横 山 崋 山 展

 

江戸末期に京都で活躍した画家・横山崋山については全く知らなかった。NHKの日曜美術館で、「伊籐若冲に並ぶ画家」と教えられ、東京ステーション・ギャラリーで見学した。結論から言うと、「伊籐若冲と並ぶ」は言い過ぎであるが、一応注目しておく画家であることは間違いない。特に風俗画に勝れ、最後の作「祇園祭礼図」は素晴らしい傑作であり、歴史的記録としても貴重である。横山崋山(1781/4~1837)は江戸後期の京都で活躍した絵師であり、画壇の潮流に左右されない自由な画風と筆遣いで人気を博したと言う。同時代の記録によれば、かなり有名な絵師であったらしいが、大正、昭和期に入ると、いつしか無名の画家になってしまった。図録では「樺山崋山を見逃せない」という記事を描いている辻惟雄氏(かの「奇想の図譜」を書かれた)が、「私も実はこれまであまりよく知りませんでした」と冒頭に延べられている。この展覧会の聡監修者であった永田生慈氏(故人・葛飾北斎研究の第一人者)は、約20年前から崋山に興味を持ち、少しずつ「崋山の画業」を研究してこられ、「今は埋もれてしまったが、必ず年何年後に再評価される画家だ」と話されていたそうである。辻惟雄しは、最晩年の「祇園祭礼図」を絶賛されるが、私は初期のものから十分研究し、評価できる絵師ではないかと思う。詳しい履歴は略すが、越前の生まれ、京都の横山家に養子入りし、そこで曽我蕭白(1730~81)の絵に接し、その影響を受けたようである。その後、岩駒(がんく)に師事し、呉春に私淑して一家をなし、西洋風の陰影も学び、いずれの傾倒にも属さず、「平安人物誌」にも掲載されたことがあったそうである。また、江戸にも聞こえたこともあり、幕末には、京都・江戸では有名な画家であり、弟子も取って横山派を率いたとされる。明治15年頃には、フェノロサやウイリアム・ピゲロー、ヘンリー・アダムス等が崋山を評価し買い集め、すべてボストン美術館に集められたいるそうである。また大英博物館に所蔵されているものもある。明治初期に、外国人には高い評価を受けながら、日本社会からは何時しか忘れ去られた存在となった。私が、「崋山展」でみた作品から判断すれば、横山崋山は、十分評価できる画家であり、明治期の散逸が惜しまれる。

蝦蟇仙人図 横山崋山作 一幅  絹本墨画淡彩

曽我蕭白の蝦蟇仙人図(ボストン美術館)と並んで、懸けられていた。蝦蟇仙人とは、妖術を使った中国の仙人で、日本でも古来より好画題として描かれている。特に有名なのが、曽我蕭白の作(ボストン美術館)であるが、横山崋山は幼い頃から蕭白を学んでおり、自らの世界観を広げて蕭白に追いつき、超えよと努力をしてきた跡が見える。蕭白を写すのではなく、蕭白画の不自然な形態を変え、自然な姿に描いている。

観山拾得図 横山崋山作 一幅 紙本墨画 江戸時代 ボストン美術館

松ノ樹の下で巻子と箒を持って佇む寒山と拾得は、奇矯な行動で知られた中国・唐代の国清寺の僧である。寒山の落款と印章がなければ、蕭白画と見誤る人も多いだろう。この絵は蕭白だけでなく、岩駒(がんくー1749~1833)の画風も偲ばせるものがある。両者を見後に折衷している。蕭白よりも近代性を感ずる。

唐子図屏風 横山崋山作 六曲一双 紙本着色 江戸時代(文政9年ー1826)

右隻では犬と猫を連れた子供が走りだし、花を摘む子、蝶を追いかける子の姿がある。画面中央では闘鶏が行われている。子供達の円らな瞳はその対戦に向けられている・第4扇で手を挙げる子供の視線の先には、極細の線で描かれた糸が伸び、鳳凰を象った凧が空を飛ぶ。岸辺には亀を放つ子、川の中では少年がドジョウを取り逃がすまいと両手を挙げている。屏風浦には明治25年(1892)の監査状が転付されており、認定者には岡倉天心、九鬼隆一の名前が見える。当時の所蔵者は、大丸創業者十二代当主の下村正太郎氏であった。少なくとも、明治時代中頃には、横山崋山は、監査状を貼られる程に著名であったことが分かる。

華落一覧図 横山崋山作 紙本木版摺  江戸時代  京都市資料館

崋山の名を一躍世に知らしめた刷物で、京都を俯瞰的に捉えた近世の都市鳥瞰図として知られる。刷物であり、広く京落の人々から愛好されたのであろう。京都の様子を西山の上空から東山方面を大きく俯瞰している。画面中程の左右に鴨川が流れ、中央やや左寄りに二条城、右より御所が見える。右下の東寺、鴨川をはんさんだ反対側には、当時焼失したはずの方広寺の大仏殿のみが描かれ、名所が分かりやすい。それだけ大雑把に描かれているのであろう。文化5年(1808)に京都で発行されたものである。なお、発行元の風折政香は京都の蒔絵師である。発売されると大評判になり、版が重ねられた。

紅花屏風 六曲一双 横山崋山作 紙本着色 文政6年、8年(1823~25)山型美術館

 

