化財 四月堂(三昧堂) 寄棟造 本瓦葺  江戸時代(17世紀)

法華堂の西に、東面して建つ3間四方の堂である。現在の堂は延宝9年(1681)の建立であり、延宝再建時は宝形造りであったが、その後元禄16年(1703)に改造されて、現在のような寄棟造になった。「法華経」を読誦(どくじゅ)して犯した罪障を懺悔して、諸仏の前で赦しを乞う「法華三昧」という法会を行ったことから、三昧堂と呼ばれ、古くは普賢堂とも呼ばれたそうである。千手観音像を本尊とし、須弥壇の両脇に阿弥陀仏と薬師如来像を祀る。北側(裏側)に旧本尊の普賢菩薩像を安置している。

重要文化財  千手観音菩薩立像  木造  彩色       平安時代(9世紀)

正しくは十一面千手千眼観音と呼ぶ。この観音には千の手があり、しかも千手の一つ一つに目が付いていることによって一切の衆生の苦しみをその目で見、その手で救って下さるという。一番多いのは、千手を絞って四十二臂としたものである。この像も、四十二臂と四十二目と見られる。(現在、東大寺ミュージアムに安置されている)

重要文化財 普賢菩薩騎象像  木造  彩色     平安時代(9世紀)

四月堂(三昧堂)の旧本尊であり、現在は北側(裏側)に安置されている。普賢菩薩は、文殊の知恵に対し普賢の行願といい、法華の行者あれば常にこれを護念するといい、普賢菩薩はそれを表している。象に載り合掌する姿が多いが、この像は合掌していない。法華三昧の本尊として祀られることが多い。制作は平安時代と考える。

国宝  開山堂 宝形造 本瓦葺  慶長2年(1250)鎌倉時代(13世紀)

二月堂の西にある開山堂は、元来は重源の造営したお堂で、四方に回縁(まわりえん)を備えた1間の小堂であったが、移築し拡張したものである。開山良弁僧正坐像(秘仏)を安置することから良弁堂とも呼ばれる。開山堂は、重源没後の建長2年(1250)に現在地に移された際に外陣を付加して、方3間の堂となった。小堂ではあるが、純大仏様式の建築として、東大寺再建時の数少ない貴重な遺構である。

国宝  良弁僧正坐像  木造 像高92.4cm  平安時代

等身大の堂々とした檜の一木造りの坐像である。開山堂内陣の六角の厨子に祀られている。右手に生前愛用と伝える如意を構える。壮年期の良弁の風貌を写したと言われる。開山堂に安置され、秘仏であるが、12月16日の良弁忌に特別開扉される。なお同じ日に、法華堂の秘仏「執金剛神立像」も開扉されるので、覚えておくと2つの秘仏を拝める。

手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)入母屋造 本瓦 江戸時代(17世紀)

法華堂の南に建つ建物である。もとは東大寺鎮守八幡宮といい、宇佐神宮(大分県)の宇左八幡宮大上(おおかみ)を勧請(かんじょう)して建てられた。八幡宮は、東大寺大仏の建立について託宣を下したことで、天平勝宝元年(749)東大寺に勧請され、それとともに神仏習合によって八幡大菩薩となり、仏教寺院の鎮護神として広まった。興福寺が、神仏習合で、非難され、五重塔が焼かれるような運命に遭ったが、さすがに東大寺には、時代の荒波も押し寄せなかったようである。現在の本殿は、公慶上人により元禄4年(1692)に再建された。

重要文化財 大湯屋 正面入母屋造 背面切妻造 本瓦葺 室町時代(15世紀)

大仏殿の北に当たり、鐘楼のある岡の北の谷間に建つ。当初の建物は治承4年(1180)の兵火で焼け、重源により再建された。以後、幾度かの建て替えや修理を経て、昭和の解体により、15世紀初めの応永年間修理の時の姿に復元された。大仏様と禅宗様を混用し、東大寺の伝統と斬新なデザイン感覚を見せる建物で、中世の沐浴の様子を伝える貴重な遺構である。

 

東大寺には、正倉院とか転害門(てがいもん)とか、様々な御堂が建っている。今回は四月堂、開山堂、手向山八幡宮、大湯屋など法華堂に近いお堂を招介したが、次回以降は、お堂(2)や遺跡などについて稿を改めて紹介したい。

 

(本稿は、ビジュアル文庫「東大寺」、図録「東大寺大仏 天平の至宝 2010年」、原色日本の美術全30巻のうち「第3巻 奈良の寺院と天平彫刻」、「第9巻中世寺院と鎌倉彫刻」、探訪日本の古寺第12巻「奈良Ⅲ」を参照した)