東大寺   戒壇院

栄耀(えいよう)と普照(ふしょう)、二人の僧が、授戒の師を求めて入唐(にっとう)したのが、天平5年(733)である。その9年後、二人は慶州大明寺(だいみょうじ)に鑑真を訪ねて授戒師の渡航を懇願した。鑑真は日本への渡航を志して12年、5度にわたる挫折を経験して、天平勝宝5年(753)に日本の土を踏んだ。翌年(754)2月に平城京に入り、4月には大仏殿前に戒壇を築き、聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇らに正式な綬戒を行った。後に建立された下野国薬師寺、筑紫国観世音寺の戒壇とともに「三戒壇」と呼ばれ、東大寺の戒壇院は、官僚の養成所として重きをなした。戒壇院の建立は東大寺要録によれば、天平勝宝7歳(755)である。この戒壇院は、東大寺境内の西方に建てられているが、大仏殿前に築いた戒壇との関係について不審に思っていたが、今回精査することにより、全く別途のものであることが判明した。大仏殿前には、灯籠があったので、多分、大仏殿前の右か左の広場(現在の回廊の中)であったと思う。戒壇院の創建は、天平勝宝7歳(755)であるが、兵火などにより3回も焼失した。現在の戒壇院は、江戸中期の享保17年(1732)に再建されたものである。

戒壇院の入口                    江戸時代(18世紀)

戒壇院には、東大寺要録によれば、講堂、三面僧坊などがあったことが知られているが、現在は千手堂が付属するのみである。現在の戒壇院は、やや丘のように盛り上がった地であり、階段を上がると四脚門がある。大仏殿には、年間数百万人の観光客が来るが、戒壇院まで来る人はその5%にも満たないそうである。確かに、私が戒壇院を訪れても、殆ど見物客を見ない。

戒壇院建物                   江戸時代(18世紀)

四脚門を入った戒壇院は本瓦葺きで、正面に広い光背が付いている。

戒壇院建物を取り囲む白い庭

戒壇院を取り囲む庭は、白く清められている。とても気分が爽快になり、改まった気持ちになる。

戒壇院内部

中央に多宝塔、2段目に四天王像を安置している。戒壇院内には、多宝塔を中心に、剣を握る持国天、戟を持つ増長天、右手で宝塔を捧げる多聞天、筆と巻子を両の手にした広目天が安置され、四周を守護している。この四天王像は、私は天平彫刻の最高傑作であると思う。全身に彩色紋の痕があって、造立当時の華麗さをしのばせる。創建当初の戒壇院には銅像の四天王像が祀られていたが、平家の戦火で焼かれ、現在の塑の像は、江戸時代の享保17年(1732)に戒壇院が再興された時、中門堂にあった四天王の古像をここへ移したものであるとされる。(私は、一番昔は法華堂内に安置されていたと考えている)

国宝  持国天像  塑像彩色  像高 163.6cm  奈良時代(8世紀)

東南に位置し、かれのみが兜をかむり、手には剣をとって、足はしっかりと邪鬼を踏む。また、目はしっかりとみひらき、口はぎゅっとへの字に結んで、像身全体に断固たる意志力がこめられている。

国宝  増長天像  塑像彩色  像高 163.6cm  奈良時代(8世紀)

西南隅に立ち、右手に矛をつき、左手を腰にあて、大喝しながら厳しく相手に迫ろうとする姿である。このように持国天と増長天には、ともに仏敵破㳃の積極的なはたらきが示されている。

国宝  広目天像  塑像彩色  像高 163.3cm  奈良時代(8世紀)

広目天は筆と経巻を持ち、よく儀軌に従っている。私は、高校2年生の時に、京都大学を出た若い英語の教師に、この写真を示され「どうです。いいでしょう。怒りが内にこもっているところが素晴らしいでしょう」と説明されたことがあった。ひょっとしたら、この先生の影響で、大学時代に大和古寺巡礼の旅を思い立ったかも知れない。17歳の高校生に与えた影響は実に大きいと思う。そのせいか、四天王像の中では、この広目天が一番好きである。

国宝  多聞天像  塑像彩色  像高 162.4cm  奈良時代(8世紀)

東北隅に立つ。宝塔を捧げるところは儀軌にしたがっている。この広目天、多聞天の二像の形状は非常に静的であり、顔の表情もほとんど怒りをおもてに表さず、細くあけられた目の奥で、視線はなにか永遠なものへ向かってじっと見据えられている。しかしその知的な瞳は、前に立ついかなる者の心中を鋭く見通してあやまりなく、もしも邪悪な心の者があれば、この像の喝破を受けておのずから悔いあらためざるをえないものであろう。広目・多門の二天に現されているものは、仏の静かな叡智がうちに秘める偉大な力である。

 

様々な思い出を持つ四天王像は、私に何時も大きな喜びを与えてくれる。これほど、激しくて、静かな四天王像は見たことがない。仏敵の降伏をちかう四天王の姿勢にも、内面的なものと外面的なものとの二態があることは、この戒壇院の像によく具現化されているわけである。この四天王の制作者は、これが群像表現の上に動と静のみごとな対称として芸術化したものである。

 

(本稿は、図録「東大寺大仏ー天平の至宝  2010年」、ビジュアル文庫「東大寺」、探訪日本ンお古寺全15巻の内「奈良Ⅲ」、田中英道「日本美術史全史」、原色日本の美術全30巻の内「第3巻 奈良の寺院と天平彫刻」を参照した)