これより先は、図録で風俗(人々の共感)と題している部類である。私は崋山らしさが一番発揮される絵画であると思う。この絵は、京都の紅花問屋、伊勢屋理右衛門が、祇園祭の屏風祭で飾る為に本図の制作を崋山へ依頼したものである。伝統的な四季耕作図の画面構成を下地に、画面上部は山々や川を遠景に描き、画面下部には紅花生産に従事する市井の人々の営為を描く構図となっている。右隻に種まきから花摘みといった紅花を育て収獲するまでの光景mそして大振りの紅餅(花餅)を作る様子が描かかれる。左隻には小振りの紅餅を作る作業風景とともに、荷造りを経て紅花を出荷する光景が表現されている。人物の顔や体には西洋風の陰影表現も見られる。両隻には年紀があり、右隻は文政6年(1823)、左隻は同8年(1825)と左右両隻で制作年が異なる。本図の制作に際し、崋山が文政2年(1819)に紅花の産地を巡る取材旅行を敢行したことが分かっているが、右隻の制作年まで4年の歳月があることから、取材旅行は2回行われたと思われている。最良質の岩絵具や紙、金を惜しげも無く遣い、長い年月をかけて丁寧に制作しているだけあって、崋山が描く風俗画の屏風としては飛び抜けた出来栄えの作品である。山形県指定有形文化財である。

夕顔棚納涼図 一幅 絹本着色 江戸時代    大英博物館

実に牧歌的な絵である。夕顔の蔦が伸び、花開く棚の下、夫婦らしき男女2名二人が涼む夏のひと時を描く。鍬が二人の傍らに描かれており、農作業を終えた跡の解放感に満ちた姿であろう。庶民の何げない日常のひと時を描きながら、風雅な印象を与えている。崋山が私淑したという吾春の描法をしっかり身に付け、存分にこなしていることが本図より明らかである。画中にある「平安」の文言により京都ではなく、地方に住む人の注文作とわかる。この画題から、私は国宝の久隅守景の「夕顔棚納涼図屏風」を想い浮かべた。図録の作者も同じ感想を漏らしている。しかし、何故、この名画が、大英博物館に移ったのであろうか?大英博物館の目利きの鋭さと、日本人の鈍さを痛感した。

 

天明火災絵巻 横山崋山作 紙本着色  江戸時代  京都国立博物館

天明8年(1788)に、京都で天明の大火が発生した。正月晦日の夜のことで、若冲も住居を失い、転居している。近世京都を大きく2分した出来事である。団栗橋の東詰より出火した後、その炎は鴨川を超えて京都市中のごとんどを瞬く間に焼きつくした。天明の大火の被災状況を報じる瓦版や版本は多いが、この未曾有の大火を描く肉筆画は無い。本図は無款のため、筆者の名を直接示す情報は無いが、人物や樹木などの描法は崋山そのものである。落款や印章を捺す必要は無かったのであろう。特定の人物による依頼作だった絵巻と思われる。炎のすざまじさが、良く表現されている。

やすらい祭図屏風 横山崋山作 紙本着色六曲一双 江戸時代 京都国立博物館

京都洛北の今宮神社のやすらい祭の祭列を大きく活写した作品である。鉦や笛などで奏でるお囃子の音が今にも聞こえてきそうである。一人ひとりが大きく描かれているだけに、祭列の直ぐ傍らにいるかのような錯覚を覚える。このように臨場感に富む祭礼描写は崋山の独壇場である。本図には引手の跡があり、もとは襖絵であったことが分かる。

祇園祭礼図巻 横山崋山作 上巻 紙本着色 縦31.7×長1514.5cm天保6~8年 江戸時代 下巻 縦31.8×長1570.0cm

(上巻)

(下巻)

上下2巻、計30メートルもの長さにわたって祇園祭の全貌を描き尽くそうと稀有の例の祭礼絵巻である。上巻(上2枚)は稚児社参より始まり、宵山、そして前祭の山鉾二十三基が巡行する様子を丁寧に描く。下巻(下2枚)は後祭の山鉾十基が巡行する光景を描き、三基の神輿が御旅所より祇園社へ還幸する様子、そして四条河原の納涼、祇園ねりものと実に印象的に描いている。本図は江戸後期の祇園祭の祭儀を知る上で欠かせない資料である。

 

 

冒頭で、横山崋山について全く知らないと述べたが、自分が持っている本を確認したところ、井浦新「江戸絵画の非常識」にしばしば出てくることに気付いた。作品として「紅花屏風」、「花洛一覧図」が写実的描写として招介されている。最後の「祇園祭礼図巻」が紹介されていないのが残念である。横山崋山は、江戸時代から明治時代までは、割と知られた絵師であったようである。しかし明治15年頃にアメリカ、イギリスに大量に流出し、特に昭和になってからは、殆ど忘れられてしまった絵師である。夏目漱石の「坊ちゃん」の中にも出てくる。岩波文庫版30pに崋山が二人出てくる。四国の骨董好きの下宿の親爺から、二人の崋山のどちらかの掛軸を15円で売りつけようとする場面がある。明治期には、地方でも知られた存在であったことが分かる。横山崋山を何時、何故、日本人は忘れたのか?思いがけない、横山崋山との出逢いは、近代日本とは何であったのか、何故大切な美術品をやすやすと外国に売り飛ばしたのか、等幾つかの疑問が出てきた。特に大英博物館に出た、「夕顔棚納涼図」が残念である。

 

(本稿は、図録「横山崋山展    2018年」、安村敏信「江戸絵画の非常識」、夏目漱石(岩波文庫版「坊ちゃん」を参照した)