特別展  縄文ー1万年の美の鼓動(1)

私は、日本の歴史をかなり熱心に勉強した時期が2回ある。1回目は小学校5年生の時の国定教科書による「日本歴史」である。まず、神話「国産み」から始まり、天照大神の誕生、天岩戸(あまのいわと)へ隠れる、手力雄神(たじからおのみこと)が磐戸(いわと)を開ける、素盞鳴尊(すさのうのみこと)の追放、海幸、山幸の話等から天武天皇の東征伝までの天皇家の生い立ちを学ぶ、国学的世界であった。もう一度は、高校2年生の時、新制高校の「日本史」である。それは、恐るべき転換が行われていた。神話の部はすべて削除され、縄文・弥生土器から始まる日本の歴史であった。(当時、日本には旧石器時代は無いとされていた時代であった)この違和感は未だに私の「日本史」のアレルギーとなって残っている。何故、神話を教えないのか?どこの国でも神話から始まるのでは無いか?神話は神話として何故教えないのか?これらの疑問はいまでも、生き生きと私の中に生きている。「占領軍による歴史の捻じ曲げ」、「神話はその国の古い記憶であり、神話として引き継ぐべきである」こんなことを60年以上思い続けてきた。しかし、高校時代に学んだ縄文、弥生土器も、それぞれで懐かしい思い出であり、日本の歴史であることは間違いない。さて、今回、東京国立博物館で「縄文ー1万年の美の鼓動」は実に楽しく見学できた。約1万年前から3千年前の日本人の生み出した「縄文土器」の素晴らしさは、誰よりも強く意識している。今から30年ほど前に、新潟県十日町市を訪れ、市役所に火焔土器(役1万年前)が20個位、円形で二重に火焔土器が飾られていて、その美しさに思わず息を飲む思いがした。平成11年(1999)に、これらの火焔土器を含む深鉢型土器57点が一括して国宝に指定された。「殆ど誰も見る人がいなかった火焔土器が、国宝に指定された」ことは、私に取っては、正に思いがけないショックであった。自分の「美」に対する意識の高さが証明されたとように思った。このかけがいの無い記憶を甦らせ、今回の「縄文展」を見学した。思えば、「縄文の美」に芸術的価値を見出したのは、それほど古い話ではない。1950年代に岡本太郎氏らが芸術的価値を見出し、「縄文の美」を唱えたのが、その始まりではないだろうか。今回の展覧会の特徴は、日本の縄文土器を展示するのみでなく、それとほぼ同じ時期に成立した世界各地の土器を比較してみるコーナーが設けられたことである。そこで、縄文土器と比較してみると、縄文土器の際立った独創性、優れた造形美を、改めて感じ取ることが出来た。やはり、世界に誇る「縄文土器」と言えるであろう。ややお国自慢となったが、自国の文化に誇りが持てないことは悲しいことである。是非、縄文の美を満喫し、我が国の造形美の素晴らしさを実感して頂きたい。

国宝 火焔土器 新潟県十日町市 笹山遺跡出土 縄文時代(中期)十日町博物館

この作品は縄文中期の火焔型土器であり、平成11年(1999)に一括して57基の火焔土器王冠型土器57点が国宝に指定された。私がその20年前に十日町市役所で見た火焔土器であった。火焔土器は鶏頭冠突起をはじめ、火焔型土器に類似する文様を有する土器を指す。直立する四単位の鶏頭冠型突起は名前の由来でもあり、さながら燃え上がる炎を彷彿とさせる。器形全体が均整とく調和して、360度、どこから見ても隙の無い、正に火焔型土器の頂点とも言うべき優品である。篠山遺跡の出土品であり、国立博物館には1基しかないが、十日町市博物館へ行けば、国宝56点がぐるりと円形に展示され、素晴らしい縄文美の頂点である。

国宝 縄文のビーナス 長野県茅野市棚畑出土 前3000~2000年 茅野市

棚畑遺跡は、霧ケ峰南麓の台地上に立地する縄文時代中期の大規模な集落である。土偶とは、人形(ひとがた)をした素焼きの土製品で、縄文時代を通じて作られた祈りの道具とされる。当初は板状で素朴な造形であったが、中期になると顔の表現を持つ多彩な立像として作られ始め、北・東日本の各地に個性的な土偶が現れた。その一つが「縄文のビーナス」という愛称をもつ土偶で、その誕生は東日本における縄文社会が成熟期を迎えたことを暗示している。吊り上った目や突き出した鼻に加え小さな口をもつ顔は、ハート形の輪郭も相まって愛らしい印象を与える。頭部は飾り物を付けたような表現で、三角文や渦巻文基調とした文様を展開し、見る方向によってその表情を変える。体はなで肩にくびれた腰、臀部が丸く張り出す。胸には小ぶりの乳房がつき、腹部は垂れる様に丸く膨らむ。その力強くも柔らかな曲線美は、まさに「縄文のビーナス」の名に相応しい。土偶は安産の祈願や子孫繁栄を祈るために作られた、という考えをまるで表現したかのようである。

