特別展  神仏人 心願の地(2)

「心願の地」(1)では、播磨国風土記や加東市に伝わる仏像類、十界曼荼羅等を紹介したが、加東市には、歴史の古いお寺もある。中でも播州清水寺と鹿野山朝光寺の二寺は由緒が古い。加東市には御嶽山と呼ぶ市内では一番高い山がある。その山頂に、西国三十三巡礼の第二十三札所に定められている天台宗の霊地、播州清水寺(きよみずでら)がある。清水寺は7世紀後半頃に仙道仙人により開創された。清水寺は創建時には菩薩信仰の寺として建設されたが、12世紀中頃に、地蔵信仰から観音信仰の寺へと変身を遂げた。それに合わせて法道仙人の伝承を取り入れた可能性がある。この寺に関する古代から中世に関わる寺所蔵の文書群は有名である。また、鹿野山朝光寺と号する真言宗高野山谷上宝城院末の寺院で、現存する伽藍は本堂(国宝)、鐘楼(重分)、多宝塔、仁王門、聡寺院、吉祥院等である。開創は、山頂に伽藍整備が行われた白雉2年(651)であるというが、定かではない。寺に残る伽藍、仏像類から、現在地に移ったのは古文書によれば文治5年(1189)4月に伽藍を現在地に移したと記されており、多分この時期が山麓へ寺院を移した時期と思われる。

銅像  菩薩立像  白鳳時代(7世紀後半)   播州清水寺

この仏像を拝した時には驚いた。まさか寺伝の白雉2年(651)説は、まるで信用しなかったが、この仏像は、昭和5年(1930)に清水寺境内から出土した像で加東市最古の仏像で白鳳仏とされていた。確かに左右前後から仔細に眺めてみると、白鳳期あるいは、飛鳥時代まで遡ることも考えられるお像である。東播磨には鶴林寺(加古川市)、斑鳩寺(揖保郡)等聖徳太子ゆかりの寺が現存するので、あながち無視することは出来ないであろう。白鳳期、もしくは飛鳥時代の仏像が何等かの理由で、この地に残存したことは否定し難いと思う。頭部から蓮肉部までを一鋳し、それ以下の台座は後補である。後頭部に突起があるが、当初、頭光が取り付けられていたことを示すものであろう。古拙の笑みを湛える丸みを帯びた顔や全体に対して大きめの頭部は童子を思わせる。本像が白鳳時代に遡ることを端的に示している。

木像  毘沙門天立像  平安時代(10~11世紀)  播州清水寺

本像は清水寺根本中堂に秘仏本尊十一面観音菩薩立像の脇侍として吉祥天像(今回は公開なし)と共に同厨子内に安置されている毘沙門天立像であり、厨子は30年毎に開扉(秘仏)される。カヤ材による一木造で内刳りは無く右肩から及び袖、左肘の先、持物は後補である。頂上に法珠、両脇に吹き返し付き兜を被り、右腕は大きく振り上げて戟を執り、左手は曲げて掌に宝塔を捧げ持つ。量感を持つ仏像であり、製作年代は平安時代である。優れた尊像である。

木像  天部立像  平安時代(11世紀)   播州清水寺

清水寺大講堂安置の天部立像である。頭部から足枘までカヤ一材で刻んだ仏像である。背面を割矧ぎ内刳りが施されている。内刳に墨書の痕跡があるが、判読できない。頭部に宝珠形を付ける兜、体幹部には甲冑を付ける。腰を左に捻る。一木造りらしい量感を持ちつつ、体の動きや見開いた眼や憤怒の表情に大仰なところがない。造立は平安時代後期と考えられる。

木像  大日如来坐像  鎌倉時代(13世紀)  播州清水寺

五智如来(五体の如来像)の中尊である。台座と光背は近世の後補である。寄木造で頭部・体幹部共に正中線剥ぎである。彫眼である。膝張りと裳を表す畝の造形、奥行き感のある体躯など、鎌倉時代彫刻の特徴が認められる。本像に瑞々しい若さと沈思の表情を与えている。本像を含む五智如来は当初寺内の大塔に安置されていたが、塔罹災の被害を受け現在は講堂に安置されている。

