東大寺   東大寺ミュージアム

東大寺は多数の仏像や文化財を多数保有している。東大寺の文化財を総合的に展示する施設が無く、長年に亘り奈良国立博物館に寄託されていたが、平成23年(2011)秋、南大門を入った左手に東大寺ミュージアムが建設され、文化財の展示に自前の施設を持つにいたった。実は、東大寺ミユージアムは、東大寺総合文化センターの一部であり、全体像は東大寺図書館、東大寺研究所、華厳学研究所、東大寺ミュージアム、更に金鐘(きんしょう)会館(研修施設)の四つが、総合的に整備され、展示施設が東大寺ミユージアムなのである。

東大寺ミュージアムの外観

東大寺ミュージアムには法華堂にあった伝日光・月光菩薩像、吉祥天像、弁財天像、の4体の塑像が安置されているほか、東大寺の仏像、考古、絵画、工芸など多くの文化財がテーマを設けて逐次公開される予定である。現在は「東大寺の歴史と美術」と題する展覧会が2013年秋より続いている。

重要文化財  千手観音菩薩立像  三昧堂(四月堂)  平安時代(9世紀)

法華堂の西側の三昧堂(四月堂)に安置されていた仏像であるが、現在は、ミュージアムに安置されている。これを本尊として伝日光・月光菩薩像が両脇に侍する。仏像の詳細については、御堂(1)に詳しく書いた。この像に関しては造立当時の記録が欠けているが、江戸時代に浄土寺から法華堂に移され、明治以降に三昧堂に移動したとの記録が残っている。

国宝 伝日光・月光菩薩立像  塑像・彩色       奈良時代(8世紀)

伝日光菩薩像          伝月光菩薩像

 

仏像の詳細は、法華堂(2)で既に行っている。貴重な奥論文の成果は、東大寺は認めず、あくまで法華堂の「客仏」として扱い、現在は東大寺ミュージアムに属する。千手観音菩薩立像に侍立する形で展示されている。日光・月光菩薩像の袖口がやや青味を帯びているが、平成の修理で、色彩が補色されたのであろうか。

重要文化財  自国天立像            平安時代(12世紀)

かって永久寺にあり、明治の廃仏稀釈時に二月堂に寄進され、東大寺の寺宝となった。左手に剣、右手には宝珠(現在は亡失)を持つ姿は、像内納入品の図像や経典の記載と一致する。宝髷、宝冠、天衣等が別財製であることがこの像の特徴であり、次の多聞天立像との相違点である。

重要文化財  多聞天立像           平安時代(12世紀)

上の持国天立像と同じく、永久寺に伝来したものであり、東大寺に寄進されて、東大寺の寺宝となった。左手は下げ、右手は握り上げる。現在は右手先は失われている。ちょうど多聞天の視線の先に失われた右手先があり、本来は掌に宝塔をのせ、これを見上げる像容だったと推察される。持国天像とは作風、構造ともに異なり、同じ永久寺に伝来してはいても、一具では無いと思われる。

重要文化財  西大門勅額  木造、彩色    奈良時代(8世紀)

平城京の二条通りの東端に西面して建てられていた西大門に掲げられた額である。門は天平宝宇6年(762)に建築あるいは修造されたことが知られる。額面には「金光明四天王護国之寺」の字は、聖務天皇お筆になると伝えられ、そのために勅額と呼ばれる。8体の仏像が補われているが、これは8体すべてが鎌倉時代の制作であることが明らかになった。一説には仏師快慶の作であると言われている。

国宝  金銅八角灯籠火袋羽目板  銅鋳製、鍍金    奈良時代(8世紀)

東大寺前面の八角灯籠の火袋に取り付けられる羽目板四面のうち、かって東北面に嵌め込まれていた一面である。音声菩薩の姿をレリーフ状に表している。菩薩は肉感表現が豊かで、下半身にはたっぷりとした裳(も)・裙(くん)を着け、天衣(てんね)や丈帛(じょうはく)を身にまとう。

 

東大寺ミュージアムは、東大寺の歴史や仏像を手軽に拝することが出来、大変便利であるが、よくよく調べてみると、「所属の不明な仏像が工芸品」が、便宜的に保管・展示される保管庫代わりになっていることが明らかになった。特に、不憫に感ずるのは、天平時代の最高傑作と目される日光・月光菩薩像が、まるで行き場所の無い仏像と見なされ、沢山の仏像類と一緒に祀られていることである。今回、東大寺ミュージアムに入り、詳細に調べてみて、「法華堂の客仏と見なされた日光・月光菩薩と吉祥天、弁財天の四体の塑像を、ミュージアム所属に改めた」とする見解である。まるで「行き場所の無い仏像を一緒にして、ミュージアム保管に改めた」と宣告したようで、悲しく、情けない思いに駆られた。多分、私は東大寺ミュージアムに二度と入ることは無いだだろう。

 

(本稿は、図録「東大寺大仏 天平の至宝  2010年」、ビジチュアル文庫(東大寺」を参照した)