国宝 縄文の女神 山形県船形町西の丸遺跡出土 前3000年~前2000年 山形県

西の前遺跡は小国川の河岸段丘上に立地する縄文時代中期の集落で、大形竪穴住居や数多くの土坑が発掘された。この土偶は「八等身美人」という言葉が冠につくことさえあるもので、その類まれなる造形美から「縄文の女神」と讃えられている。同じく中期を代表する土偶「縄文のビーナス」とともに、頭部や臀部の特徴から河童型土偶や出尻(でっちり)土偶とも呼ばれることがあるが、その美しさは対照的である。顔の表現はないものの、頭部は弧状で表裏に複数の穿孔を持つ。腕の表現を欠く板状の胴部は、腹部が前に、臀部が後ろにせり出して厚みを増し、角柱状の長い脚部へといたる。乳房はW字状に付きだし、その下に「正中線」を引くものの性表現には乏しい。下腹部の逆五角形の区画外には幾何学文、区画内には縄文を施し、脚部の前後に多条の直線文を施す。土偶は破片で見つかることが多い。理由として、病気や怪我を治すために土偶を打ち砕きその身代わりとしたという説や、土偶の破片を集落の各所で「送る」ことで命の再生や繁殖そして集落の繁栄を願ったという説がされている。

国宝 仮面の女神 長野県茅野市中ツ原遺跡出土 前3000年~前2000年 茅野市

中ツ原遺跡は八ヶ岳西麓の台地上に立地する縄文時代中期から後期へかけての大規模な集落である。顔の表現が仮面をつけたような土偶は一般に仮面土偶と呼ばれるが、その中でもひと際大きく優美な本作は「仮面の女神」と名付けられている。逆三角形の板を頭部に括り付けたかのような表現は、まさに仮面をつけたかのようである。薄く扁平な両腕を左右に広げ、大きく張り出した同部を太く丸い両足で支える。摺消(すりけし)縄文手法を用いた渦巻文を基調として文様が両腕から胴部にかけて描かれている。また乳房の表現を欠くものの臍や性器の表現はこの文様と見事に一体化している。一定のまとまりを持つ土光群から出土した「仮面の女神」は、集落内におけるすべての死者に対する鎮魂と再生を祈るものとして埋納されたものとも考えられよう。

国宝 中空土偶 北海道函館市 著保内野遺跡出土 前2000年~前1000年函館市

著保内野遺跡は海岸段丘上に立地し、縄文後期の環状配石遺構を伴う墓地である。本土偶は、現存する最大の土偶ということもあって「中空土偶」という名を持つ。本例は頭部の一部と両腕を欠損する。顔は眉から鼻、目、耳、口が粘土を貼り付けて表現されている。頭部は扁球状で頸は短く、肩は幅広く胴部が括れる。脚部は円筒状で足首から先は小さく丸い。この両脚の間に注ぎ口のような筒型装飾をもつ。このような中空で薄手に形作られた体や全身を飾る文様は、土器作りの技術を巧みに応用したものと言われている。この「中空土偶」と同様な顔面表現と頭部の形状を持つ土偶は、東北や関東地方に広く分布する。

国宝 合掌土偶 青森県八戸市 風張Ⅰ遺跡出土 前2000年~前1000年 八戸市

風張1遺跡は、新井田川下流域の河岸段丘上に立地する縄文時代後期の大規模な環状集落である。集落は中心部に二か所の墓域が設けられ、これを囲むように内側から順に、土坑や掘立柱建物そして竪穴住居が規則的に配置されていた。膝を立てて座り、胸の前で両手を合わせるその姿から「合掌土偶」と呼ばれている。「合掌土偶」の破片の割れ口には天然のアスファルトが付着していたことから、壊れたものを直し、復活や再生を祈る儀礼が行われていたと考えられる。