紺紙金字妙法蓮華経  室町時代 応永9年(1402)  播州清水寺

加東市内に遺る唯一の紺紙金字経である。内容は、巻子装の妙法蓮華経全八巻であり、黒塗りの経箱に収納して保管されている。本紙の紙数は16~21と幅があるが、何れの巻も表紙に法相蓮華紋様を配し、さらに見返しには、霊鷲山を背後に中央の釈迦如来が法華経の説法を行い、その傍に聴聞する菩薩の様子を詳細に描いている。本法華経は、本文の文字や左右に引かれた界線のみならず、表紙や見返しの区画に至るまで金・銀泥によって描かれている非常に美麗な経巻であり、保存状態も極めて良い。

木象  千手観音菩薩立像  平安時代(11世紀)  朝光寺

長光寺本堂の南面する須弥壇厨子の中には板壁に仕切られた二体の千手観音立像が安置されていることから「東御本尊」「西御本尊」と通称される。本像は、そのうちの「東御本尊」であり、頭部から裳裾までヒノキ材で彫る一木造りである。天冠台上に載る頭頂仏については頂上が候補である。起伏が少なく浅い彫りの衣皺た天衣、裳階の処理に和様化の傾向が認められる一方で、裳に刻まれた翻派式彫方や天衣、裳階の処理には和様化の傾向が認められる一方で、裳に刻まれた翻派式彫方や耳環を表さないことは古様の特徴と言え、目鼻口の力強い彫り方がもたらす森厳な表情と併せ、本像の像立時期が平安中期まで遡ることを示している。西本尊は鎌倉時代の様式を備え、左足枘の外側に「長快(花押)」との墨書銘がある。同様の墨名が京都蓮華王院(三十三間堂)に安置される千手観音中、二十三体が発見されている。経緯は不明であるが、本堂が建立された室町時代からそれほど離れていない時期に蓮華王院から移座されたものと考えられる。

木像  地蔵菩薩立像(六地蔵)  平安時代(12世紀)   朝光寺

現在、朝光寺本堂に安置されているが、以前は本堂西側にあった阿弥陀堂に安置されていた像である。全ての像が頭部から足枘までを一材で刻んでいる。摩耗が目立つが面部の造形が比較的残る像の相貌からは鑿の冴えが見られる。本像の制作年代は平安時代末期であると推定される。着衣形式に異動があるもののほぼ同寸の全高や全身のプロポーションに統一感があることから、元々一具の群像であったとすることが出来、比丘形であることや持物から六地蔵尊として造立されたと考えられる。

銅像  千手観音菩薩立像  鎌倉時代(13~14世紀)  朝光寺

頭部から足先までの体幹部を一鋳し、両肩から先と合掌手とその下で宝鉢を捧げ持つ手部を、一材にして鋳造し、脇手は左右を各々前後に二材にて造る。また脇手は素文の光背に打ち付けられるように意図されており、制作当初から現在のような設置形式であったと推察できる。相貌は理知的であり、製作年代は鎌倉時代と考えられる。

木像  法道仙人坐像  江戸時代(17~18世紀)  朝光寺

法道とは7世紀中頃にインドから紫雲に乗り日本へ渡航したという伝説の仙人。本像は岩座に坐して頭巾を被る修行者の姿で法道を表す。玉眼である。播磨を中心に法道開基など伝説を持つ寺院が77ケ寺を数え、そのうち55ケ寺は加東市に属する北播磨である。朝光寺にも法道仙人開基説が伝わり、現在の加西市法華山市乗寺で修行中だった法道が毎朝、東方に瑞光が天をさす場所を目指し、寺を建てたという。

 

本稿では、播州清水寺(天下の三清水寺の一つ)と鹿野山朝光寺と名のある名刹の宝物を紹介した。両寺とも秘仏を公開され、この機会を逃がしたら、二度とお目に懸れない「心願の仏」であった。また播州清水寺からは、思いがけない白鳳仏が展示され、西播州の鶴林寺、斑鳩寺を懐かしく思い出した。よもや白鳳仏にお目に懸れるとは思っていなかったので、大変思い出深い展覧会となった。

 

(本稿は、図録「特別展 神仏人 心願の地  2018年」、探訪日本の古寺第13巻「近畿」を参照した)