重文 ポーズ土偶 山梨県南アルプス市出土 縄文時代(中期) 南アルプス市

円錐形の中空の胴部を持つた本例のような土偶は、「円錐形土偶」と一般的に呼ばれる。胸に当てた左手の指は3本に表現されている。この3本指はこの時期の土偶や土器の人物表現に共通するものである。顔面は半円で象られ、眉・鼻・目・口は粘土紐を貼り付けて丁寧な整形で仕上げられている。両目の下には、管状の工具を押し付けた竹管文で入墨が表現されている。また肩と肘の関節部は粘土粒を貼り付けて強調されている。乳房とへそもまた粘土粒で表現され、目立つ「正中線」は縁取りが加えられ垂加している。そして下腹部にはこの時期には特徴的な三角形を組み合わせるシシンボリックな女性器文様が描かれている。このような土偶には「見る土偶」と「音を聞く土偶」の2タイプがあるが、この土偶には土玉が残っていない。

重文 ハート形土偶 群馬県東吾妻町郷原出土  縄文時代後期 個人蔵

顔面がハート形のものが多い事から「ハート形土偶」と呼ばれるタイプの代表例である。「ハート形土偶」は、東北地方南部から関東地方北部にかけて見られる「山形土偶」とともに、後期を代表する土偶形式である。本例でもハート形の大きな頭部が目を引く。立体的で鼻の穴まで表現した大きな鼻と、中心がくぼんだ丸い目が印象的である。体つきは肩を強く張り、胴は極端にくびれている。腰もまた極端にくびれている。腰もまた極端に広がり、どっしりとした大型の脚部を持つている。胸には小さいけれども乳房がはっきりと表現され、肩部と腰から足にかけて渦巻・沈線・刺突で密に飾られている。本例は大きく下面が平坦な脚部によって安定して立てることができるので、本来このように置いて使用したものと考えられる。

重文 遮光器土偶 青森県つるが市亀ケ岡遺跡出土縄文時代後期 東京国立博物館

本例は、土偶の中でも大型で、表面をよく研磨してから焼き上げ、中空に作られている。左足は失われており、右目の上半も補修している。太い腕に小さな手と太く短い足の表現から、この土偶が極度にデフォルメされた人体表現だと判る。極めつけは特徴的なデザインの頭部である。顔面の半分が目で占められており、小さな鼻と口と耳があり、頭頂部には冠状の飾が立ちあがっている。この大きな目は隆帯で縁どられて、まるで北方狩猟民族が用いる遮光器を着けているように見える。しかし、縄文時代の遮光器に類する遺物は発見されていない。従って、これは遮光器をつけた姿ではないというのが現在の定説である。

重文 みみずく土偶 埼玉県さいたま市真福寺貝塚出土 縄文時代後期 東京国立博物館

縄文時代後期後半から晩期前半の関東地方に特徴的に分布する「みみずく土偶」と呼ばれる土偶の中でも、とりわけ魅力的な優品である。隆帯でハート形に縁どられた顔面に、同じ大きさの円板を貼り付けて表現した目と口がある。頭でっかちなプロポーションと相まってユーモラスな印象を与える。この顔がみみずくに似ていることから、「みみずく土偶」と呼ばれている。耳には大きな円い耳飾りを着け、頭頂部のたくさんの突起は結った髪形や櫛をさした状態を表現している。くびれた胴部から強く張る越と直線的な足の造形は、曲線的な上半身とは対照的である。また、全身が赤く塗られている。

 

約1万年も続いた縄文時代には沢山の形が作られた。その中でも、私が一番好きなのは、国宝の火焔型土器と土偶である。国宝に指定されている縄文土器は6点である。(但し、十日町市の火焔土器群は57点で1点と計算されている)しかも初めて指定されたのが平成7年(1995)と歴史が浅く、近来になって縄文時代への社会的、文化的な関心や評価が高まってきたことを表している。最初の縄文時代の国宝は、「縄文のビーナス」の愛称を持つ土偶である。縄文時代の祈りの美、祈りの形と言われる代表が土偶である。土偶は人型の土製品で縄文時代の始まりとともに登場した。本章では6点の国宝、4点の重要文化財を紹介した。また、縄文土器の代表と言えば、新潟県十日町市の火焔土器である。これは57点の火焔土器と王冠型土器合せて57点が、平成11年(1999)に国宝に指定されている。また重要文化財に指定された土偶4点を合せて、合計10点を紹介した。「縄文の造形」「縄文の美」を、日本人の「物造りの源流」として捉える考え方もある。その意味で、同時代の世界各地の焼き物類が展示されているので、是非、自分の見方で検討をして頂きたい。

 

(本稿は、図録「特別展 縄文ー1万年の美の鼓動  2018年」、図録「日本国宝展  2014年」、図録「国宝  土偶展   2009年」を参照した)